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死刑制度について

  私は、死刑制度を廃止すべきだと考えている。

  前にも書いたことがあるが、被害者や被害者を大切に思う人たちの気持ちを思うと、
 「廃止すべきだ。」
とはっきり言いきることができなかった。

 実は、戦後の混乱期に、私の叔父に当る人が喧嘩に巻き込まれた友人を救おうとして、自分が刺されて亡くなった。そして、犯人は「狂人」であるということで、病院に入院させられたと聞いている。

 その叔父の遺影を見ながら私は育ったが、祖父母や父がそのことについて話すのを聞いたことがない。
 それは子供心に不思議だったが、聞いてはいけないというような雰囲気があった。

 私は、いま、祖母や父が、恨み言や泣き言を言うまいと「努力」したとはおもえない。

 毎日仏壇に手を合わせ、月命日には必ずお坊さんがやってきて、私たちはそこに居合わせてしまうと、念仏が終わるまで正座させられるのだった。

 あんなふうに過ごすのでなければ、どう暮らせばよいだろう、と思う。
 それぞれが悲しみを呑み込んで生きていたのだ。
 口にしたら、なんとか保っているものが崩れてしまう。

 死刑制度は、冤罪が含まれる可能性と、国家に殺人を許していいものか、という理屈で、廃止するべきという意見に同意しながら、後ろ足のつま先はまだ死刑制度の存置派にのこっていた。

 狂牛病騒ぎのときに、その専門家と話をする機会があって、彼が、
 「日本は、狂牛病を発病した牛を安全に隔離する技術力があるにもかかわらず、消費者の感情に媚びて殺してしまい、研究の機会を失ってしまった。」
と悔しがっていた。
 
 私はまさにその時に、存置派側に残してきた後ろ足のつま先を蹴って、
 「やっぱり死刑制度は廃止すべきだ。」
と思った。
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by mayumi-senba | 2010-02-21 18:00 | 世間のこと
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