4割の側の人間の言い分 の続き

何が問題?

 私が考える基礎学力を言わせてもらえば、読み書きそろばん。
 それ以外のことは、大人たちは、自分が知っていた程度のことが基礎学力だと、お互い共有できない幻想を持っているのだと思う。
 
誤解を恐れずに書くならば、私は、小学校は“考える事を学ぶ”場ではなく、“考える力の前提となる知識を付ける”場だと思っている。
そういった意味では、小学生の内に“地動説”を教えるのは“有り”だと思う。
それは、“地球を初めとして色々な星が太陽の周りを回っている”と言うのは“理屈”ではなく“知識”だと思っているから。

 「空のつぶやき」さんのこの感じが私にはフィットする。歴史上の出来事であるコペルニクス的転回を個々の子ども達がその成長の中で経験するのは、いいなと思う。そしてそれは、確かに哲学として扱うのが、いい感じがする。少なくともそれを教える先生の内心では。

 それが、ある子は天文学。ある子は、言葉の力。ある子は数学。

 実際は大人の目に見えない形で経験しているのだろうと思う。
 ただそれが天文学ではない。
 見る人が見たらわかるようだ。

 私、思うに、子どものそういう瞬間をすくいあげたり演出したりすることのできる人は、多分教育委員会や文部省で仕事してるわけではない。現場の先生達の中に確かにいる。
 ややこしいのは、現場の先生がすべてそういう才能を持っているわけではないので、ひとくくりに「教員」として非難するわけにも、賞賛するわけにもいかない。

 しかしながら、制度をいじくりまわすのは、そんな才能の薄い人たちであるということだけは、あたらずといえども遠からず、なんだと思う。
 そこだけは、制度をいじくりまわす当人も、自覚しながら仕事をしていただきたい。 

 でも、この私の教育観も、あまたあるそれのひとつに過ぎない。

 学力とは何か@瀬戸智子の枕の草子 さん

理科の教育の問題@小言日記さん
にもTBさせていただきました。

 
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by mayumi-senba | 2004-09-24 13:40 | 世間のこと
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