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怒る能力

 思春期にある理由で激しく両親に対して恨みを持ち、そのまま大人になって50代になった人がいる。

 理由を聞けば、恨みを持つのも無理はない、と私も思う。

 その人と話をすると、他の話であっても、窮屈で息が苦しくなる。
 恨みや怒りがそこここに顔を出しているので、心に無用な波が立つのだ。

 職業柄、私はそんなときに比較的冷静に話せるようになっているが、その人と友人になれるかというとそれはしんどい。

 人は恨みや怒りを反芻すると、恨んだり怒ったりする能力が発達するようだ。

 それはあたかも、何かのきっかけで算数がすきになり、算数ばかり勉強していて、ほんとうに算数が得意になるようなものだ。

 怒る能力は必要であると思う。また、それを、必要に応じて昇華させる能力も必要であるが、ただ単に怒るというようなことも必要だと思う。

 まったく怒りを表さない人を見ると、それはそれで気持ちが悪い。自覚的であろうとなかろうと、人間に怒りがないはずがないからだ。表し方を知らないのではないだろうかと思う。心か体を病むのではないか、すでに病んでいるのではないか、と思うこともある。

 しかし、怒りや恨みにあまりに親和的になってしまっている人を見て、失礼ながら気の毒で仕方がない。好きでそうなったのではなくて、周りにそれを和らげてくれる大人がいない環境で育ってしまったということが大きい。彼にはもしかしたら、もっと別の才能を開花させる素質があったかもしれない。

 私はつくづく、生まれ持った才能の総和について、実に神様は平等であると思う。
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by mayumi-senba | 2010-12-23 09:01 | 世間のこと
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