ジェンダーフリー 試論 その1

 ひとつの言葉が、発する人によってあまりにも違う意味合いを持つ。
 だから、自分自身が使うことを憚られる。
 そんな言葉の代表が、ジェンダーフリー。

 私がもし使うことがあれば、どのような意味合いで使うだろう、と考えながら書いてみることにする。

 一つ一つの特質に注目して見たときには、明らかに男女差がある。例えば筋肉量。しかし、それは集団の平均を取った場合であって、個々に見たときには、女>男という場合が、少なからずある。

 闘争心や野心もしかり。

 集団としての男女差は明らかにあるし、これがなくなることは有得ない。しかし、個々に見たときには成り立たないその男女差を、個々の人間に無理やり当てはめて枠にはめこむことはない。

 逆に、今のところ女性がそのほとんどを担っている介護という仕事に、とても向いている男性たちがいる。力があり、かつ、細やかな気配りができる。というより、この仕事には無用な競争心から自由な男性達である。

 私がそう思うのは、今のところ少ないけれど、介護職として働いている男性たちが、むしろ介護職として働く多くの女性たちよりも適職についているように見えるからだ。女性の仕事とされてきた職業にあえて参入してくる、見ようによっては勇気があるように見えるかもしれないけれど、彼らは、そんな枠組みからフリーなのだから、とても軽やかである。

 ジェンダーフリー、というのは、

 「集団の平均として見られる男女差、というものを根拠にして個人個人にもその男女差があるものと想定する。そして個々の人にとっては無理のある生き方を強いる、というようなことはやめましょうよ。」

ということかな。

 どんなにジェンダーフリーを進めても、集団としての男女差はなくならないと私は思う。ホルモンの威力のすごさを見たら、無くなるなんて有得ないと思う。
 ジェンダーフリーをどんなに進めても、男が自然に子どもを産む日はやってこない。
 
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by mayumi-senba | 2004-10-24 03:50 | 世間のこと
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