代わりに謝罪することについて。その2

代わりに謝罪することについて。

 私がこのことを思ったのは、神戸の14歳の少年Aが、無実であるかもしれない、という記事をWEB上で目にしたときだった。

 申し訳ないが、私にとっては、彼の事件が冤罪であるかそうでないかはたいした問題ではなく、彼の親が、すでに文書の形とはいえ謝罪の意を表明している、ということのほうが引っかかったのだった。

 親には未成年の子どもの監督責任があるであろう。
 しかし、監督責任者なら、何をしてもよいということではなかろう。
 
 子どもが罪を認めている場合でも、今までの冤罪がそうであるように、冤罪であっても人は罪を認めてしまうものだと思ったほうがいい。現行犯でない限り、逮捕されても、裁判で有罪が確定するまでは容疑者である。有罪が確定しても、冤罪の可能性はある。
 
 その段階で、本人の意思とは関係なく謝罪してしまう、というのはどう考えたらいいだろう。もしかしたら、それが本人を奈落のそこに落とし込むことになるかもしれない、などと言いたいのではない。

 親とはいえ、本人の意思とは別のところで謝罪してしまってもいいものかどうか、というその一点が疑問だった。

 親が謝るのには、もちろんマスコミを含めた世間の圧力があるだろうし、世間がそう思うのが、それがわれわれの文化であれば、その同じ文化を共有している親が、謝罪してしまうのは無理もない。さらに、子が人を殺めたかも知れない、という状況で、平静でいられようはずがない。

 とは思う。さらに、確かに「殺された子どもとわが子が殺された親」がいる。被害者は確かにいる。私が被害者の親なら、犯人と思われる子の親が黙っているのはたまらない。謝罪されてもたまらないのに。
 
  そうは思いながらも、 「親が子の代わりに裁判で決められた賠償金を支払う」ということと、「謝罪する」ということの間には、距離がある、と私は感じている。

 
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by mayumi-senba | 2005-02-21 07:19 | 疑問のまま
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