美しさを知る日

 むすこが保育園に通っているころ、私は、この落ち着きのない子に情操教育をせんとて、夕焼け空を見あげて、
 「ほら、お空がきれいでしょう。」
と言ってみた。期待していたわけではないが、息子はやはり、
 「え・・・・・・。」
と言ったきり、
 「またわけのわからないことを言っている。」
というような顔でしばらく私の顔を見た後、何事もなかったように、道端に何か面白いことはないかという目つきを取り戻して、すぐにダッシュ出来る体勢で歩いているのだった。

 こういうことを何度か繰り返し、小学生になっても同じ反応しか返ってこない息子に、
 「この子はもしかしたら、私のおなかの中に、情緒というものを置き忘れてきたのかもしれない。」
と思うようになった。まあ、情緒というものがなくても、別に困りはしないと思い、私はそのことに頓着しなくなった。

 そして中学生になった夏休み、私の実家に自動車で帰ったその道中、360度に広がる空を突き進むうちに、その空の色が少しずつ変化して行き、青い中に赤みを帯び、白い雲は灰を含み、なんともいえない幻想的な景色が目の前に広がりだした。私は、
 「こいつにはこの美しさはわからないだろう。」
などと思いながら、その美しい空の中に身をおく幸せをかみしめていた。すると、息子は、
 「きれい。」
と言った。私はわが耳を疑ったが、息子は確かに「きれい」と言った。

 息子は息子で、今まで数え切れないほど夕焼け空を見ているはずだ。それが今はじめて、その美しさに気がついたようだ。私にはその瞬間の息子がとても不思議な存在に思えた。

 今までどうして夕焼けがきれいだと思わなかったのか、という疑問は、息子にはないようだった。

 美しさを感得する能力は、発達段階で獲得していくのだということを忘れていた。なんとなく、夕焼けは誰が見てもきれいで妖しいのだと、信じ込んでいた自分がおろかに思えてきた。

 それから、息子はすこしずつ大人びてきた。
[PR]
by mayumi-senba | 2005-03-07 20:28 | 息子
<< ビッグイシュー 私が知らないことをよく知っている >>