裁判員制度について思うこと

 裁判員法が23日に衆議院を通過する。
 正直、こんなこと日本で本当に実現するなんて思っても見なかった。

 内容についてはいろいろ問題もあろうと思うが、私は、すべての事件を今の司法制度で裁くよりも、特定の事件については国民が参加するというこの制度に基本的に賛成である。

 もう本当にこれだけ証拠が出揃った時代に、大学を出てなければ賢くない、大学をでてれば人間として賢い、などという幻想は捨てたほうがいい。
 身近な人の顔を思い浮かべても、学歴と人間としての賢さは無関係であるという確信が深まるばかりだ。(反比例するとも思わないけどね、○○君。)

 司法試験も、医師国家試験も、国政選挙も、人間としての賢さをなんら保証するものではない。ほかに仕方がなくて続いているに過ぎない制度なのだ。

 人は自分から遠い所で起こったことについて、どこまでも鈍感になれる。遠い人の痛みは百年でも耐えられる。

 今の制度である限り、裁判官によって裁かれた原告も被告人はいつまでたっても「偉い人」によって裁かれた「遠い人」でしかありえない。
本当はそんなことはないのに、である。

 
 人間としての偉さは、「想像力がどこまで及ぶか」というこの一点にかかっていると思う。
 
 被害者や被告人にぎりぎりまで近づいて、ぎりぎりまで自分の想像力を働かせ、有罪か無罪かを考えるのに、一般国民の感覚が、むしろ必要なのではないかと思う。

 われわれ国民にも、いつも遠くで「ひとごと」として見るだけですまない経験が必要だと思う。

 

 
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by mayumi-senba | 2004-04-22 12:24 | 世間のこと
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