あまりにも実存的な・・・

二十歳前後のころ、自分はどういう生き方をすればいいのかと、悩んでいたことがある。

 たとえば、異性に対してどういうスタンスで生きていくのか。
 同性に対してはどうか。
 目上の人や、自分より強い立場の人に対してはどうか。
 年下や自分より弱い立場の人に対してはどうか。

 対象との関係でもってじぶんを創りあげようともがいていた。

 そんなある日、失恋をして落ち込んでいた年上の友人が、○○○○教の教会に通い始めた。
 とにかく救われたい一心だったらしい。

 何度か通った後、彼女はすっきりした顔でこういった。

 「もう教会には行かない。私の給料の10分の1を取り上げようとする。私みたいな安月給のハイミスから、そんなに取り上げようとするのは、人を救う教会としておかしい。」

と言った。私は、キリスト教の中にこの制度があることは読んだことがあるが、その制度が、「おかしいかどうか」判断する根拠を持たない。ドイツなどは教会税として国家でそのような制度を維持していると聞いている。

 で、その後、彼女がもう読まないといったその教会のテキストを見ると、生活のこと細かいところまでしっかり守るべき事が書かれていた。確か、うちの中はいつもきれいに片付けておかなければならない、だとか、結婚式はこういう日を選びなさい、ということまで。

 よく考えたら日本にもあって、それは大安吉日というものだが、わたしはこのとき、
 「コレだ!!」
と思った。

 まだ学生の身の上で、10分の1とられるのは真っ平だったし、教義というとバチがあたりそうなので言葉を変えるが、

 「取るに足らない瑣末なことは、できるだけあらかじめ決めてしまおう。そして、それで節約した時間をたいしたことに使おう。」

という指針を立てた。そこで何を決めたかというと、

 たとえば下着を買うときに、何色にしようか、などというつまらないことで迷わなくてすむように、下着の色は白、と決めてしまおう。
 また、人の悪口は何があっても言わないでおこう。
 など、今思うと恥ずかしくて列挙できないこと多数。

 で、よし、これから、大切なことについてゆっくり考えよう、と思ったとき、考えるべきことがないことに気がついた。
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by mayumi-senba | 2005-05-24 23:53 | 自分のこと
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