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脳死のこと

そう単純に「脳死は人の死」ではない・・・・・・らしい。

いつからが死であるか、というのは、もともと、死んだ人の周りの人が決めていたのではないか。

 たとえば息子の呼吸が止まり、心臓が止まり、瞳孔が光にあわせて大小しなくなったとて、息子は死んでいるか。

 医師としての私と息子の間では、医学的に一般的な「死」であるかもしれないけれど、親としての私と息子の間には「死」は未だ到らないだろう。

 ましてや、息子が臓器を提供すると生前に意思表示していたとしても、医学的な「脳死」を私は彼の「死」とは受け入れないだろう。多分、そこから、息子の「死」に到る道のりが始まる。

 どのくらいの時間が必要なのかわからないし、ついに、その「脳死」を「死」とは認めないかもしれない。

 しかし、言葉を発することのない息子と私との間に、怒りや、悲しみや、慰めやいたわりや、さまざまな言葉がいつまでともなく交わされることになるだろう。

 その果てに、息子がどのように死に、どのように生きるのか、私と彼の間に合意が生まれるだろう。

 脳死、移植を考えるのに、どうしても息子を引き合いに出さないと考えられない。

 
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by mayumi-senba | 2005-06-06 19:06 | 世間のこと
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