かわいそうな子

息子を可愛がってくれる料理屋さんに行って、彼の子どものころのことに話が及んだ。

 息子はスポーツが好きで、小学生のころに
 「子ども会のチームに入りたい。」
と言った。
 それを、私は許すことができなかった。
 息子は、それがなぜなのか不思議だったそうだ。

 理由は、子ども会に子どもが入ると、親は自動的に役員になり、毎週のように子どものチームの送り迎えや見守りをしなければならない。
 役員になるのは持ち回りらしい。
 しかし、子どもが小学生になると会員になり、同時に母親は役員をやれといわれたころの私は、その日に役員の仕事をしてしまうと、次の週の日常生活がとても保てず、非人間的なものになってしまうという状況だった。

 洗濯、掃除、買い物と自分自身の休養。
 どうしても必要。

 仕事をやめればそれはできただろう。
 しかし、その時私は、もし仕事をやめなければならないのであれば、それが夫ではなくなぜ私でなければならないのか、どうにも腑に落ちなかった。
 夫とも話し合ったが、夫は自分がやめるということを言わない。そして私にやめろということも言わなかった。言われたからって私がやめることはなかったに違いない。

 私たちの子どもに生まれた以上、恵まれたこともあり、不運なこともある。私は息子に子ども会の野球をあきらめてもらうことにした。
 
 息子は不満であったろうが、息子の不満をすべて取り除くつもりなど私にはそもそもなかった。

 私が仕事をやめる事が、息子の幸せにつながるとは思えなかったからだ。
 すべての女にとってと言うことではないが、私にとっては、仕事をして自分の食い扶持を稼ぐというのは生きていくための必要条件だった。それを息子のために犠牲にするということが、息子のためになるとは思えなかった。

 「子どもはこのことでは可愛そうですが、参加させないことにします。いつか私にもできる日が来るかもしれませんが、今の私には役員の仕事をすることができません。」
と、子ども会の保護者の人に言った。
 彼女は、
 「息子さん、かわいそうに。祭りのみこしにも参加できませんよ。みんな、仕事しながらでも役員をしてますよ。」
と言った。
 「仕方がないと思っています。」
と私は答えた。

 かくして息子は「かわいそうな子」ということになった。
 当人は何がかわいそうなのか分からないだろう。

 私は、この、「かわいそう」という目線を息子のために憎む。
 「かわいそう」という言葉を、地域で生きる子どもたちのために憎む。



 
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by mayumi-senba | 2005-08-14 19:15 | 息子
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