そこそこの母親

かわいそうな子

もちろん私は、息子を子ども会に入れなかったことが唯一正しい道だったとは思っていない。
 いらぬ軋轢を生んだかもしれない。

 けれども私は、「かわいそう」とのたまった彼女に正しい母親と認められるよりは、息子から、
 「いろいろあったけど、ひっくるめて結構幸せな人生を生きた、僕にとってはそこそこの母親だった。」
と評価されたいと思っている。

 というよりは、私のような母親を、そこそこの母親だったと思ってくれる大人に育ってほしいと願っている。

 こう見えても、私だって息子を育てるためにあきらめたり失ったりしたものはある。
 人並みに大変だったりもした。何せ夫は単身赴任だったので、頼りにならない。
 
 結構大変だったので、自分を取り戻すために、月に一度だけ、二人の子どものいる方に息子を預けて、なじみのバーに行ってカクテルとウイスキーを飲んでいた。
 息子はお兄ちゃんやおねえちゃんと遊ぶのが好きだったのでご機嫌だった。
 私の母が聞いたらひっくり返るだろう。

 すべて子どものために、という育て方を否定するものではない。
 それにはそれのよさがあるだろう。

 ただ、私がそれをすることが息子にとって幸せだろうかと考えると、否なのである。
 人間、我慢をすれば我慢しきれるというものではない。
 私はその点において自分を見限っていた。



 



 
 
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by mayumi-senba | 2005-08-16 00:44 | 自分のこと
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