ある自閉症の人のこと

今日のお昼休みに、自閉症の人とその家族の軌跡と、彼らがほかの自閉症のこを持つ親御さんたちをどれほど勇気付けてきたかということをリポートする番組を見た。

 一部しか見ていないしあわただしく見たので少し勘違いがあるかもしれない。

 彼は小さいころから水に執着をもち、水を出してはそこいらを水浸しにして、だれかれに怒られてばかりいたそうだ。
 お母さんはそのことに胸をいためたが、叱ったりして止むようなものでないということがわかっていたので、何とか怒られない方法はないだろうかと考え、その執着を掃除に向けてみた。すると彼は、お掃除をするときれいになるということを発見し、お掃除が好きな子になっていった。

 長じて、市の清掃課でアルバイトをしたら1週間でクビになってしまった。
 公務員試験を受けたらクビにならないということがわかり、試験を受けて合格。晴れて職員になって元気に働いている。

 かいつまんで言うとこうなってしまうが、地域で生きていくためにご近所の理解を得なければならない。大変な思いをされたり、また、それゆえに大きな喜びも経験されただろう。そして普通の悲しみも喜びもあっただろう。

 「水に執着するのだからなんとかこれを叱られないようにできないか、と一生懸命考えた。」

 お母さんは、このような表現をされたが、私は、
 「その子はこの点はいけないが他にいいところがある」のではなく、「そこが長所」なのではないか。
と思うのである。
 彼女ははそう言ったのだと思う。

 そのように子どもを見たとき、こどもはまったく違って見える。

 それともうひとつ、

 「○○(息子さんの名前、忘れてしまった)の生活の能力が上がったわけではなく、周りの人々の彼に対する理解がかわったことで、地域でとても生きやすくなった。」

 これは障害ある人の周りにいれば容易に理解できることである。しかし、理解できることと、実践ことの間には、大きな隔たりがある。

 でも、できないことではないように思う。

 彼らはすでにとっても有名人だけれど、詳しくはここ

 ただ、これもって、障害がある人も仕事、という考え方オンリーにならないように祈ります。
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by mayumi-senba | 2005-08-23 19:36 | 世間のこと
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