私立はあって当然だが(なくても当然だが)、公立の義務教育学校では、制服があるのはおかしいのではないかと私は思っている。
もし教育的にどうしても必要なら、無償にするべきだ。 共同生活や授業を受けるのに、制服が必要かどうかというのはその保護者の人生観や、もっと言えば好みにかかっている。 私自身は、子どもが基準服と呼ばれる、実際は「制服」をきたいといえば着ればいいし、着たくなければ着なくてよい、と思っていた。 どちらを選んでも学ぶものはある、と思っている。 よその子にいたっては、もっとどっちでもいい。 口出しする筋合いはないと思うのだ。 しかし、自分の子どもに「制服」を着せたい人は、自分の子どもが「制服」を着るだけでは気がすまないらしく、よその子もみんなそうしないといけないらしい。 確かに、みんなで着ないと「制服」にならない。 しかしそれはちょっと、そう思わない人に対しては迷惑な話だと思うのだ。 自分の趣味を押し付けるなら、せめて、制服代を持ってきてくれて、協力お願いに来てほしいものだ。 ところで、おんなじ服を着てないと、地域の子として教育できないだろうか。 制服があった時期というのは歴史的に言えばかなり短い。そのときしか子どもはまっとうに育ってないだろうか。 ある先生が、 「制服が我慢できなかったら、社会に出たときに困りますよ。」 と言ったので、この人の社会に対する認識はこの程度のものかと思った。 自分が選んで、しかも制服を着ることをも含めて仕事ということでお金をもらう立場になったら、普通に着るものだ。場合によったら、自分の服が汚れるから「支給してくれ」というぐらいだろう。 着たくない人は、制服のない仕事を選ぶのだ。 いったい制服を着る職業の人は、人口の何割なのか。 息子についてはもう済んだことだが、思い出したのでちょっと書いてみた。 息子は実質「制服」の学校で、結局私服で通した。 着ても着なくてもよい実質上の「基準服」のなかですごしたより、得るものは大きかったような気がする。
by mayumi-senba
| 2005-10-10 01:57
| 世間のこと
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