つらいひとのつくりかた

 そばで見ていると結構楽しんでいる時間があるにもかかわらず、家族や知人に話すときにはその部分はまったく話さず、自分がいかにつらい目にあっているかということばかり話す人がいる。

 べつに何かをたくらんでそんなことをしているわけでもなさそうで、それは、自己像が「つらい人」になるメカニズムをその人の性格の中に内包しているとしか思えない。

 当然逆の人がいる。結構つらい思いをしているように見えるし、実際そのときは
 「つらい。」
とこぼしながら、振り返るとそれも楽しいことの遠景の中に溶け込んだり、どうかすると、形が変容していたり、あるいは消えてなくなってしまうような人もいる。

 幸せな気分を作る才能があるといえる。

 「つらいひと」になる人は、しかし、どこかでそのつらさを楽しんでいるように、私にはどうしても見えてしまう。つらいことというのは、楽しいのかもしれない。

 しかし、つらいに違いない。



 もちろんここで述べたのは、うつ病のときや、うつ気分というものを除いての話である。

 
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by mayumi-senba | 2005-10-18 23:26 | 世間のこと
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