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餅と猿

ある人のお兄様とその御長男は、お正月の三が日、お餅ではなくそばを食べるのだそうだ。
 その家の歴代当主はずっとそのしきたりを守ってこられたとのこと。
 18代目になるらしい。
 
 いわれは、
 「お正月にお餅を食べていて戦に破れたから、歴代の当主はそのことを忘れないために。」

 ちょっとスケールが違う話だが、私の実家では、祖父母をはじめ、彼らの子孫である一族郎党はすべて、
 「猿」
という名詞を口にすることを許されなかった。

 猿蟹合戦は、声に出して読むことが出来ない。
 自宅ではまず話題に上ることがなかった。
 学校でも、
 「私はこれを口にしてはいけないことになっています。」
などといっていた。どうしても話題にしなければならないときは、
 「さがつく動物」
とか、もう少し成長すると、
 「ほら、毛が3本足りないやつ」
などと回りくどい表現をした。もちろん不自由だった。

 なぜそんなことになったのかというと、
 祖母が息子の一人を亡くしたその日に、猿のことを話していたからだそうだ。
 それ以来、
 「猿ということを口にすると恐ろしいことが起こる。」
と祖母は思い込み、祖父や父たちはそのばかばかしさを口にすることなく付き合ってきたのだ。
 私たち孫の代になると、親たちは
 「ばかばかしいけど付き合っている。」
ということは私たちに伝えず、
 「とにかく口にするな。口にすると恐ろしいことが起こる。」
とだけ言うものだから、祖母の孫である私たちは不審ながらも口にするのを憚ってきた。
 そのうちだんだんそのことを楽しむようにもなった。

 人は、自分におきた不幸を受け入れるために、時にばかばかしく、悲しいほど果に対する因を必要とする。そのことが、何代か後には、ばかばかしいながらも、よそのうちとは違う、ということを楽しんでしまうようなしきたりになる。そんな例はそこここにあるだろう。

   あの祖母だって、本気で「猿」と口にすると恐ろしいことが起こるとは思っていたとは思わない。つらい思い出と結びついたことばで、かろうじて持ちこたえている自分の気持ちが崩れるのを避けたかっただけだ。
 
 人は、どんな時でも生きることを遊んでいる、悲しみも味わっていると私には思える。

 
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by mayumi-senba | 2005-11-16 23:56 | 世間のこと
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