癇症病(カンショヤミ)との付き合い方

 私が子どものころ、学校では何につけ背の順番で並ばされていた。朝礼というのは背の順に、しかもそれぞれの子どもの体の中心線が一直線上に並ぶように整列するものだと思っていた。

 あれは世界のどこでもしてるわけではないらしい。
 
 広場で演説しているのをそこらにいる人が聞こえる範囲で聞いているような感じで、小さな生徒も大きな生徒もばらばらだけど、でも先生の話をちゃんと聞いているのをテレビで何度か見た。
 子どもたちは、スピーカーの顔が見えるように、お互いの体を適当に、しかし合理的にずらしていた。

 人の話を聞くのに、整列する必要は、そういえば無い。

 大人になってから、整列して話を聞く機会は、一回も無かった。つまり、する必要の無い訓練をわたしはうけたことになる。

 「大人になってから必要ではないことは、訓練する必要がない。」
などというアホなことを言うつもりは無い。

 1センチのゆがみを直していた先生のことを、私は今、
 「あの人は癇症病み(カンショヤミ)だったのだ。」
と思うが、自分の趣味の世界に子どもをつき合わせているという自覚が、彼女にはあっただろうか。

 癇症病みとの付き合い方を学んだような気がするが、「逃げ方」のほうが役に立っている。

 
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by mayumi-senba | 2004-05-13 13:16 | 世間のこと
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