死ぬ準備

 刻一刻と時が過ぎ、自分の命が削られていくことに怯えていたのは、小学生のころだった。

 あのころ、残された時間が私よりもはるかに短い両親やおじやおば、そして祖父母たちが暢気な顔つきで日々を過ごしているのを、私はとても不思議に思っていた。

 命が尽きて、「自分」という意識を持ち、この身体を感じ、動かしている、このなんと呼べばよいのか、そのころの私は確か、「魂」と呼んでいたと思うが、その「自分」がいつかなくなってしまうことは確かなことであるし、その瞬間は刻々と近づいているのに、この人たちは怖くないのだろうかと、大人の底知れなさを訝しんでいた。

 私の周りの大人たちは、本当にのんきな人たちで、なぜか自分は幸せだと思っている人たちばかりだった。客観的な評価を気にしないし、多少の不幸は忘れてしまって、ツイていることだけが記憶に残るという、確かに幸せといえばこんな幸せなことはないので、今思い出しても、大太平楽な顔ばかりが浮かぶ。

 今、そのころの両親よりも年を重ねた私は、「死」をとても身近に感じていて、生きてそして死ぬ、ということが、とても自然なことに思える。

 明日死ぬことがあってはいけないので、恥ずかしいものはできるだけ処分しておきたいと思うが、淡々とそう思う。
 そう思いながら、もしかしたらかなり長生きするかもしれない。
 
 今の太平楽な私を見て、そんな風に思っている若い人はいるだろうか。
 息子は一時、
 「母さんもいつか死ぬんよね。」
としきりに言っていた。

 そんなことを考えていたら、久しぶりに妹から電話があって、いろんな話をする中で、

 「この間、窓を拭いていたらぎっくり腰になって、年取ったなあと思って。もういろんなことした。
しんどいことも楽しいこともいっぱいあったから、別にもう死んでも後悔無いな、と思うけど、平均寿命からいうと、まだ後40年以上生きることになるらしい。そう考えたらちょっとしんどいような気もするな。」

などと、病や事故で心ならずも亡くなった人が聞いたらどう思うだろうかというようなことをほざいていたが、実は私もちょっとそう思う。

 長生きしてもそれはそれで幸せだけど、明日死ぬようなことがあっても、もう十分楽しませてもらったから、という感じがある。

 死ぬ準備というのは、知らず知らずにしているものなんだ。

 こんなことを書いておこうと、ふと思ったのです。
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by mayumi-senba | 2006-02-19 22:30 | 自分のこと
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