子育てから遠い人の立派な子育て

 子どもが何か問題を起こしたときに、家庭の教育、ということが強く言われる。

 子どもが「悪い子」だったらどうしようという強いプレッシャーを、若い母親は感じている。

 子どもが「悪い子」である兆候など、普通に「子ども」を生きていたら、いくらでもある。

 だからこそ、少しずつ、ゆっくり、時間をかけて、大人に仕立てていくのであるが、若い親にとっては、自分の子が人並みに良い子であるかどうか、ということが、とても大きなことに見える。
 
 できれば自慢できるような子であってほしい。

 こんなときに、子育てから程遠いところにいる人たちから、「家庭が」「親が」と、声高に言われると、もともとプレッシャーを感じている人たちだけがさらに強いプレッシャーを感じることになる。

 「だれからも文句を言われない子育てをしなければ・・・・。」

 こういう親の元で育つ子は、幸せだろうか。自分自身を愛することができる子になるだろうか。自分自身を愛せない人に、人を愛することはできない。

 かたや、もう少し子どもに関心を持ったほうがいいのではないか、と思われる母親には、「家庭が」「親が」という声は、まったく届かない。

 子育てから遠いところにいる人たちの、「家庭が」「親が」という声は、意味がないどころか、害が多いといってもよい。

 そして、こういう人たちは、自分は両親から立派な子育てをしてもらったと思っているように見えるところが、滑稽ですらある。
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by mayumi-senba | 2004-06-03 08:55 | 世間のこと
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