スイブルスイーパーを注文してしまって、なんだか不思議な「忸怩感」をかかえつつ、サンデープロジェクトを見ていたら、代理出産の話題だった。実際に携わった医師が出演していたのを途中から見た。
「情報が開示され、慈善に基づいた代理出産であるなら、認められてしかるべきである。法整備は、個別の事情や、個別の哲学、倫理観が絡む問題について、何をするべきかということを定めるのではなく、何をしてはいけないかということについて決めるべきである。」 という意見に危うくうなづいてしまいそうになるが、やはり、私は家族というものの持つ両面性に危惧を感じる。 家族とは恐ろしいものであるなどとい言い募るつもりはない。そんなことを言わなくても、殺人や傷害事件がどのような関係の中で起こってきたかを考えると、家族は聖域といいがたい。 また、細かくは述べないが、家族のすばらしさを知らないわけでもない。 人は家族を殺す、ということではなく、家族も、人を殺人を犯すまでに追い詰める力を持つといってもよい。 今回娘の代理出産を行う母は、50台後半。出産自体が危険だし、この年代で高濃度の性ホルモンを浴びる事のリスクだって少くはないだろう。 このお母さんには、覚悟もあり、誰に押し付けられたわけではなく自発的に決定し、また、金銭の授受の問題もないかも知れない。 しかし、家族がすべてそのように、慈善の心だけで成り立っているとは、私には思い難い。 親が子に、あるいは子が親に、夫が妻に、妻が夫に、外部からはなぜだか理解しがたい権力関係が存在する場合がある。また、経済的な条件、たとえばどちらかがどちらかを養っている場合、赤の他人との関係ほどその授受の問題が明らかにされやすいわけではない。授受と認定されにくい。そればかりか、本人同士の自覚もない場合が想定される。 そんな関係がある中で、あるケースを慈善、自発的、と認定することは大変困難であると私は思う。 代理出産がいいか悪いか私には分からない。分からないが、ここだけを取り上げても、今踏み出すには問題が大きすぎると思われるのだ。
by mayumi-senba
| 2006-11-19 13:14
| 世間のこと
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