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妹背かツマか

 私は、「夫」と「主人」という言葉を、語る相手によって自然と使い分けている。相手が、「主人」という言葉のほうが安心できる人なのだと踏めば「主人」という。その使い分けに違和感も後ろめたさもない。

 私にとってと本来の「主人」いう言葉はすでに歴史的なものであり、時を経て、夫の別称に過ぎない。ある時代の「夫と妻」は、ある階層において「主人と奴婢」に近い関係であった、という歴史的な事実の痕跡である。
 今もなお八丁堀や薬研堀、鉄砲町などと呼ばれるところが、地名に歴史の痕跡を残しながら、現実はビルが立ち並ぶビジネスや娯楽の中心街であることに似ている。

 今、「主人」という言葉に、歴史的意味合いを込めている女性はいないのではないか。自分はこの「主人」の奴婢、すなわち財産としての所有物である、などとは思っていまい。「使用人」とも思っていまい。

 男女関係を盛り上げるために、とりあえず手近にある「マニュアル」を使っているに過ぎない。
 デートコースや、プロポーズの仕方の延長にある。

 多くの男女は、難しいことは言わないが、わかっていながら敢えてやっている。
 酔い痴れているときも、どこかで知っている。

 しかし、ベタに信じてしまう男も女もいる。

 だからやはり「主人」などという言葉は撲滅したほうがよい・・・か?

 ベタに信じている人は、ことごとく現実にしっぺ返しを食っている。
 その感覚では、「現実」に対応できないからだ。
 どちらかが、ふと気づいてしまう。

 だから私は思うのだ。
 「主人」という言葉を無理になくさなくても無くなるときはなくなるし、無くならなければ、
 「ここは昔鉄砲を作っている人が集まっていたところなの。」
というように、
 「女は男の持ち物だ。」
なんて言ってた時代の名残なのよ。などと、「へー。」の呼び水になる。

 ただ忘れてならないのは、私たちがこのような感覚を普通に持ち合わせることができるのは、「主人」という言葉に強い違和感を感じ、抵抗をし続けてくれた先輩たちの戦いの成果なのだ。
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by mayumi-senba | 2007-07-01 22:54 | 世間のこと
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