我が家のK嬢、あまり賢いとは言いがたい3歳7ヶ月、シーズー。
彼女は、自分が何者であるのか、ということにまったく関心がないように見える。 自分が賢いか賢くないか、チャーミングかそうでないかということにもまた関心がない。 彼女が、かわいくもふてぶてしく見えるのは、この、「自分が何者であるか」ということに煩わされない、この一点に尽きる。 ような気がする。 人間であっても、そこにあまり関心を払わない、あるいは払わなくてもすむ、払う能力がない、というような人は、かなり気楽に生きている、ように見える。 ある有能な女性が言った。 「仕事ができない、といわれるのがいやだ。」 私は彼女が大好きだが、彼女が「仕事ができないと言われるのがいやだ」といったその評価の主体である人は、どうでもいい。 もっと言えば、その人に何を言われても、わたしは痛くも痒くもない。面と向かって言われたら多少不愉快かもしれないが、私の知らないところでなら、八百万言の悪口もかまわない。 (最近中国のドラマを見るので、物言いがちと大げさ) 自分が何者であるかという幻想を形成するのに、他者の眼差しが必要である。 無論私もそうであるが、彼女は私よりしんどいだろうと思う。 しかし彼女はむしろ自覚的なのである。自分をかきたてる者が他者の眼差しであるということに。 もっとつらいのは、他者の眼差しと自分のそれとを区別できない人だろう。
by mayumi-senba
| 2007-08-13 21:50
| 世間のこと
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