出生率のこと

社会制度を考え直すべき時

 私が息子を産むころには既に少子化が問題にされていた。合計特殊出生率は1.7くらいだったかな。

 女友達はみんな、このまま減り続けるに違いないと言い合っていた。

 女が子どもを産んで、その子を育てる為に父親が傍にしてともに育てられるのが理想だが、得られる協力はその男しだい。

 若い女の子に、自分の自立の糧を捨てて、一生その協力が確実に得られる男を選べといっても、それは無理というものだし、実際失敗者を多く見ているわけだから、仕事を手放したくはない。誰にも責めることは出来ない。

 また、その、男に見切りをつけた女達に対して、我々の社会はあまりにも冷たい。

 もし出生率を上げたいなら、子どもを産んだ女が、父親がどんな男であろうと安心して子どもを育てられる。あるいは、父親がひとりでも安心して育てられる。そんな環境を作るしかない。多くの子育てをみていると、そう思える。

 私は家族の大切さを知らぬものではないが、しかし、家族の危険さも、見ぬふりが出来るものではない。多くの殺傷事件は、家族間で起きている。それは、そこにまで至らない、表に現れてこない数々の危険が家庭にあることを示している。
 ところが、逃げ出したくても、社会がそれを阻んでいる。

 家族家族、と叫けばなくとも、家族は続く。叫ばれるとかえって胡散臭く感じられる。普通に家族生活を送ることが、家族の大切さを子どもや社会に知らせるのにもっとも有効である。

 古典的な家族から脱した人たちも、新たな(広い意味の)家族を作るだろう。ひとは、支えあわなくては生きていけない。支えあうのが、どうでも子をなした男女のカップルである必要はないと思うのだ。

 子どもを産む人、育てる人を社会がサポートする。子育てをする個人をサポートするしかないと思う。

 でも「出生率を上げる。」って言葉自体が、人間に対して失礼極まりない。その非礼さに気がつかない人たちが、何をどう考えても無駄である。現実が見えないからだ。グリンピアをあちこちに造ったような、とんちんかんなことしか出来ないにちがいない。

 まず、そこに気がついてからはじめてもらいたいものだ。


「人口動態統計」厚生労働省大臣官房統計情報部」
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by mayumi-senba | 2004-07-14 07:52 | 世間のこと
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