「ほっ」と。キャンペーン

色っぽい幼児

 数年も前のことになるが、男性数人とテレビを見ていたときに、園児くらいと思われる女の子が艶な着物姿で、色っぽいしぐさで、男を思う女心を歌っていた。

 私は、若い女の子が露出度の高い服を着ているのを見ても、かわいいなと思うだけか、あんたではちょっと痛いな、と時々思う程度で基本的には気にかからない。むしろ、好感を持ってみている方だと思う。

 しかし、この幼女の搾り出すような色っぽさは、見るに耐えないものだった。自分がいったい何をしているのかわからない、その痛々しさに吐き気がするほどであった。

 「これはいけないと思うな。親もテレビ局も。」
と、私は言った。

 男たちは言った。
 「本人がうれしそうにしていることだから、いいんじゃない?」

 幼女がうれしいのは、なぜだかわからないけれど、くねくねとシナをつくって歌を歌うとまわりの大人たちがとても喜ぶ、そのことを彼女は喜んでいるんであって、あのように歌を歌うことではないのではないか。

 実際客席の大人たちはやんやの喝采である。

 彼女はこのテレビ番組以外でも、何度も同じように歌って、そして喝采を浴びただろう。喝采を浴びるたびに、彼女が大人になり、恋愛をしたときに、相手に贈るメッセージや、相手から受けるメッセージを、不適切に送ったり、不適切な受け取り方をするようになる気がしてならない。

 男と女や同性のカップルの間で交わされるコミュニケーションは、では何が適切かといわれると、一口ではいえないが、非常にまずいそれについては確かにあるのである。「適切でない」ものではないものが適切としか言いようがない。

 いつも適切なコミュニケーションが成り立つカップルばかりではないだろうが、そしてそんなカップルばかりの世の中なんてもしあっても退屈極まりないだろうが、みんな適切なときとそうでないときを経て、適切でなかったな、とか、このミッションは失敗だったなとか、そうやって味わい深く年をとっていくのだろうが、世の中には、このコミュニケーションについては「音痴}としか言いようがない人がいる。

 そんな人がいることで、人の世の中は深みを増すような気もするが、わざわざつくり出す必要はないと思う。

 

 
[PR]
by mayumi-senba | 2008-06-19 02:42 | 世間のこと
<< 警官女性射殺で大家提訴 好きって言える? >>