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それぞれの思春期 私の虚無感

 宇宙が始まってから現在までを1年にたとえると、地球上に文明が出現したのは12月31日の午後11時59分58秒だと聞いたことがある。中学生の時だったと思う。

 私はこの時、教室の中の40数人いる生徒の一人として席についていたが、暗いくらい宇宙に一人投げ出され、塵芥になったような気がした。

 ならば今ココで勉強していることは何のためなのか。休み時間の友達との楽しいおしゃべりはなんなのか。私の両親は、私という微塵を産み育ててくれているが、やはり彼らも微塵ではないか。

 微塵が英単語を覚えてどうするのか。
 微塵が泣いたり笑ったりしてなんになるのか。

 底なしの虚無感で、私はしばらくの間、生きることを止めたくなった。

 同じ頃に、私たちの体は原子で出来ているが、たとえば水素原子は、中心の陽子がピンポン玉大だとすると、数百メートルトラックの大きさの軌道上を重さのない電子が走り回っている、と聞かされた。

 とすると、今ここにいる私は、虚空ではないか。あるように見えるのはすべて幻影ではないか。ここにいる「もの思う私」は幻影なのか。ならばこの私の「思い」はいったいなんなのか。

 塵芥のような存在であるうえに、幻である自分。

 自暴自棄、なんて生易しいものではない。捨てる物もないという絶望感。

 そして宇宙にはビッグバンという始まりがあり、その前には宇宙は存在しなかった。
 
 ではその、ビッグバンの前、とはどういう状態なのか。
 考えたくなくても考えてしまって、そしてそれはとても恐ろしいものだった。無限大と思われるものの始まる前の無。
 何が怖いかといわれても、どう表現していいのかわからない。
 とにかく怖い。

 いろんな思春期があると思うが、この虚無感との戦いは、私の思春期のもっとも大きなテーマの一つだった。

 こんなことと格闘していた自分が可愛くもあるが、子ども達はそれぞれ何かと戦いながら生きているんだろうなと思うのです。


 追伸:原子の大きさについてうろ覚えで書いてしまいましたが、以下の引用が正しいと思います。原子を見たわけじゃないけど。

 
原子核の大きさは、原子の2万分の1程度である。これは、東京ドームを原子の大きさとすると、原子核は、ちょうどピッチャーグランドにピンポン玉を置いたぐらいの大きさである。したがって、原子は、スカスカの構造をしていることになる。


楽しい高校科学より

  



 
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by mayumi-senba | 2004-07-29 04:24 | 自分のこと
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