虚無は壮大な夢だった

それぞれの思春期 私の虚無感

 ダットンとアロンによる、有名な「吊橋の実験」がある。

 簡単に言うと、100メートルもの深さのある谷に架けられたた吊橋の上で女に出会った男は、自分の心臓が激しく打つ原因が、恐怖のためなのか、女性に対する恋心のためなのか区別がつかない。
 人は、自分の身におきた変化の原因を、自分自身で認知する時に、まわりに紛らわしいものがあれば容易に誤りをおかす、という結論。

 ならばあの、思春期の私の虚無感、不安感はデフォルトのものであって、たまたまそこに「宇宙」や「無限」や「無」があっただけではないか。

 私は私の不安や恐怖の原因を、自分自身で認知する時に、要するに、物語として何かを必要としたにすぎない。

 思春期とは、体内から湧き起こる不安や恐怖と、子ども達が必死で対峙している時期である。
 この年代を越すために、人々は昔から、一度子どもとして死に、大人として再生するための儀式を必要としてきた。儀式には、物語が必要である。

 私は、決して私を害することのない宇宙や無限や、そういったものに対峙することで、物語を生き、そして、生きのびた。周りから見たら、空を相手に一人チャンバラしているようなものだ。
 思えば壮大な夢を見ていたものだ。
 
 思春期とは、滑稽な芝居を演じているのに、当人だけはそれを芝居だと認知できない、悲しく切ない、そして愛しい、そんな時期なのだ。

 大人は、適当に、文字通り適当に、敵役やら背景やら、まあ、自分の役どころを心得なければならない。
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by mayumi-senba | 2004-07-29 22:29 | 自分のこと
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