その日

  ヒトが類人猿との共通の祖先から「ヒト」への道を歩み始めたその時は、ある二つの世代間にあるのだろうか、それとも何世代もの時間をかけたものだろうか。

 問いのとらえ方の違いであって、答えとしてはそのどちらも正しいのだろう。

 その「ヒト」の始まりから現在に至るまで、どれくらいの「ヒト」が生まれ、そして死んでいったのだろう。

 穏やかな、ろうそくの灯が消えるような死もあれば、痛みや苦悶の中での死もあった。自分の死後、残されたものに対する不安を抱えながらの死、するべきことは全部し終えたと思える死。死を思う間もなく突然に訪れる死・・・。

 一人の人間が想像できる範囲はたかが知れている。そんなものははるかに超えるさまざまな死に方でヒトは死んできた。

 それらのヒトの体の部分を構成していた物質は、今私の体の中に数知れずあるだろう。

 私は、そのことを思うと、私にいつか訪れる死がどんな死であっても当たり前のことだと思うのだ。

 生き物が死ぬのはそもそも当たり前だが、もっと強く深く当たり前だと思う。

 どれくらい残されているかわからない死までの時間を、どのように使えばよいのだろう。少なくとも、息子を含めた次世代以降のヒトが被る私たち世代からの迷惑を、少しでも減らすのがいいと思う。

 では何をすればよいのか、実はわからない。正しいと思っていることが正しいとは限らないということを、身に沁みて知ってしまった。

 こんな風に、その日が来るまで迷いながら生きていくのだ。
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by mayumi-senba | 2009-10-18 23:27 | 自分のこと
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