脳血管障害後の後遺症として半側空間無視、という症状がある。
右半分なら右半分が見えない、ということならわかりやすい。右半分の空間が見えていないということなら、みえていないということを認識しているので注意をするし、そちらを見たければ頭を右に回転させればよい。 この、半側空間無視、という症状が厄介なのは、見えているが認識していない、という状況で、認識できていないということももちろん認識していない。 たとえば食卓に並ぶ料理には、左半分しか手をつけない。歩いていると気には、右半身があちこちでぶつかる。右目が見えない人には起こらないことだ。 たとえば全盲の疑似体験、聴覚障害の疑似体験なら可能なことで、かつ、想像もしやすいのに比べるととてもわかりにくい症状で、疑似体験の装置としてどんな仕掛けが可能か、私には全く考えられないし、実際そんな装置はない。 ただし、理解は可能だ。認識していないことをどう理解すればよいか。 犬の嗅覚は人間より1000倍~1億倍と言われている。すなわち、100万倍ということなら、空気中を漂う匂い分子の濃度が100万分の1でも嗅ぎ取ることができるということである。 犬が認識している匂いを、私たちは認識できないし、そのことを、感覚的には認識できない。そのことを知識として知っているだけである。 けれども私たちは、そのことで特段困ることはない、と思っている。もし犬に知性があったら、 「不自由なことで、お気の毒に。」 と思うかもしれない。 こうもりが空間認識をするのに超音波を使っているということだが、これも私たちには認識できない感覚だ。 そしてなくても困らない。 私たち人間も動物たちも、そしてありとあらゆる地球上の生き物は、同じ空間で生活しながら、まったく異なる世界を生きている。 一定の空間は共有しながら、そこに存在するあらゆる物理的、化学的な物質、エネルギー、速度、変化、時間などを感じる感じ方をシェアしている。 私たちは、この、果てがあるのかないのかもわからない、始まりと終りがあるのかないのかも釈然としない宇宙の片隅の小さな空間(これは変かな、果てがないなら片隅はない)で、さらに空間は共有しながら感じ方をシェアしている。 時間もシェアしている。私たちは生まれてそして死ぬ。 私たちはあらゆる面で「部分」である。 これらすべてのありとあらゆるもの、感じ方、空間、そして私が知らないなにか、全部ひっくるめたものを、私は「神」あるいは「超越者」と感じるのである。 この部分的な感じ方で。
by mayumi-senba
| 2009-11-23 23:25
| 自分のこと
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