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カテゴリ:疑問のまま( 24 )

変わるわね

二十数年前に真っ赤な顔をして生まれてきた姪っ子が、赤ん坊を育てながら、切子作家をしている。あ、忘れかけたが夫もいる。

欲目なのかセンスがよい。

注文したがなかなか商品は届かず、というのも、結構ファンがいるので、おばさんは後回しになってるらしい。

こんなこと、読んで誰が面白いだろうか。しかし私は面白くて書かずにはいられない。

あの、手の動かし方がわからずに、意味のない動きを繰り返してばかりいた赤ん坊(当たり前だ)だった子が、いまや繊細な工芸品を作っている。

考えてみれば息子は、鱧好きのあまり自分でさばいたりしている。仕事をして給料ももらっている。

そういえば私も、父にそっくりで残念な顔立ちの赤ん坊だったが、今や、「先生」などと呼ばれている。生涯で言えば、「先生」と呼ばれた回数が最も多いのではないか。もはや、私を名前で呼ぶ人は、年長の親戚のみ。10人いるだろうか。

赤ん坊は、生きていれば年をとり、体も心も環境も刻々と変わる。

当たり前だが、私には不思議で面白いのである。
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by mayumi-senba | 2014-11-12 22:02 | 疑問のまま

六者会談

 アラーとヤハウエ、阿弥陀の三者会談、聞いてみたいですね。

 マホメットとキリストと仏陀の会談もいいですね。

 六者会談も面白そう。

 日本の神様はちょっと数が多すぎて、それに、会談などにはならなくて、宴会になってしまいそうだし。

 ギリシャの神様たちは、あちこちで色恋沙汰が頻発する、てんでばらばらの集まりになりそう。

 インドの神様たちは、どうなんだろう。
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by mayumi-senba | 2005-07-02 22:08 | 疑問のまま

ヤギの目

 ヤギの目はどんな形だか知っていますか。

 私は、ヤギが飼いたいという知人のために、インターネットで調べて見て、改めて驚いたんです。

 貯金箱の硬貨を入れるスリットの様な形ですね。アレは瞳孔でしょうか。
 びっくりしました。
 世の中がどんな風に見えてるんでしょう。
 あの形はどういう風に適応的なんでしょう。

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 ヤギなんて動物園以外で見たことがないので、外国にしかいないのかと思っていたら、昔は日本でも農家で飼っていたんだそうです。
 見たことあるはずなのに、目の形は見てなかったんですね。

ここでは日韓交流までされてます。
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by mayumi-senba | 2005-04-02 22:49 | 疑問のまま

代わりに謝罪することについて。その2

代わりに謝罪することについて。

 私がこのことを思ったのは、神戸の14歳の少年Aが、無実であるかもしれない、という記事をWEB上で目にしたときだった。

 申し訳ないが、私にとっては、彼の事件が冤罪であるかそうでないかはたいした問題ではなく、彼の親が、すでに文書の形とはいえ謝罪の意を表明している、ということのほうが引っかかったのだった。

 親には未成年の子どもの監督責任があるであろう。
 しかし、監督責任者なら、何をしてもよいということではなかろう。
 
 子どもが罪を認めている場合でも、今までの冤罪がそうであるように、冤罪であっても人は罪を認めてしまうものだと思ったほうがいい。現行犯でない限り、逮捕されても、裁判で有罪が確定するまでは容疑者である。有罪が確定しても、冤罪の可能性はある。
 
 その段階で、本人の意思とは関係なく謝罪してしまう、というのはどう考えたらいいだろう。もしかしたら、それが本人を奈落のそこに落とし込むことになるかもしれない、などと言いたいのではない。

 親とはいえ、本人の意思とは別のところで謝罪してしまってもいいものかどうか、というその一点が疑問だった。

 親が謝るのには、もちろんマスコミを含めた世間の圧力があるだろうし、世間がそう思うのが、それがわれわれの文化であれば、その同じ文化を共有している親が、謝罪してしまうのは無理もない。さらに、子が人を殺めたかも知れない、という状況で、平静でいられようはずがない。

 とは思う。さらに、確かに「殺された子どもとわが子が殺された親」がいる。被害者は確かにいる。私が被害者の親なら、犯人と思われる子の親が黙っているのはたまらない。謝罪されてもたまらないのに。
 
  そうは思いながらも、 「親が子の代わりに裁判で決められた賠償金を支払う」ということと、「謝罪する」ということの間には、距離がある、と私は感じている。

 
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by mayumi-senba | 2005-02-21 07:19 | 疑問のまま

代わりに謝罪することについて。

 ずっとずっと引っかかっていることがあります。
 自分自身に答えがあるわけではないのです。

 それは、誰かが誰かの代わりに謝罪するということです。

 もし私のおじいちゃんが誰かに大変迷惑をかけたということがあるとしたら、例えば誰かのおじいちゃんを昔殺めたことがある、と仮定します。

 そのことを私が知ったら、そして、目の前にそのお孫さんがいて、相手もそのことを知っていたら、私はどうすればいいだろう。

 A:「祖父が大変ご迷惑をおかけしまして、申し訳ありません。お詫びの申しようもありません。」
と答えたらよいのだろうか。

 B:「祖父が昔あなたのお祖様を殺してしまったことを、わたしは大変残念なことだと、また悲しいことだと思っています。私は私の祖父に対し、怒りを感じています。怒りを感じながら、しかし、私を愛してくれた祖父を、嫌いになることはできません。」
というところが、その時の私の真情に近いかもしれないな、と思う。

 もちろん、そんなことが実際にあったら、私はAと答えるに違いない。実はBなんだ、と心中に秘めながら。

 しかし、引っかかっているのそこではない。
 「人は誰かの代わりに、謝ってもいいのかな。」
という疑問がある。私には、当時の祖父に対する管理監督責任などあるはずがない。私は祖父の行為に責任はない。祖父が、もし私のためにその殺人を犯したのだとしても、私には責任がない。

 責任がない、ということにとどまらず、謝罪する権利はあるのかな、と思うのだ。
 「代わりに謝ってもいいか。」
と、問うべき祖父はもうこの世にいない。


・・・・・・・なんだか、また取り留めのない疑問です。世の中理屈で動いているわけではないので、Aと答えてしまうに違いない。少なくとも日本ではそのほうが生きているもの同士にとっては障りがないからです。

 それに、こんなことのたとえ話に引っ張り出された祖父も、いい面の皮です。。代わりに謝罪されてしまう、などというより、よほど迷惑な話かもしれない。

 


 
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by mayumi-senba | 2005-02-17 22:49 | 疑問のまま

花びらの白い色は、ホントに白いの?

 私が見ている、炎の赤、りんごの赤、と、例えば妹が見ている炎の赤、りんごの赤が同じ色をしているという保証はどこにもない。もしかしたら妹が見ている赤は、私が青だと思っている色かもしれないけれど、妹はずっと炎をその色として認識して生きてきたのだから、それをもって暖色と感じるだろう。赤は、信号のとまれの色だよ、というすり合わせをしても、何の意味も成さない。
 もしかしたら、妹の脳の中で形作られた私を私が見ることができたら、私は青い唇をした宇宙人のような姿をしているかもしれない。妹の見るオレンジジュースはブルーハワイのような色をしているかもしれない。

 こんなことを、確か中学か高校の頃に思い始めて、これもずっと疑問のままだった。

 ある日、飲み屋で愉快な男に会って、愉快に飲んでいたら、彼が大学で哲学を教えているということがわかって、このことをたずねてみた。私が疑問に思う程度のことはたいてい既に疑問に思う先人がいて、あれやこれやとややこしいことを考えて、答えなのか答えじゃないのかわからないような答えを聞けるんじゃないかと思ったからだ。

 すると彼が言下に言った。

 「それは、哲学の世界では解決不能な問題である、という決着がついている。」

 私好みな決着のつけ方ではあるが、もうちょっと、そこに至る道筋が哲学者の間でがあったんじゃないかと、実はいまだに思っている。そこに至る道筋が聞いてみたかったが、酒のせいで、すでにちっとも哲学的でなくなっている彼は、まったく違う話を始めてしまった。

 まあ、私だって、仕事を終えてうちに帰ってまで、例えば「白い巨塔」や「ナースのお仕事」なんて番組をみようとは思いませんから、わからなくもないですけど。
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by mayumi-senba | 2005-01-17 00:04 | 疑問のまま

妻の介護をする夫

 夫が妻の介護を、それはそれは熱心にされる場合があります。数としては少ないので、目立つわけです。

 訳を尋ねてみると、たいてい、
 「若い頃に好き放題してきたから。」
 「若い頃に泣かしてきたから。」
という返事が返ってきます。

 女としては、若いころにずいぶん泣かされて、しかも夫よりも早く倒れて、初めてこんな風に大切にされるのかと思うと、ちょっと割に合わない感じがします。が、妻の媚びているようにも見えるわがままを聞いている夫が、結構楽しそうに見えるのです。

 見ようによっては、若いカップルがじゃれているようにさえ感じられます。

 わからないことが世の中にはまだまだありますね。

 でも、これは、体を使った介護、例えば入浴や排泄の介助はすべて介護スタッフが行っている、というのが前提です。

 
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by mayumi-senba | 2005-01-10 23:42 | 疑問のまま

ある妻の責任・・・・責任考 2 

 夫よりもよく働き、そして収入も多い女性が言った。
 
 私の収入を夫は知りません。夫が理解があるおかげで働くことができます。だから、家事の手を抜くことはできない。夫のお弁当も晩御飯も作ります。休みの日は洗濯と掃除でつぶれます。


 この言葉を聴いたときの私の驚きを想像していただけるだろうか。
 しばらく言葉が出なかった。

 彼女は、家事全般を手抜かりなく行うことが自分の責任だと考えている。
 働くことは、夫に理解があるおかげだと。
 働き続けるためには、手抜きはできないのだと。

 彼女の収入のおかげで、家を建て、家族で外食もする事が出来る。
 夫もその恩恵を受けている。

 その夫婦の間のことであり、私がとやかく言う筋合いはない。
 ただ、驚くばかりだ。

 何故彼女は、家事全般をきちんとこなすことが自分の責任であると思い込んでいるのだろう。働くことに、夫の許可が必要であるということが、彼女にとって何故自明のことなのだろう。

 夫はなぜ、自分には彼女が働くかどうかを決定する権限がある、と考えるのだろう。

 しつこいようだが、その夫婦の間のことであり、私がとやかく言う筋合いはない。
 ただ、驚くばかりだ。

 

 
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by mayumi-senba | 2004-09-21 23:13 | 疑問のまま

父の戦略

女性の好み

母がうれしそうに私と妹に向かって語ったことがある。

 「お父さんにね、どうして私と結婚しようと思ったん?」
って聞いたら、
 「寂しそうにしてたから。」
って言うんよ。そう見えるんかなあ。

 母は、私たちと違って目が大きく、細身で、心底笑う、という姿が思い浮かばない。確かに寂しげに見えるかもしれない。言いたいことを飲み込んでしまうことを美徳としていて、耐えているところが実際に可哀想げなムードをかもし出す。

 母と恋愛結婚をした父が、そんな母に惹かれたことは事実には違いない。

 しかし分らないことがある。

 親子でテレビを見ていたりしていると、父が誰に言うともなく、
 「好きやなー。」
というのは、低い声で、というのは、女らしい媚を見せずに、自分のいいたいことしっかり言うタイプの女性。
 そう言われながら育った私たちは、それを私たちへのメッセージと感じ、しっかりいいたいことを言う子になったんじゃないかと思う。

 そんな風に育った私たちを、母は口やかましくいいながらも、嫌いではなかったようだった。自分ができないことをしている娘達を、少し羨望を含んだ愛情の目で見ていた。

 しかし、私たちが年頃になり、自分とはまったく違った生き方を選ぼうとする時、母は猛烈に反発した。私は、抑えつけられた、と感じるより、反発されている、と感じていた。

 片や、父は、こんな風に育ってしまった娘達を特に嘆くこともなく、私たちの目からは楽しげに生きていた。

 不思議なのは父である。
 自分は寂しげな母に惹かれたにもかかわらず、無意識か意識的かはわからないが、娘たちはいいたいことをきちんと言う子に育てようとしていた。

 自分は文句を言わない母にかしずかれながら、娘たちはそんな女にはしない。
というのが父の戦略だったのかもしれない。

 今、父は、
 「お母さんに愛されすぎて、有難いけどちょっと疲れるねん。」
と、いいながら、父の世話をしたくてしたくてたまらない母の、痒いところから1センチずれたところを掻かれるような世話を受けている。
 それを受けるのが愛情だという諦念の中で、穏やか生きている。
 
 二人は、ほどよく幸せな老夫婦に、私には見える。
 けれども、私は、自分の老後の幸せはそんな形をしていないと思う。



 
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by mayumi-senba | 2004-09-19 20:54 | 疑問のまま

妄想力

 今朝のNHK新日曜美術館で、ある美術館の学芸員さんが、

 妄想力

という言葉を使った。
 
 覚えておきたい言葉だと思った。
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by mayumi-senba | 2004-09-05 20:45 | 疑問のまま