カテゴリ:息子( 41 )

絵本が嫌いな子ども

 「子どもはみんな、読み聞かせが好き。」

 善意なんだろうと思うが、母親となってから何度聞かされただろう。私も、そうなんだろうと思っていた。

 息子が言葉を発し始めたころ、夜寝る前に、絵本を読んで聞かせよう、きっと喜ぶに違いない、と考え、「いないいないばあ」や、「ねないこだれだ」など、読んでみた。

 しかし私がそれを始めると、息子は私から絵本を取り上げて、
 「ポイ。」
といって、ゴミ箱に投げ入れる。そして、私にせがむのは、激しく振り回したり、高い高い、をしたり、とにかく体を動かすこと。それか、自分ひとりで遊び続けること。
 絵本を読んで喜ぶ日は、3歳になっても5歳になってもいっこう訪れなかった。そしてついに今に至るのである。

 私の読み方が悪いんだろうか、子どもはみんな絵本が好きだと、みんな口をそろえるように言うし。と私らしくもなく、悩む夜もあった。

 しかしある日、そういえば私もそんなに絵本が好きでなかったことに気がついた。子ども心に、なんかうそ臭い感じが嫌だった。それよりは外で遊ぶこと、親に怒られるぎりぎりの時間まで、そとで遊んで、うちで遊んで、遊んで遊んで、そして、ご飯を食べてお風呂に入って寝てしまう。

 息子は私の子どものころに似ていることに気がついた。それから楽になった。

 私はファンタジーや小説を受け付けない子だった。それはどうしても誰かが作った作り物の世界だから。実在の人物が出てくる歴史ものなら、子どもの目には本当のことのように思えるので、これは受け付けられる。未熟なリアリストだった。

 いつごろかファンタジーや小説に真実があることを知り、味わうことができるようになった。それはもう、いい大人になってからだ。晩生といえば晩生だ。

 そしていま、息子も活字が好きで、ジャンルを問わず読んでいる。小説も好きなようだ。

 読書好きがいいことかどうか、それは分からない。しかし、絵本が嫌いだった息子は今、本の虫である。

 こうすればこうなる、という物言いには、役に立つ物も多いが、振り回されることもないのだと思う。若い母親に浴びせかけられるものには、罪作りなものが特に多いように思う。


↑↑↑
そうそうと思ったり、面白かったと思ったときに押してください。

 
 

 
[PR]
by mayumi-senba | 2004-05-24 23:48 | 息子

アンパンマンを食べるのが怖い理由

アンパンマンとバイキンマン

 息子が小さいころ、町のパンやさんで見かけた、アンパンマンの形をしたアンパン、それから、食パンマン、カレーパンマンをお土産に買って帰ると、小躍りするほど喜んだ。そしてしばらく眺めたりいじったりしたあと食べようとした。

 息子が喜んだのはいいが、私はそのとき、大好きなアンパンマンにかぶりつくという光景がすごく不思議になって、

 「アンパンマン好きなのに、食べてしまうの?」
と聞いてみた。

 息子はハッとした顔をして、食べるのをやめてしまった。

  その後何度もアンパンマンのアンパンを買っており、そのたび息子は喜んで食べているので、息子のなかにどういう変化が起こったんだろうと、あれからずっと、どこかで思っている。

 息子に聞いてみたら、もう覚えていないらしい。

 不出来な母親である。

 不出来な母は、これから講義に出かけてまいります。


↑↑↑
そうそうと思ったり、面白かったと思ったときに押してください。
[PR]
by mayumi-senba | 2004-05-24 12:20 | 息子

人をビビらすお寺?

高い高いビル

 そういえば2年ほど前、京都でシンポジウムがあって行くことにしたら、息子が
 「僕も行く。」
と言うので連れて行くことにした。

 シンポが始まるまでに、東本願寺に行って見ようとおもい、たまたま道端に立っている僧形の人に道順を聞いてみた。聞いた後、後ろの建物を見ると、西本願寺だった。

 特別な理由があって東本願寺にいきたかったわけではないので、西本願寺でもその他のお寺でもよかったのであるが、いまさらここでもいいとも言えず、そそくさとその場を立ち去った。

 息子は、
 「僕には、そんなことできない。母さんはよくそんな恥ずかしいことができるな。」
と言うが、知っていたらしないよ。


 東本願寺に入ると、その大きさの圧倒された。人はたくさんいたと思うが、その広さと大きさのために、やはりまばらに、そして、それぞれの人たちはとても小さく見えた。

 人が大勢いるのに静かで厳かな感じ、そんな感じを味わっている私に息子が言った。

 「母さん、このお寺は人をビビらすために造ったのかな?」

 そう言われたその瞬間から、私にも、見渡すすべてが人をビビらす装置に見えてきた。

 死んだおばあちゃんが聞いたら、
 「この、バチアタリが!!」
と言われそう。

 「人をビビらす装置でもあったんだろうな。」
と思いながら、もう一度その美しくも荘厳な世界を堪能してきた。

 その後、私はシンポに、息子は気ままな京都めぐりをしに、別行動となった。
 ホントは、息子にくっついていって、見るもの聞くものが息子の目にどう映るのか、その場で聞いてみたいような気がしたが、それはよした。
[PR]
by mayumi-senba | 2004-05-19 13:18 | 息子

子どものメルクマール その2

息子がある日、言った。

 「母さん聞いて。僕びっくりした。」

 その内容。

 あるところに男の子がいて、とても優秀な子であったがうちが貧しいために上の学校に上がれなかった。彼は、学問をあきらめてまじめに仕事をするかたわら、数学の独学を生涯の楽しみにしていた。
 そして数十年の月日が流れ、彼が初老とも呼ばれる年齢に達したころに、ついに世紀の大発見を成し遂げた・・・と思ったらしい。

 その発見とは、二次方程式の解き方であった。ご存知のとおり、中学2年生で習うことである。

 息子は、
 「悲しい話だな。」
と言った。私もつい、
 「人間が一人の力で一生かけてできることというのは、この程度のものなんだよね。」
と答えた。

 しかし彼は、ポンと教わってしまった私たちが味わうことがなかった、途中のもどかしさやひらめきや、そのひらめきが的から外れていたときの落胆を楽しんだだろう。

 当たり前のことだが、ポンと教わってしまった私たちと彼のどちらがより数学を楽しんだことになるのかわからない。彼の数学が道楽なら、私が学校で習った数学も道楽なのだ。その証拠に、社会にでてから二次方程式の解き方を知っていたために役に立ったことは一度もない。息子に聞かれて
 「知ってるよ。」
と答えられた、という程度のことだ。

 彼を単にかわいそうな人と見るかどうかも、子どものメルクマールになるように思う。
[PR]
by mayumi-senba | 2004-05-15 14:10 | 息子

私に聞くな!!

少年Aによる神戸児童連続殺傷事件の頃、テレビでしきりに言われていたのは、
 
 「なぜ人を殺してはいけないかと子どもに聞かれたら、どのように答えたらいいのかわからない。」

ということだった。息子はそれを聞いて、自分も聞いてやれと思ったのか、私に向かってその言葉を吐いたのだった。

 私にはとっても簡単なことだった。

 「あなたが誰かをを殺してもいい社会を想像してごらん。あなたが誰を殺してもいいのかもしれないけど、その代わりに誰があなたを殺してもいい社会なんだよ。そんな社会ってイヤじゃない?貴方だけじゃなくて、父さんや母さんを殺してもいいんだよ。困らない?
 みんなで、誰が誰を殺すこともなしにしようっていうことを約束しといたほうが気楽に暮らせるでしょう。」

 小学生である息子はそれで納得した。

 実は、これでは、
 「自分が死んでもいいから誰かを殺したい。」
という人間をとめることは出来ない。
 
 しかし、そのことに気がついても、息子にそれ以上のことを言う必要は感じなかった。

 自分が死んでもいいから誰かを殺したい、という人間には、
 「ほんとにほかに方法はないのか、殺すしかないのか、貴方はそこを考えたか。ほんとか?」
と問うしかない。

 間違えないで頂きたいが、前提は、「子どもに問われたら大人はどう答えればよいか」
ということであって、実際今まさに殺人を犯そうとしている人間を目の前にして答えるということではない。そのときはそのときに出来ることしか出来ない。

 本気で自殺しようとしている人を止められないように。
   (本気じゃない人は、本気じゃないので止める必要はない。)

 わたしはこう思うのだ。

 そんなことは子どもが自分で考えればいい。何でもかんでも大人が答える必要などない。
 私は私で、あなたの母親として、また一人の人間として生きていく。

 [何故人を殺してはいけないか]
ということなど、私に聞くな!!


 追伸:これを読んで息子が言った。
 「聞くな!って言われても、僕聞いてないのに・・・・・。」


はい、そう言われればそうでした・・・。
 
[PR]
by mayumi-senba | 2004-05-11 00:35 | 息子

予言

 息子が5年生になって間がないころだろうか。
 
  子どもたちを見ていると、じゃれ遊んではケンカをしているというような、さながらサル山の子猿が、将来の権力闘争の練習をしている様相のころのこと。

  誰かが、
 「お宅は子どもがケンカしても怒らないんですか?!」
と言っていたが、おかしなことを言ってもらっては困る。うちの息子ほど「ケンカをするな」と叱られた子も少ないだろう。ケンカするから怒る。ケンカしなければ怒らない。

 ケンカするなと言ったらケンカをしないというようなものではない。

 私は息子に言った。
 「もうすぐあんたたちはケンカしたくてもできなくなる。多分6年生になったらそうなる。」
 
 当然息子は、
 「どうして?」
と聞くので答えた。

 そうやってケンカを繰り返しているしているうちに、誰が誰より強いか、本人もまわりもケンカしなくてもわかるようになる。するとけんかする必要がなくなる。
 どちらが強いかわからない場合は、お互い、ケンカをして万一負けるようなことがあっては取り返しがつかないので、双方がケンカを避けるようになる。
 かくしてあんたたちはケンカをしなくなるのである。

 そして6年生の時だったか、息子が言った。
 「母さん、僕らホントにケンカしなくなった。」

 そのときの息子の眼差しには、母親を見るというより人生の師に出会った、というような驚きと尊敬の念が含まれていた。

 もちろん後にも先にも息子がそんな眼で私を見たのはそれ一回きりだ。
  
 私がそんなことを言えたのは、身に覚えがあるからだ。
[PR]
by mayumi-senba | 2004-05-08 14:59 | 息子

性教育の失敗

 息子がまだ園児のころ、
 「赤ちゃんはどこから生まれてくるの?」
と言った。食事の支度をしていて忙しく不意を突かれた私は、
 「膣から。」
と言ってしまった。

 「それってどこにあるの?」
 「おしっこの穴とウンチの穴の間。」
 「そんなのないよ。」
 「女にはあるの。」

 それ以上は関心がないのか、息子は、
 「ふーん。」
といってまた遊びに行ってしまった。

 こんな筈ではなかった。

 私はずっと、子どもには
 「赤ちゃんはへそから生まれる。」
と教えるつもりだった。嘘を教えておいて、いつか母が嘘をついたことを知り、私の本棚にあるものをこっそり読んで、私が気がつかぬ間に真実母の恥らいを知り、母と子はお互い死ぬまでそのことには触れない。

 そういうストーリーを夢見ていたのだ。

 しかし、むすこの不意打ちにより母の夢は脆くも崩れ去った。
[PR]
by mayumi-senba | 2004-05-01 14:00 | 息子

写真とビデオ、儀式に必要なもの。

 私は写真をとろうとかビデオに残そうということが頭に浮かばない人間だ。が、さすがに息子が小さなころまでは、私なりにはよく撮っていた。だから、息子の小学校の低学年くらいまでの写真はたくさんある。
 
 息子が小学校の3年生のころだろうか。彼がこっそりその写真やビデオを見ていることに気がついた。

 そこに写っているのは、夫や私に抱っこされたり「タカイタカイ」をされたりする自分、無心に砂遊びしたりかけっこしたりする自分。

 この子は今、自分が愛されていることを確かめたいのだと感じた。
 そしてこの写真やビデオで愛されている自分を感じてるのだと思った。

 私は赤ちゃんのときのように抱っこしてあげたい衝動に駆られたが、それは止したほうがいいと思った。せっかく彼が、赤ちゃんのように甘えたい気持ちを必死にこらえているのである。その、こらえている彼の気持ちを大切にしたかったのだ。

 それからしばらくの間、
 「母さん、一緒に寝ていい?」
といって、夜には私のベッドに入ってきた。何日かすると、
 「ぼく、もう一人で寝る。」
と言い、枕を持って自分の部屋に帰っていった。

 当時、私の知らない所で彼に何が起こっていたのか詮索しなかった。いまだにわからないままである。
あのとき、息子は自分で儀式を行い、「おさなご」から「少年」になったのだと私は思っている。



 
[PR]
by mayumi-senba | 2004-04-11 07:21 | 息子

疑われてるんだよ!!

 息子が銀行に、50ドルの海外送金小切手を作りにいった。私が近くの支店に行くと、
 「本店でないとできません。」
と言われたためだ。おかしな話である。そんなもの作るのにいちいち本店までいくのなら、本店まで100キロあるところの人は作るなと言っているに等しい。

 Tシャツにジーパン姿で銀行に入り、あて先や小切手の種類などを書いたメモを探し出すためにズタ袋のようなナップサックをまさぐっていると、スーツ姿の行員が頼みもしないのにやって来て、
 「どういうご用件ですか?振込みですか?お引き出しですか?入金ですか?どういったご用件ですか?・・・」
と矢継ぎ早に質問してきたらしい。
 「どういう用件なのかを見るためにメモを探しているからちょっと待っててください。」
と言っても、まだなにやら言っていた、ということで息子は偉く不審がっていた。
 「あの人は何であんなに僕を質問攻めにするんだろう?しかも壁には笑顔でお出迎えみたいな標語まで貼ってあるのに、なんか不機嫌そうに。不愉快だ。
 「そんな格好で金の無さそうな若い男が銀行の中でズタ袋まさぐってたら、銀行強盗でもするんじゃないかと思ったに決まってるじゃない。行員さんの行動は正しいよ。」
と私が答えると、
 「エッ!僕疑われてたの?エッ!僕って、小さいころいつも女の子に間違えられてたよね。」
と驚く。自己イメージって、大人でも現実からかけ離れていることがあるんだからしょうがないかもしれないけど、そんなに驚かれると息子の自己認識能力に不安を感じてしまう。

 10代後半以上の若い男は、世の中にとってどの時代も、いつ馬鹿なことをやらかすかわからない怪しい存在なのだ。周りはみんなそう思っているのに、本人たちにはそう思われているという自覚がないのか。

 窓口で用を済ませてから、
 「1ドル104円で買って、106円で売る、その2円はどうして決まるんですか。」
とたずねたらしい。為替レートの決まり方はわかるけど、2円はいったいなんだとおもったとのこと。
 「ややこしいので、すぐに答えられない。」
と言われて少しムッとしたらしいが、当たり前である。子どもに質問されたら大人は答えなきゃいけないなどということはない。答えたくないときは答えない。気が向いたら答える。それでいいのである。

 でも、50ドルの送金小切手に手数料4000円は、私もなぜだか聞いてみたい。

 それにしても、子どもって銀行にいくだけでこれだけ楽しめるんだから、やめられないだろうな。
[PR]
by mayumi-senba | 2004-03-31 13:35 | 息子

効かない脅し・・・子どものメルクマール

 昨日、友人が自宅に遊びに来てくれて、さまざまなことを話しているうちに思い出したことがあった。

 息子が保育園か小学校の低学年のころ、私に怒られたか何かで拗ねているとき、
 「もう、僕、ママの作ったご飯たべないもん!!」
と言った。私が、
  「あなたが食べなくても、ママのおなかは減らないんだけど。」
と答えると、黙り込んでしまった。
 風情としては精一杯私を脅しているつもりらしいが、その言葉は全く脅しとしての機能を果たしていない。私は、これが子どもなんだ、と、何か大きな真実に触れたような感動を覚えた。

 以来私は、この、「効かない脅し」を使うかどうかを、年齢に関係なく、この人は大人、この人は子ども、と判別するメルクマールにしている。

 

 
[PR]
by mayumi-senba | 2004-03-29 11:37 | 息子