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カテゴリ:世間のこと( 215 )

従軍慰安婦問題について

  知人が、従軍慰安婦問題について、
 「アメリカで在米コリアンからひどい言われ方をした。しかし、僕はきっぱり反論できる。」
と言った。

 根拠は、

  「日韓併合まで、朝鮮には奴隷制度があり、売春は制度的に存在した。日本がその制度をなくしたのである。日本では、人身売買は戦国時代よりのちに、少なくとも制度上はない。」

  これが何の反論になるのか私にはわからない。

  それで思い出したが、10年以上前に、フェミニストの女性から、
 「従軍慰安婦についてどう思うか。」
と、私には唐突に思えたが、そんなことを問われたことがある。

 私は、従軍慰安婦と呼ばれる人たちが、日本人に何人、朝鮮に何人いて、どういういきさつでそのようなことになり、どういう扱いを受けたのか、戦後、どのような生活を送るはめになったか、細かく詳しいことは知らなかった。

 で、私は答えたのだ。

 「戦争になれば、いつも、どこでも、性行為を強要される女性がいて、それは、日本にだけ起こったことではない。どこの国にも、そのような歴史があり、それらはすべて、いつのどこの時代だから許されるということではない。しかし、ほかの国のことは、その国の人がまず反省をし、日本人はまず日本人が行ったことについてしっかり反省しなければならないが、それはまだ十分には行われていない。」

 あまりも雑な議論であると思われたのか、彼女は何も答えなかった。

 その後、多少は知識も増えたが、今もなお私のこの問題についての考えは上記のレベルを脱していない。
 
 「お前の息子も万引きをしたのだから、うちの子の万引きを責めるな。」
というのは、心の中で思っても、「うちの子の万引き」について話しているときに、口にしてはいけない。

 何がいけないかと言うと、ギャラリーを意識していないからだ。言い合う相手の口は塞ぐことができるかもしれないが、ギャラリーはどう思うだろうか。
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by mayumi-senba | 2010-01-27 20:58 | 世間のこと

神経質の別名

  神経質、といわれる人がいる。

  たとえば、薬を処方するときには、一応副作用について説明しないといけないので、たとえば、
 「肝機能障害が出ることがあります。」
というと、
 「そんな薬なら飲みたくない。」
と答える。薬を飲まない危険を説明しても、副作用、という言葉がもう魔物のように心を占めているのだろう。聞く耳を持たない。

  「血圧が高いので、薬を飲ませてほしい。」
というが、何度計測しても、高いとは言えない。いつ高いのかと聞くと、動き回ったとき、と答える。私たちがいう血圧というのは、安静時血圧のことで、動き回っている時ではない。また、その動いているときの血圧というのが、どうということのない値。
 血管が破れないかと不安なのだ。
 それぐらいで破れていたら、日本中脳出血だらけである。
 
 でも、これらはまだ本人が自分のことについての意思決定なので、私はとやかくは言わない。

  患者に意思決定能力がない時、家族にこの手の人がいると、患者の生活の質が格段に悪くなる。あらゆる危険を避けようとすると、じっと寝ていることですら危険である。

  どんな人生にも、危険と快適さとのバランスが必要だということが分からない。

  意思を伝えることができる間に、キーパーソンとなってくれる人を選べるなら選んでおいたほうがよいし、意思を伝えておくほうがよい。

 何が言いたかったか忘かけていた。

 神経質、というのは、鈍感の別名である。

 

 
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by mayumi-senba | 2009-12-20 14:29 | 世間のこと

30億年から40億年後

   30億年から40億年後に、我々の天の川銀河と隣のアンドロメダ銀河は、二つが合体して新たな渦巻き状の銀河を形成することが予測されているが、空間にはまだまだ余裕があるため、星の衝突はあまりおきないと考えられている。

 ・・・・らしい。

 「楽しみだ。」
と美しい天文学者が笑顔で語っていた。

 実に景気の良い話で、この世のどんな事をも「小さな取るに足らないこと」にしてしまう。
 嘘でもほんとでも、どっちでもいい。

 スカパーのTHE HISTORY CHANNELに、「ザ・ユニバース」という番組があって、私は楽しみに見ている。
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by mayumi-senba | 2009-11-06 00:29 | 世間のこと

続 事件報道における容疑者の扱いは急に変化したのだろうか

事件報道における容疑者の扱いは急に変化したのだろうか

 しかし、容疑者の名前と顔をふせたままでも、近所に住む人たちにはわかるだろう。家族がいれば、その家族もつらい思いをする。

 たとえば、探せばだれにでもある恥ずかしいことを、テレビで騒ぎたてられては、その地域で生きていくのが難しくなるかもしれない。

 さらにいえば、我々の社会は容疑者の段階で雇用が危うくなるような未熟な社会である。

 すべて、もし無罪ならその元容疑者や家族に対してどう償えばよいのか。

 かといって、報道が容疑者の名前も顔も、周辺の情報も流さなければ、誰が容疑者としてとらわれているのかがわからない。それでは、正当な捜査と裁判が行われているかを確認する方法がなくなる。

 しつこいようだが、私が論じているのはあくまでも容疑者という段階のことである。

 考え始めれば、いくらでも問題が出てきそうだが、ずっと考え続けなければならないことだと思うのだ。

 そのうえで、今回の報道の変化は、一つの試みであると思う。
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by mayumi-senba | 2009-11-06 00:16 | 世間のこと

事件報道における容疑者の扱いは急に変化したのだろうか

 お昼休みに医局に戻ると、テレビにクックル嬢にそっくりなシーズーが映し出されていた。

 ほんとによく似ているなと思っていたら、今、結婚詐欺と男性の不審死で容疑者となっている女性が飼っているペットということだった。

 ご近所のみなさん、断じて言いますが、あの容疑者は私ではありません。

 私には、男性からお金を引き出すという能力が、決定的に欠落しています。

 せいぜいがんばって食事をご馳走になる程度です。

    ・・・・・・・・・・・・・・ 年齢は私のほうがちょっと上です。

とこのようなことを書くのは、この容疑者の顔がぼかされ、名前も、少なくともテレビでは公開されていないからだ。

 和歌山カレー事件の時のことを考えると、なんなんだ、この違いは。いつからこんなことになったんだ?

 でも、冷静に考えると、彼女はまだ容疑者である。万一裁判で無罪になるようなことがあれば、彼女についての現在の報道は、もし名前と顔が公表されていれば、無罪である彼女の人生に取り返しのつかない致命的で不当なダメージを与えることになる。

 容疑者の名前と顔を公表しないことは、犯罪者の人権を過大に守るということではない。

 裁判で有罪が最終的に確定されてから、罰を受け罪を償うのが道理ではないか。なぜ先走って制裁を与えるのだ。

 オーム事件の時の河野さんの苦しみを、我々はどうやって償えばよいのかわからないまま、今に至っている。

 志布志事件はついこの間のことだ。

 言い渡された刑に服し、社会的な制裁を受けるのは、罪が確定してからで遅くない。

 容疑者に対するこのような扱いの変化は、私はテレビをあまり見ないのでいつからかわからないが、結構なことであると思う。

 政権交代の影響だろうか。
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by mayumi-senba | 2009-11-04 21:29 | 世間のこと

無常観

苦の娑婆

  祖母のこの言葉を、無常観と言い当てられて、私は初めて無常観というものが腑に落ちた。

  高校の古典で教えられてから、幾度目にし耳にしても、言ってみれば隔靴掻痒。

  ゆく川の流れもうたかたも、花も若さもゆかしいものではあったけれど、何か違うと思っていた。

  子どものころに、祖父も祖母も、父も母もいつか死ぬ、と気がついたときに、どれくらいの期間だったか忘れたけれど、長い間、私はそのことにとらわれ気分は晴れなかった。受け入れがたかったのだ。

 息子が生まれたときにもそれを思い、嬉しかったが悲しかった。

 これがそうだと言われたら、ことりと音をたてて胃の腑に落ちた。
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by mayumi-senba | 2009-11-03 19:10 | 世間のこと

苦の娑婆

  まだ祖母と一緒にに暮らしていたころ、だから大学に入るまでの間のこと。

  祖母が何かのおりに、
  「苦の娑婆やな。」
と、寂しそうに、つぶやくように言うのを何度か聞いた。

  私が知らない時期はいざ知らず、その頃の祖母は、すべての子がちゃんと大人になり、それぞれがみんな子どもをもって、たくさんの孫がいた。その孫たちも、私といとこの一人が少し多動気味なのと、時々おばたちがそれぞれの夫と犬も食わない夫婦喧嘩をする程度で、孫、子はみんな幸せに暮らしていた。

  祖母の夫である祖父も、とっくに女癖はやみ、いつも楽しそうな「おじいさん」になっていた。

  そして祖母も、多くの時間を笑顔で過ごす「おばあさん」だった。

  だから、祖母のあの言葉は、私には不可思議なものだった。

  この前、友人が、
  「仕事とはいえ、人の不幸に立ち会うことが多いのに疲れてきたな。」
とつぶやいた。

  そのとき私は、あの祖母の言葉をありありと思い出した。

  私が学校から帰ってくると、祖母のもとには近所の同年輩の女の人たちがよくきていた。祖母は、愚痴なのか、悩みごとなのか、その人たちの話を聞いていた。
  テレビのニュースもよく見ていた。

  祖母には学があったわけではないので、政治的なことや社会的な問題については詳しくわからなかっただろう。けれども、世の中につらくて苦しいことが山ほどあるということを知っていた。

  私はあの祖母の言葉の意味が、少しわかったような気がしてきた。

  今、私には特に悩まなければならないことは、ない。体調がよくないときだって、そんなもので悩んでいたわけではない。

  でも、今の世界の状況は、決して威張って次世代に誇れるものではなく、日本にも、世界にも不幸がたくさんあって、自分はさておき、こんな世の中でわが子やまだ見ぬ孫は幸せに暮らしていけるだろうか、とふと思う。

  世の中の不幸について、直に苦しいのではなくて、あんなことが自分の子孫におこったらと考えると空恐ろしくなることがある。実にエゴイスティックな不安である。

  祖母は、そんな思いを抱いたときに、自分をなだめるために、あの仏教から学んだ言葉をつぶやいたのかもしれない。

  いつかまたちがった思いを持つかもしれないが、祖母の心を少し知ったような気がして、書き残しておきたかった。

  
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by mayumi-senba | 2009-11-02 20:22 | 世間のこと

中国ですね!!

海南でワニ46匹脱走―当局発表「食べてもいいから、捕まえて!」

なんか、カッコイイ感じがしてしまう。
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by mayumi-senba | 2009-10-30 21:10 | 世間のこと

安全神話崩壊のパラドックス

埋め込みというのをちょっとやってみた。内容はもちろんお勧めですから、ぜひ見て!










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by mayumi-senba | 2009-10-25 22:20 | 世間のこと

成長しそびれた人

  老人は、いわゆる学校学力や一般教養というものがなくても、さえらに言えば認知症になったり、身体を悪くされて介助が必要になったりしても、ふつうは、その子どもさんや、お孫さん、近所の人たちから敬愛されているということが伝わってくる。その人のそれまでの人生が垣間見えるものである。

 そんな中に、時々、この人は一体この70年や80年をまったく成熟するという方向にエネルギーを割いてこなかったのではないか思われる一群の人たちがいる。

 人々から敬愛を受けるには、知恵の蓄積による成熟が不可欠で、その知恵の正しい使われ方は、人も自分も幸せにするところにあるのだ。

 成長できなかった人。

 思いつくままに書いてみる。

 被害者意識が強い。
 世の中は自分のためにある。
 自分に親切な人はいい人で、不親切な人は悪い奴。
 自分が注目されるためなら思いもかけない方法を使う。
 だからといって、それが効果的であることはない。(「もう死んでしまいたい」と言われても、私は困らない。」)
 自分が困っているときは誰かが必ず助けなければならない。
 助けを求めているのに断るのは悪い奴。
 理屈ではない。
 問題を解決するために頭を使わない。

 これぐらいにしておこう。

 
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by mayumi-senba | 2009-10-17 19:27 | 世間のこと