カテゴリ:自分のこと( 90 )

オッサン

 大根の葉っぱとじゃこの炒り煮をつまみに、バーボンを飲みながら司馬遼太郎の対談集を読んでいる私は、もしかしたらオッサンかもしれません。
[PR]
by mayumi-senba | 2009-12-03 23:15 | 自分のこと

半側空間無視に思う

 脳血管障害後の後遺症として半側空間無視、という症状がある。

 右半分なら右半分が見えない、ということならわかりやすい。右半分の空間が見えていないということなら、みえていないということを認識しているので注意をするし、そちらを見たければ頭を右に回転させればよい。

 この、半側空間無視、という症状が厄介なのは、見えているが認識していない、という状況で、認識できていないということももちろん認識していない。

 たとえば食卓に並ぶ料理には、左半分しか手をつけない。歩いていると気には、右半身があちこちでぶつかる。右目が見えない人には起こらないことだ。

 たとえば全盲の疑似体験、聴覚障害の疑似体験なら可能なことで、かつ、想像もしやすいのに比べるととてもわかりにくい症状で、疑似体験の装置としてどんな仕掛けが可能か、私には全く考えられないし、実際そんな装置はない。

 ただし、理解は可能だ。認識していないことをどう理解すればよいか。

 犬の嗅覚は人間より1000倍~1億倍と言われている。すなわち、100万倍ということなら、空気中を漂う匂い分子の濃度が100万分の1でも嗅ぎ取ることができるということである。

 犬が認識している匂いを、私たちは認識できないし、そのことを、感覚的には認識できない。そのことを知識として知っているだけである。

 けれども私たちは、そのことで特段困ることはない、と思っている。もし犬に知性があったら、
 「不自由なことで、お気の毒に。」
と思うかもしれない。

 こうもりが空間認識をするのに超音波を使っているということだが、これも私たちには認識できない感覚だ。
そしてなくても困らない。

 私たち人間も動物たちも、そしてありとあらゆる地球上の生き物は、同じ空間で生活しながら、まったく異なる世界を生きている。

 一定の空間は共有しながら、そこに存在するあらゆる物理的、化学的な物質、エネルギー、速度、変化、時間などを感じる感じ方をシェアしている。

 私たちは、この、果てがあるのかないのかもわからない、始まりと終りがあるのかないのかも釈然としない宇宙の片隅の小さな空間(これは変かな、果てがないなら片隅はない)で、さらに空間は共有しながら感じ方をシェアしている。

 時間もシェアしている。私たちは生まれてそして死ぬ。

 私たちはあらゆる面で「部分」である。

 これらすべてのありとあらゆるもの、感じ方、空間、そして私が知らないなにか、全部ひっくるめたものを、私は「神」あるいは「超越者」と感じるのである。

 この部分的な感じ方で。
[PR]
by mayumi-senba | 2009-11-23 23:25 | 自分のこと

愛について考えた。

  よく知らないけれど、「ミロス」という何かをメールで知らせてくれた若い人に当てたメールを残しておこうと思う。

 ○○さん、こんにちは。私は、「愛」とはなにか、ということを突き詰めて考えたことはありません。

 ただ、生きているだけで見えてくることがあります。それは、「愛とは何か」という問いにも、「愛の方法」にも、答えと呼べるようなものがたくさんあって、それらはすべて本当のことだけれどでも互いに全く整合性がないのです。

 私は数学や物理が好きな子でした。整合性のあることが好きな子だったんですね。ところが、整合性がとれないからこそ真実に近い、ということが世の中にたくさんあります。そのことを知ったことが、年を重ねてきてよかったと思えることです。

 私は、「愛」に原理はないと思います。ぼんやりとしてつかめないけれど、確かにそこにある、という形で存在するものだと思います。「ぼんやりしたイメージ」というのは、むしろ私には正確な表現に思えます。

 「ミロス」というものは、愛の一つの形を教えてくれるのかもしれませんが、「愛」とは誰かが「原理」と称し独占して語る言葉ではなく、多くの人の語る言葉や、多くの人の行いの中からそれを見出し、さらに一段と「ぼんやりしたイメージ」で膨らませていくものだと思います。

 私は、○ ○さんのメールの中の、「論理」とか「スッキリ解消され」という言葉に違和感を感じています。私が思う「愛」からは遠い言葉だからです。

 人は、答えがあるようでないような問いを抱えながら生きていくほうが、人としての深まりが増していくような気がします。

 今月初めに出会ったばかりのものなら、恋で言うならまだ何も見えずにのぼせ上っている時期です。

 いい、悪いということは言えませんが、宗教であろうとなかろうと今の段階で人に薦めるのは○○さんにとってプラスにはならないと思いますよ。○○さんのことが好きだから、あえてメールをします。

[PR]
by mayumi-senba | 2009-11-22 20:17 | 自分のこと

上田正樹がやって来る!

  今年の年末、ANAホテルのディナーショーに、上田正樹がやってくる!

  WEBで目にして日程を確認した、その直後に私は予約を入れた。

  今年は私にとって良い年となりました。

        以上 総括終り

 
[PR]
by mayumi-senba | 2009-11-08 01:31 | 自分のこと

伝え上手

 子どもの頃、私には爪をかむ癖があって、爪切りを使って爪をつむということがなかった。

  父にもその癖があって、たぶん無意識に真似ていたのだろう。

  祖母も母も私を叱ったが、父は、私を叱るように言われると、
 「爪を噛むのはやめとき。」
としかたなくいうくらいで、ちょっと困っているようだった。

  父もそうだが、本とか映画とかに熱中すると、気がついた時には痛いくらい爪が短くなっていた。

  中学の頃だったか、父がどこかに旅行したお土産だといって、爪の手入れをする道具がセットになったものを買ってきてくれた。ネイルサロンにあるような道具がセットになって、小さなポーチに収まっていた。ポーチの色は、少し落ち着いた感じだけど、ピンクだった。

 旅行のお土産にネイルセットなんか見たことがない。
 
 父がどこでどんな顔をして買い求めたのだろうかと思う。

 それでも私は、爪をかむ癖がやまなくて、結局、そのネイルケアセットを使うことはなかった。使わないまま、今も引出しにしまいこんである。

 今の私は月に一度ネイルサロンにいき、深爪にすることはないが、手入れをしてもらうたびに、そのセットのことを思い出す。

 私も妹も、父に愛されたという実感をたっぷりもっている。

 愛情深くて、それを伝えるのがとても上手な人だったな。
[PR]
by mayumi-senba | 2009-10-29 22:06 | 自分のこと

朝の海

 通勤に山陽道を使っているので、毎日朝の瀬戸内海を眺めてから仕事にはいるという幸福な日々を送っている。

 大小の島々に囲まれた狭い海だが、今頃の季節から春ごろまで、朝日の中でさざ波が金色に煌めくのだ。

 波が打ち寄せるときには、一条の波頭がさらに光り輝きながらこちらに向かってくるのが見える。

 つい、太陽光線の入射角によるのだと一瞬頭をよぎるが、古代から今に至るまで同じ輝きだったに違いない。

 古の人々は、この光の中に何を見ただろう。

 私は、畏れとともに喜びを感じる。これは宗教者が神や仏に感じるものと同じではないか。

 今の私は祖母のように毎日仏壇に手を合わせる習慣はないが、この海を見ると、祖母が目を閉じて合掌し念仏を唱えていたときの心のあり方をなぞっているような気がする。

 

 
[PR]
by mayumi-senba | 2009-10-24 23:00 | 自分のこと

何のバチで・・・は「ミーム meme」です。

  ここ数日の記事を読み返してみると、死ぬ、だとか、厄介なお年寄りのこととか、切断された腕の話とか、あまり明るいとはいえない話題ばかりで、なんか、うつ状態にでも陥っているんじゃないかと思われそうですが、そんなことはありません。

 私が調子の悪い時は、仕事も十分できなくて、こんな駄文を書き連ねるエネルギーなどありません。

 悲しい気分や、気分の落ち込みなどはなく、天気の悪い日に気が遠くなってついには寝込んでしまうというものでした。

 それで、実は職場の諸氏に大迷惑をかけるのを承知で7月と8月の2カ月にわたって休ませてもらったのです。

 「一度じっくり休んでしっかり治したほうがいいよ、その間は何とかするから。」
と言ってくれた同僚諸氏の言葉に感謝し甘えて2カ月しっかり休んだら、天気が悪くなっても気が遠くならなくなりました。

 患者さんにはそんなことを言っておきながら、いざ自分に起こるとなかなかまとまった休みを取れないもので、今回、休むことの大切さを身にしみて知りました。

 ところが厄介なことに、朝夕は大丈夫なのに、昼ご飯をしっかり(普通に)食べるとそのまま意識が遠くなって寝込んでしまうというという症状が残っていて、現在もお昼はカロリーメイト2本で我慢しなければなりません。

 そうすると寝込まずに済みますが、その代わり午後はひもじさに苦しめられます。途中でクッキーやおせんべいを食べて空腹を紛らわせています。この飽食の時代に飢餓ですよ。

 私はいったいどんな悪いことをしてこんなことになってしまったんだろう、と考え込みます。

 これは医者としてあるまじき考えです。病気になった人は、多少生活習慣などが影響するとはいえ、やはり体質や環境などの影響が大きく、決してバチが当って病気になるのではありません。

 でも自分に起こると、つい、
 「何のバチで?」
と考えてしまうのは、祖母やおばさん達がちょっと困ったことがあるとこれが口癖だったからです。
 
 学問的には「ミーム meme」と呼ばれている概念ですね。

ここ参照

 関西圏には「何のバチで」が多いと思います。

  
 
[PR]
by mayumi-senba | 2009-10-19 21:14 | 自分のこと

その日

  ヒトが類人猿との共通の祖先から「ヒト」への道を歩み始めたその時は、ある二つの世代間にあるのだろうか、それとも何世代もの時間をかけたものだろうか。

 問いのとらえ方の違いであって、答えとしてはそのどちらも正しいのだろう。

 その「ヒト」の始まりから現在に至るまで、どれくらいの「ヒト」が生まれ、そして死んでいったのだろう。

 穏やかな、ろうそくの灯が消えるような死もあれば、痛みや苦悶の中での死もあった。自分の死後、残されたものに対する不安を抱えながらの死、するべきことは全部し終えたと思える死。死を思う間もなく突然に訪れる死・・・。

 一人の人間が想像できる範囲はたかが知れている。そんなものははるかに超えるさまざまな死に方でヒトは死んできた。

 それらのヒトの体の部分を構成していた物質は、今私の体の中に数知れずあるだろう。

 私は、そのことを思うと、私にいつか訪れる死がどんな死であっても当たり前のことだと思うのだ。

 生き物が死ぬのはそもそも当たり前だが、もっと強く深く当たり前だと思う。

 どれくらい残されているかわからない死までの時間を、どのように使えばよいのだろう。少なくとも、息子を含めた次世代以降のヒトが被る私たち世代からの迷惑を、少しでも減らすのがいいと思う。

 では何をすればよいのか、実はわからない。正しいと思っていることが正しいとは限らないということを、身に沁みて知ってしまった。

 こんな風に、その日が来るまで迷いながら生きていくのだ。
[PR]
by mayumi-senba | 2009-10-18 23:27 | 自分のこと

タケノコ

  生まれて初めて焼肉屋さんで「タケノコ」と呼ばれるものを食べたのは、もう30歳は優に超えていた。

  その形状や弾力から見て、それが大動脈であることはすぐに分かった。

  初めて食べたものだから、

  「ああ、これは大動脈だ。」
とつぶやいたら、同席していた教員である友人が、
 「頼むからやめてくれ。」
と言った。

  とても仲の良い友人とでさえ、こんなに感覚が離れているのだということを思った。

 やめてくれと言われたから口にするのはやめたが、出てくる臓物はすべて言い当てることができた。できたからと言ってどうということなく美味しいものは美味しくて、口に合わないものは合わない、というだけのことだ。

 もし道路に切断された人間の上肢が落ちていても、
 「人間の腕が落ちている。警察に通報しなきゃ。」
と思うだけだろう。腕から先がほんとうに恐ろしいのは、それの持ち主についているときで、かつ、その持ち主が凶暴であるときであって、もはや動かない上肢は何もできない物体でしかない。

  私はそのように考える。

  この感じは、同業者でないとわからないだろう。

 そう思うと私たちは、他者から見ると気味の悪い職業集団かもしれない。

 中世ヨーロッパなら魔女狩りに合うはずである。
[PR]
by mayumi-senba | 2009-10-16 23:17 | 自分のこと

脳が喜ぶ

模糊数学

 昨日、私はこんなことを書いたが、今日1日で何回このことを思い出して何回感心しただろうか。

 繰り返し繰り返し思い返している。

 それは、私の脳が大好きな事柄で、考えるたびにエンドルフィンのシャワーが出て、心地よい電流が脳全体に流れるのだ。

 このことを知った瞬間から、私はこのことを何回も繰り返し思い返し、繰り返し快感を味わうだろうと予想がついていた。

  では私の脳が喜ぶこととはどんなことか、というと、答えられない。

  ただ、それが私に来ったときに、これがそうだと言えるだけだ。
[PR]
by mayumi-senba | 2009-10-15 23:56 | 自分のこと