カテゴリ:自分のこと( 90 )

私は私

  昨日は、広島の若手ジャズボーカリスト、因幡由紀さんのライブに行ってきた。

  少し元気が出てきたので、出かけられるようになった。

  彼女の声は、ふくらみがあって、適度にウェットで、私が一番引惹かれるタイプの声だ。華奢なからだから、ちょっとミスマッチとも思われるくらい。ルックスも知的でチャーミングな彼女です。いくつかな?

  ちょっと前にホテルの弾き語りで聞いた時より、さらにうまくなってる気がする。

  で、話は変わるが、私はギタリストの指が動きまわるギターばかり眺めていた。

  小さいころ、病院の薬局に入り込んでは、薬剤師が薬を次々と調剤するのを飽きずに眺めていたことを思い出す。若い人は知らないと思うが、正方形の紙の真ん中に1回分の薬をおいて、三角形に折りたたんでから、最後は変形の5角形になる。それを折り目の中に突き刺すように重ねて薬袋に入れる。前と同じ薬の患者は前に渡された薬袋を持ってきていてそれに入れる。ちっとも自慢にならないけど、私はこの薬の包み方を今でも覚えている。

  かしわやさん(鶏肉と卵だけを売っている。私が幼いころにはまだこういうお店があった!)で、開店前に卵を山のように積み上げていくのとか、お客に渡す時には割れないように新聞紙にきれいに包み込んでいくのとか、飽きずに見ていた。

  どこにでも入り込んでいってしまうので、母によく叱られていた。

  今も同じことが楽しいので、やっぱり私は私だと思うのである。
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by mayumi-senba | 2009-09-21 11:54 | 自分のこと

寂しいサザエさん

 子どもの頃に、日曜日の夕方テレビでサザエさんを見ると、無性に悲しいような寂しいような気分になった。

 その頃から、なぜ自分がそのように感じるのか、正確に分析できていた。

 楽しい休日が終わりに近づいていると、いやでも思い起こさせるからだ。
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by mayumi-senba | 2009-09-16 23:46 | 自分のこと

浮気者

 夜に窓を開けていると、吹き込む風は、「秋」そのもの。
 隣のテニスコートから、虫の声が聞こえてくる

 いい季節になったなあと思う。
  
 私は
 「四季の中で秋が一番好きだ。」
と思う。

 ところが、この前の夏の初めにも、紫陽花が咲き、もうすぐヒマワリが咲くのだと思うと、同じように感じた。

 「夏が一番好きだ。」

 いくつのころからか、毎春、毎夏、毎秋、そして毎冬にそう思っている。

 私は浮気者だ。
 
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by mayumi-senba | 2009-09-12 21:50 | 自分のこと

道楽

  昨日は、知人との食事のために街に出た。
  少し早く着いたため、少しだけ、と思って古くからある器の店に寄った。

  「買わないぞ。」
と思っていたのに、大ぶりで丸みのあるタンブラーを2客買ってしまった。そのタンブラーに注がれたワインやブランデー、焼酎や冷たい麦茶までが次々に私の頭に浮かんでくるのだ。そして口付けた感触や味まで浮かぶ。

  日常使うにはあまりに薄く、おそらくめったに使わないだろう。もしかしたら、一生使わないかもしれない。

  なぜなら、我が家にはそんな器が大きな食器棚3棹にぎゅうぎゅう詰めになっているほか、サイドボードにはグラスや茶器が、これもぎゅうぎゅう詰めになっている。はみ出したものは2階の押しいれにある。書いていてわれながらあきれる。

 しかしまた買ってしまった。occupied japanのコーヒーカップも目について、コーヒーを入れたところが頭に浮かんだが、さすがに我慢した。グラスを買っておいて、コーヒーカップを我慢したと自分で自分を褒めている。

 私が選んだものは、すべて、どうしても頭の中で料理を盛られているので、そのものだけで見たらもしかしたらつまらないかもしれない。そのように盛られる料理や飲み物を頭に描いて買った器でも、実際に料理を盛られることはあまりないのだ。

 時々出してみては、頭の中で料理を盛る。

 道楽というものだろう。

 母が今の私の年齢のころ、この人はモノを捨てるのが趣味なのかと思うほど、熱心にいろんなものを捨てていた。

 いま、私はその母の気持がよくわかる。一生使わないに違いないと思われるものを、身近に置いておきたくない。少しずつ見切りをつけて、捨てたり人に使ってもらったりしている。

 そして、欲しいものがない。  食器以外は。

 着るものも、履くものも、ずいぶん前に買って今なお手元にあるもので十分だし、もともと私は流行に頓着がないのたいていのものは今も着ることも履くこともできる。

  今こんなことを書くと、非国民と呼ばれそうだが、たまにデパートに行っても、欲しいものがなく、買うものがない。結局散歩をして、地下で食料品を買うだけということになる。

 それよりは、不要のものを処分することに快感がある。食器以外は。

 私は、これと同じことが脳にも起こっているような気がする。いや、脳に起こっているからこそ、それに相似した行いに快感があるような気がするのだ。

 (そう思うだけですからね。医者がそう書いたからって、それが危険率5%で証明されているなんて思わないでね。)

 脳は、年を経るごとに、得意なことをさらに得意にし、不得手なものはさらに不得手にする。不得手な部分はつかわないから、回路がなくなっていくのだ。

 書いているうちにこの先を書くのが怖くなってきた。
 
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by mayumi-senba | 2009-08-21 03:13 | 自分のこと

生きる意味

  人は何のために生きているのか。

  この問いに答えが出せなくて苦しい思いをしたという話を聞く。この間、そんな話を聞く機会が続いた。知人とテレビの画面からであった。

  私は忘れてしまったのだろうか。

  彼らが苦しんだという時期に、確か私は大いに迷っていた。
 
  どの線で生きていこうか。
  若くてバカだから、選べると思っていたのだ。

  人の後についていこうか、自分が先に歩こうか。
  いわゆる女性らしく、というのは無理だとさすがにわかっていたので、ややこしくて申し訳ないが、性同一性障害でもないのに、男らしさにぎりぎりまで近づいてみようか、それとも、なよなよしないけどあくまでも女らしく行こうか。・・・・なよなよは無理なのだ。

 それは切実に大切な案件だった。

 着るもの、持つもの、ふるまいが変わるわけだから、そしてもちろん物事を考えるときの傾向が変わってくる。

 ところが、そんな迷いを迷いながら生きているうちに何となく今のようになった。着るもの、持つもの、ふるまい、考え方、何を忘れて何を覚えているか、物事に対処する仕方。すべて自分らしいと自分で思う。

 で、そうなるまでに大切な場面で決断をしてきたのだろうけれども、本当に自分で選んできたのかと問われると自信がなくなる。

 私の中には父と祖母が常にいる。鮮明な形で。

 今となっては、これまで考えてきたことや判断を自分でしたような気がしなくなっている。

 彼らは、思い起こすと涙が出るほど私をかわいがり、大事にしてくれた。祖母などは、進学のため家を出た私が電話をするとそのつど涙を流していた。

  私は、
 「死ぬに死ねないな」、
 とその時思った。それどころか
 「不幸もいかんな。」
と思った。

  そうはいってもつらいことがないわけではなかったが、その時はいつも、祖母と父が大事にしているものは大事にしないといけない、と思った。すなわち自分である。

 私は、生きる意味を考えたことがない。

 むしろいかに死ぬか、ということの方が大きなテーマである。

 これもおろかな問いである。死は、自殺を除けは、時期も死因も選ぶことができない。

 実はこの6月末に母が逝った。

 私は、母とは縁の薄い娘で、お互いにわかりにくい親子であったので、母が哀れで涙が出たが、決して母を失ったという涙ではなかった。

 それよりは、はるかに利己的だと思うが、帰るべきところがなくなったという喪失感にうろたえた。もはや自分には帰るところがないのだ。根っこがなくなった感じ。

 そう思うと、息子が根っこが消えることに耐えられる年齢になるまで元気で生きていなければならないような気がした。具体的に援助するということではなく、今度は間違いなく私が息子の根っこになる。

  ところが、私は、嬉しいことがあるとすぐに思うのだ。

 「ああ、これで死んでもいい理由がまた一つ増えた・・。」

 死んでもいい理由をため込んでいってる。

 死ぬべき時が来たら、「もう死んでもいい理由がたくさんあるから、死ぬよ。」
と言って死にたい。

  生きる意味、という問いは、ついに私は立てることがなかった。
 
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by mayumi-senba | 2009-08-19 22:57 | 自分のこと

パパ大好き

  数日前のこと。

  スーパーで買い物をしていると、後ろからかわいい声が聞こえてきた。

  「あれ買って。だってパパのこと大好きだもん。」

 えっ!と思って振り返ると、幼稚園の年中さんくらいの女の子が父親らしい男性に抱っこされていた。抱っこしていたのは30代くらいと思われる男性。嬉しそうに眼も口もとも緩んでいる。

 「だって」に続くのが「パパのこと大好きだもん」?!

 「あれ買ってほしい」理由が、「パパのこと大好きだもん」?!

 コペルニクス的転回である。

 「あれ買って。あれ買ってってば。」
と、愚直にいうしか能がなかった幼いころのわが身を振り返れば、すでにあの年齢で、その後の生き方の分岐が始まっているのではないかと思えてくる。

 息子は、あまり賢くない我が家のシーズー犬クックル嬢のことを、「ペットのプロ」と呼ぶ。

 動作のいちいちが可愛い。物覚えが悪くても、少々くさくても、可愛い。いや、だからこそ愛おしい。

 私は、「パパ大好き」という才覚を持ち合わせていなかった。いなかったおかげで今こんなであるが、それはそれでいいと思っている。それでいいのだが、理由が「パパ大好き」というのは才能であると思うのだ。

 イチローや中田に似たまぶしさを感じてしまう。

 彼らはすごいな、と思うが、野球やサッカーがうまくなりたいとは思わない。それと同じ。

 
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by mayumi-senba | 2009-08-11 19:56 | 自分のこと

かなしい光景

 海が見たくて、プリンスホテルに出かけた。

 1階のティーラウンジからだと、遠くは見えないけれど、私が見たい水面のさざ波や海の流れが見える。

 そして、海沿いには釣りをしたり散歩したりしている人がいて、それを風景として見つめていても失礼にならないような気がする。それがいい。

 今日は、犬の散歩をする人や、結婚式の後の記念撮影をする人たちに交じって、幼稚園くらいの女の子がお父さんと思われる男性と笑いながら歩いていた。そこを歩きなれているらしくて、珍しいものを見たという表情を見せることがなかった。

 あの子にはいつかこんな風に父と散歩した日々のことを、何と表現していいかわからない感情とともに思い出す日が来るのだろう。

 そう考えてしまって、私のほうに何と表現していいかわからない感情が湧きあがり、不覚にもなみだぐんでしまった。

 彼女の今の幸福を祝福する気持ちと、これからの幸せを願う気持ちと、そしていつか必ずやってくる父親との別れの日を思ってしまって、それは私の父が亡くなった日と重なるのだった。

 ただ散歩しているだけで、赤の他人にこんなことを思われているなんて彼女は知る由もないだろう。

 わたしも知らない間にこんな形でだれかの情動を激しく揺さぶったことがあるのだろうか。

 もしそうなら、それだけでこの世に生まれてきてよかったと思えるな。

 そう言えば、祖母は私を見てよく泣き笑いをしていた。あの頃は、意味がわからなかったけれど、あれがそうだったのだろうか。

 古語の「かなし」にはかわいいとか美しいという意味があるが、この語のもつ色合いを私は愛する。
 
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by mayumi-senba | 2009-02-09 00:15 | 自分のこと

お餅が美味しい。

 お正月に買った雑誌の特集に、お餅のいろんな食べ方が出ていた。

 それを見てから試してみたくなって2種類ほど作ってみたらとてもおいしかった。

 お餅って好きな人が多いから変に聞こえるかもしれないけど、もともと私はお餅がそんなに好きでなくて、子供のころからお正月のお餅がいやだった。

 「とにかくお雑煮のお餅は一個にして。」
と祖母に頼み込んでいた。

 祖母は、お正月にはお餅を食べるもので、たくさん食べれば食べるほど幸せになれるのだと信じているようだった。私はできたら食べたくなかったけど、それは許されないのだった。

 ここにきて急にお餅が美味しい。

 それで思い出したことがある。

 ある入院中の老女が、ハンストをした。飲み食いしないでベッドに寝込んでいる。点滴も受け付けないで、高度の脱水になり、深部静脈血栓症という状態になった。あまりに血が濃くなって、足の静脈の中で血が固まってしまったのだ。非常に危険な状態だが、この状態になると抵抗できないので早速専門医のところに送って治療してもらった。

 治療を終えて帰ってきてもまだすねている。ここで担当医が私に変わったので、彼女に何をすねているのか聞いてみた。

 「私はヨモギパンが大好きで、それが楽しみで生きているのに、喉を詰めるから危ないって言って看護婦さんたちが食べさせてくれんのよ。近所の爺さんも刺身をのどに詰めてしんだ。年寄りはよう餅をのどに詰めて死ぬ。昔から年寄りは好きなものを食べてのどに詰めてしぬもんなんよ。」

といった。私は、なんかあっぱれな生き方を教えてもらったような気がして、そしてとりあえず病院の中で人目のあるところなら何とか救えるのだから、家族に相談してみた。

 「むしろこっそり食べられたら、喉に詰めても助けられません。のどに詰めることを覚悟で人目のあるところで食べさせてあげてもらえませんか。でなければ、また本気でハンストされてほんとに死にますよ。」

と言った。ご家族は相談のうえ承諾された。

 本人が死んでもいいと言ってるのだから、ご家族がなんと言おうとそうしてもらえばいいようなものだが、昨今そうもいかないのである。

 それから彼女は食欲を取り戻し、どんどん元気になっていった。そして元気に施設へ移っていかれた。

 私はお餅が好きになった。
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by mayumi-senba | 2009-02-04 21:13 | 自分のこと

 久しぶりに夢を見た。

 中華料理を食べている夢だった。

 脂っこいものは控えているので、少し前から食べたいなと思っていたが我慢していたのだ。

 もう少し不思議でわかりにくい、分析しがいのあるような夢が見たい。
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by mayumi-senba | 2008-10-13 18:13 | 自分のこと

フェイクが好きよ

  お盆の週にスコットランドの学会に参加するために休みを取っていた同僚が、お土産に石そっくりのチョコレートを買ってきてくれた。

  薬剤部では、なぜこの石が土産なのかわからなかったらしい。チョコレートと聞いても、どうやってあけて食べるのかと思ったくらい。
 いろんな種類の石にしか見えないチョコレートだった。
 食べると、やはり日本のチョコレートにはない甘さのミルクチョコレートだった。

  私はなぜか、子どものころからフェイクが好き。

  栄養科が栄養指導用にそろえている食品見本も、実は垂涎で見ている。
  圧巻は 、1キログラムの脂肪の見本。
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 だまし絵美術館が話題になったらいち早く東京まで行った。
 いえ、そこに行きたいために学会に行った。

 こんな感じ

 「乾隆帝その政治の図像学」 中野美代子 著

を読んでいたら、乾隆帝もだまし絵を描かせていることがわかった。

 この本は、彼の資質ゆえに興隆を極めた美術から、彼の資質と皇帝という地位がおりなした特異な個性が謎解きのように解き明かされていて、学問というのは面白いものだとしみじみ思わせてくれるものだが、

 あんまりフェイク好きだと、そのうち誰かに何かを分析されてしまいそうだが、

 そんなこと気にしないことにして、「好・き・」
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by mayumi-senba | 2008-08-28 23:44 | 自分のこと