カテゴリ:自分のこと( 90 )

フェミニスト宣言

 近頃フェミニズムは流行らないらしい。

 フェミニストを目指しているのに、「あんたは違う」と言われているような据わりの悪い思いをしてきたが、何を隠そう(隠れてませんか?)、私は目指しているのか、すでにそうなのか、いまいちよくわからないなりに、ここらでひとつ「フェミニスト宣言」。

 流行らないならかえって言いやすい。

 流行らないことと有用性のあいだには相関関係が必ずしも存在するわけではない。場合によっては負の相関関係があるのではないかと思われる。

 ついでに言うが、戦争反対。
      (これも流行らないらしい。)

  男だ、女だということで制限などつけなくても、性ホルモンの多い人、中ぐらいの人、少ない人はちゃんといて、それなりのバリエーションのある世の中は保たれる。そして生殖行為はなくなることはない。

 生物にとって、多様性がいかに重要であるかということを知らない人は、少し勉強したほうがいい。神様は、すべての生物に多様性という可能性を与えてくれた。
 インフルエンザウイルスを見よ。彼らは、我々のような楽しい有性生殖を行うことはないが、ちゃんとわれわれの免疫を潜り抜けるように抗原性を変えることができ、いまなおこれほどの脅威を我々に与え続けている。

 ややこしい世の中になればなるほど、「男だから」「女だから」というような単純でナイーブなカテゴリーを使うと、世の中が回りにくくなる。

 戦争がない状態、というのは、「ややこしい状態が延々と続く」というjことである。ナイーブでは保てない。

 

 
 
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by mayumi-senba | 2008-08-24 22:28 | 自分のこと

私はいったい何について後悔しているのか・・。

 去年の今頃、父の体の具合が尋常でないことをまだ知らなかった。

 腎臓の機能がかなり落ちており、透析をするかしないかというところで踏ん張っているという認識だった。

 いつまでも幼く不器用な母と暮らしていた父が、母を大事にしていることを私は多少不思議に思っていたが、「そんなところがかわいいのかな。」ということで、納得していた。

 ところが去年の今頃、
 「お母さんはおかしなことを言うな・・。」
とはじめていった。認知症ということではない。

 それは、私にとっては子どものころからずっと続いていることなので、父がまさか今頃気がついたのだとは思えなかったが、父の口ぶりは、最近知ったことを誰かに話して自分の頭を整理している、というような感じだった。

 私はこの時、父が、いつも近くにいる母のことを、大切にしているように見えながら実は、
 「まじめに見ていなかった。」
ということに気がついた。

 父は、人の面倒見がよく、適度に面倒も見られながら多くの人に愛され、亡くなった時には血のつながりのない母がたのいとこたちや近所の人たちが、まるでが自分の親が死んだかのように悲しんでくれるのも私はごく自然に受け入れていた。

 母は、その世代の人が多く陥りがちなことなのか、彼女の特質なのかはわからないが、人からどう見られるか、何を言われるか、ということが関心の多くを占めている感じ。、言っていることは世故長けているように聞こえなくもないが、子ども心にもうわっつらで空疎なことがわかった。
 もしかしたら、自分が幼いためにその深遠さがわからないのかとも思ったが、いまだに同じ感想しか持てない。

 要するに、よい妻、よい母と呼ばれる行為なら身を惜しまないが、それがほんとうに相手のためになっているかどうかということには、関心が薄いように見えた。

 父はいよいよしんどくなって、やっと骨身に染みたのだ。元気な時は、父の周りにはいつも母以外の誰かがいたために気がつかなかったのだ。そんなひととのくらしのしんどさに。

 私は、父に、
 「え!今頃わかったの?ずっとそうだったよ。」
と、今思えば父にも母にも残酷なことを言った。

 父は私たち姉妹以外の多くの人にも同じような愛情を注ぎながら、私たちにも十分すぎるほどの愛情を、「この上なく大切にされている」という実感を与えてくれるのだった。

 そんな父が、もしかしたら母にだけは関心がなかったのかもしれない。

 父に望まれて結婚したということが母の誇りであったし、実際父もそう話していた。父は長い間母に関心を失くしている自分に気がつかなかったのだ。そう感じた私は、身内の気安さで父に思った通りのことを言ってしまった。

 その後しばらく沈黙があったことだけは覚えているが、会話が再開したときの話題が何だったかは覚えていない。



 
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by mayumi-senba | 2008-08-23 23:25 | 自分のこと

自分も叱られているような気になって

 息子が小学校の4年生の時に、今はもう目新しさがなくなっているが当時はあまり知られていなかった「学級崩壊」という状態になった。息子を含めた7~8人の男子が騒ぎの中心にいた。

 当時の私には、いったい何が起こっているのか理解できなかったが、女の子のお母さんから、
 「うちの子は、人が叱られていると自分も叱られているような気になって怖がるんです。叱られるようなことをさせないでください!」
という発言があった。この発言は、騒ぎの中心の子たちの母親に向けられたものだった。

 こんなことが起こるまで、私には、
 「子どもというものはすなわち自分の子どものころのようなものだ。」
という思い込みがあって、誰かが叱られていると、その時間は先生の注意がこちらに向かないわけで、子どもにとっては「プレゼントされた時間」なのだという感覚しかなった。少々のことでは驚かない私にとって、驚天動地の出来事だった。自分の愚かさに驚天動地だ。

 考えてみれば、子ども時代はとりあえず遊べて楽しい時間が過ごせればいいので、要するにほかの子に興味がなかっただけで、そんな子がいても不思議ではない。
 虚を突かれた感じ。

 こんな出来事の積み重ねが、ジグソーパズルを少しずつ埋めていくような気がするが、それにしてもはめ込まれていないピースが山のように、ある。
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by mayumi-senba | 2008-08-11 23:35 | 自分のこと

好きって言える?

 今日は、よく物思う日である。入浴中に思った。

 人に「好き」って臆せずに言えるということは、その対象となる人が、そういわれることをどちらかというと喜ぶに違いないと思われるときである。

 もしかしたらかえって嫌われるかも知れないと思っていれば、口にすることを躊躇する。

 わが子に対して、「好き」「好き」と繰り返しいう時、もちろんその気持ちにうそはないのだが、わが子がそれを喜ぶに違いないと絶大なる自信がある。
  アイドルや歌手、俳優、作家などを「好き」というときにも、躊躇はない。本人が聞いてるわけではないが、もし聞かれても、彼らが喜ぶに違いないと思うからだ。

 気にかかる異性では、場合によってはかえって嫌われる場合があると、若いころなら思う。同性の友人しかり。

 しかし、もはやオバサンとしてキャリアを積むと、何を「好き」というときにも、本心なら躊躇はない。そういって多少嫌われても痛くも痒くもなくなるのかもしれないが、でも、根拠のない「自分が好き」度がさらに上がっているからでもあるだろう。(世間では自己肯定感というらしい。)

 祖母が育てた人間は、みなこの調子で、オバサン度が高い。また、そのことを自分で気に入ってもいる。書いているとおばたちの姿が浮かぶ。それに自分が重なる。

  だから、気軽に「好き」というのはちょっとはしたない気がするが、そしてKY度もどんどん上がってしまうような気もするが、「好き」なものは「好き」。

 で、「好きな人」や「好きなもの」が増えてきて、ちょっと息切れ気味。


 

 
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by mayumi-senba | 2008-06-02 01:52 | 自分のこと

親不孝

 父が逝った。
 
 「お前にはしんどい生き方をさせてしまって、すまないと思っている。」
と、死の宣告をされる直前の電話で私に言った。

 女としては、いつもつらい生き方を選ぶ娘だと、父には映っていたのだろうか。

 男の子がほしかった父は、私に男の子のおもちゃを与え、男の子とけんかをしては負かしてくることを喜び、男の子たちと野球をするとすぐにグローブを買ってくれた。
 
 叱られてないていると、泣くな、とまた叱られたせいか、私はめったに泣かない子になった。

 「お前にちんちんがあったらな・・・。」
と、父はよく言っていた。

 そういわれたからといって、私には男の子でないと困る事情はなかったので、特段の不満はなかった。立ったままオシッコをすることは、さほどうらやむことではなかったし。
 
 女の子なのに男の子のように遊んでいる、ただそれだけのことだった。

 年頃になったころには、それなりに恋もしたし、男だったらよかったのにと思うことはなかったように思う。

 働きながら子どもを育て、いつも忙しそうにしている私は、父には不幸せな女に見えたのだろうか。

 欠点だらけでも、私は私が大好きだし、こんな風に育ててくれたことをずっと感謝しているのに、ちっとも伝わってなかったのだろうか。
 
 それなら私は、やっぱりとんだ親不孝娘だ。

 

 
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by mayumi-senba | 2007-11-11 22:04 | 自分のこと

消えてなくなる

  少し迷ったが、やはり書いておこう。

  今日、近くのデパートに買い物に行って、地下駐車場からエスカレータに乗り、食品売り場に向かうときのこと。

  急に、消えてなくなりたい、という衝動に捉われた。

  私の周りを、目に見えない綿のようなものが取り囲み、少し息苦しい。

  どうして買い物などしなくてはならないのか、というところから、思考力がどんどん鈍くなる。

 それでも何とか野菜などの買い物を追え、外に出ると合点がいった。

 頭上に雲がどんよりとかぶさるようにひろがっていた。デパートに入るまでは雲がほとんどない青空だった。

 リウマチの人が、関節痛がひどくなるときに一致して起こるようだ。

 いつものことなので後で合点がいくが、実はその最中は、そんなことに思いが至らない。

 よく晴れて青空が広がると、うそのように消えてしまう「症状」だ。

 
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by mayumi-senba | 2007-08-16 00:14 | 自分のこと

結婚について

 私は、生まれてこの方結婚したいと思ったことがない。

 子どものころに花嫁衣裳やウェディングドレスを身にまとった花嫁を見て、自分の将来をそこに重ねることはなかった。

 結局結婚したが、それは親戚縁者との間に波風立てずに好きな男と付き合い続けるためにはそれしか方法がなかったからだ。

 小学校のころにはすでに、家事を一手に引き受けるくらいなら働いたほうがいいと考えていたし、もう少しものを考えるようになった中学か高校のころには、自分の将来を一人の男に託すというリスクを犯すことは、想定できないことだった。

 たとえばその男が心変わりをしないという保証がないし、自分自身が相手を一生連れ合いとして付き合っていけるか、そんな選択が自分に可能か、と問えば、そんなことは、あるかもしれないがないかもしれない。夫の浮気で泣いている、という相談は新聞やテレビにあふれかえっていた。

 たとえその男が一生浮気もせず、賭け事もせず自分を大切にしてくれるのだとして、さらに、まじめに家族のために働いてくれたからといって、その男の会社が彼を捨てない保証はないし、事業に失敗しないとも限らない。これも人生相談にあふれていた悩み事のひとつだった。

 私には、到底とることができないリスクだった。

 そして、それらの条件すべてがもしクリアされたからといって、私には家事を一手に引き受けることが楽しいことだと思えなかった。だから、「奥さん」としてベストの条件が整っても、それが私を幸せにするとは思えなかった。

 面白いことに、今私は料理が好きだし、洗濯や掃除の楽しさも知っている。

 けれども子どものころの結婚観は今も変わらない。

 危機のときにお互いが支えあえる関係が私は好きだ。

 つらいときに君の事は僕が支える、といわれるのはうれしいし、逆の立場に立ったら喜んで支えたい。

 もちろん、これが唯一正しい考えかただなどとは思わない。

 天然のフェミニスト、と敬愛する人にいわれた由縁だ。
 もちろん、ほめ言葉でも貶す言葉でもないだろう。
 
 私の個人的な結婚観には、社会の構造に対する考察がまったくかけている。


 
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by mayumi-senba | 2007-08-02 23:27 | 自分のこと

私は魔女

  いえ、魔法が使えるわけではありません。

  世の中にはいろんな能力があって、かなわないことばっかりだと20代のころには打ちのめされていました。

 そうではなく、この「魔女」というのは、「魔女裁判」で「魔女」と認定され、火炙りにされた人たちのこと。

 中世ヨーロッパに生まれていれば、かなりの確立で火炙りになっていたでしょう。

 同調圧力に対して鈍感である。
 その1点でそう思われるのです。

 
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by mayumi-senba | 2007-07-28 20:14 | 自分のこと

努力の人へ

 何かに打ち込んで、周りが見えなくなるほど一所懸命になるのは、ちょっとはた迷惑なことがあるけれど、さほど罪はない。

 自分は努力に努力を重ねているのに、周りのやつらはのほほんと間抜け面で毎日を過ごしているように見え、それが腹に据えかねるのなら、そんな努力は自分にとっても周囲にとっても毒にしかならないから、やめたほうがよい。

 
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by mayumi-senba | 2007-06-10 21:34 | 自分のこと

恋風

 中学のころに、同じクラスにとてもかわいい女の子がいて、彼女は男子から圧倒的な人気があったが、当人はそのことをどう考えたらいいのかわかっていないような、ちょっと浮世離れしたところのある子だった。

 彼女は、なぜか私にくっつきまわり、トイレまでついてくるのだった。

 私はそんな彼女がとてもかわいく、いとおしく、なにかから守ってあげなければならないような気がしていた。

 そのときも今も、友人には男性が大勢いるが、今思えば彼らに対する感情よりは彼女に対する感情のほうが、はるかに「恋心」に近い。

 しかし、では、その男性の友人たちの中に「恋心」を感じたことはないかといえば、もちろんそんなことはない。ほんの一瞬だけで消えてしまったり、持続しているが非常に淡いもので、「恋心」かと問われれば、自信がなくなってしまう場合もある。もう少し濃くて、出会う時期が違っていればもっとステディな関係になっていたかもしれないと考えるときもある。

 ブレンダ・ラッセルというボーカリストが歌う「恋風」というアルバムがあって、若いころに実際の曲も知らずにレコードを買ってしまったことがある。題名に惚れたということ。

 私にとって恋心とは、風のように実体がなく、何かが動くことで感じるもので、かすかなことも激しいことも、突風のようなときも、ずっとやさしく吹き続け癒してくれることもある。
 だから、異性だけではなく、同性にも感じることがあるのだ。

 それらをいちいち浮気だなどと自覚しないし、同じような感性を持つ人が、私は好きだ。



 
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by mayumi-senba | 2007-06-08 00:13 | 自分のこと