カテゴリ:自分のこと( 90 )

源氏物語はオムニバス

  高校の頃に源氏物語をはじめて読んだときには、もちろんちっとも面白くなくて、そうはいっても国民的文学なんだから、入試に役立つ程度に読もうかと思って読んでみた。

 大学に入って少しは小説なども読むようになったが、私が好きな女流作家は、みんな源氏物語の現代語訳をしている。ということは、彼女たちはすべてこの物語のすばらしさを知っているということだ。
 
  私にはわからない。
  きっと若すぎるからだ。
 
 そうおもっていたが、実は未だにその面白さが分からない。
 分からないが、こういう見方ならいつか面白くなるかもしれない、と希望を持たせてくれたのは
 “魔女”が読む源氏物語という本だった。

 主人公を源氏と捉えるから面白くない。
 源氏は、それぞれの女性たちの個性を照らし出すためにすえられた、むしろ脇役であり、「源氏物語」はそれぞれの女性たちの物語のオムニバスととらえれば、仕掛けに合点が行く。

 視点を変えたとき、物語がまったく違った光と影で、別物のように見えるドラスティックな体験を誰しもするものだとおもうが、私はまさしくこれだった。
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by mayumi-senba | 2007-01-15 10:12 | 自分のこと

仕事

 自分の仕事が特にそうであるからか、
 「仕事とは問題解決である。」
と私は思っている。

 問題解決は、ある目標に向かう営みではなく、患者や家族のつらさを和らげるということであって、その方法、介入の強度は患者の数だけある。

 自分の感じでは、そこにいて、手渡された荷物をあっちに置きこっちに積み、中をあけたりあけなかったり、あけたものを磨いてみたり壊してみたり、よそに回したり持ち主に返してみたり。

 「これでも気に入りませんか?」
と内心思うことがあったり、
 「こんなんでいいんですか?」
と思ったり。

 目標を持たずに生きてきたなと思います。
 結構気に入っています。
 
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by mayumi-senba | 2007-01-09 01:07 | 自分のこと

私だけの宗教

 近頃、死について考える時間が増えた。
 まったく考えないというような日はない。

  死にたいと考えるわけではない。
  死にたくないとも思わない。
  いつか死ぬ、ということを考える。
  
 父も母も、いつか死ぬ。
 自分も死ぬ。
 友人も死ぬ。

 不思議なことに、息子が死ぬとは思わない。

 今まで見送った人たちのことを思う。
 これから見送ることになる人を思う。

 そして、世界がいままでとは違って見えてきた。

 宗教とは何か、ということが、ずっと疑問だった。
 何かうっすらと見えてきたような気がする。

 とても単純なことで、誰でも知っていることかもしれないけれど、
 私はやっとわかった気がする。

 宗教の中心にあるのは、死、だ。
 死からはじまる思考や行動、感受性。

 釈迦もキリストもマホメットもなんだか身近に感じる。
 けれども、私には私の宗教がある。
 私だけの宗教。
 
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by mayumi-senba | 2007-01-04 02:08 | 自分のこと

指標

 まだ疲れが取れていない。

 なじみのお店のカウンターで飲んだり食べたりすることを避けているので、そうと知れる。
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by mayumi-senba | 2006-10-08 19:07 | 自分のこと

・・・主義

 ・・・主義、という言葉を初めて聞いたのは、小学生のころ。

 大学生になっている従姉妹のうちにお泊りに行って、日ごろ不思議に思っていることを聞いてみた。

 「どうしてベトナムとアメリカは戦争してるの?」

 「自由主義と共産主義の戦争。考え方が違うから戦争するねん。」

 「考え方が違っても、戦争なんかすることないやん。何も殺し合うことないやん。」

 「ところが、どっちも負けるわけにはいかんねん。負けるわけにはいかんから、戦争するしかないんやろう。」

 このやり取りで、この件については、大学生の従姉妹では小学生の私に理解させるのは荷が勝っている、ということだけが伝わってきた。
 その後も、いつも心のどこかにあった疑問だが、高校で歴史を学んでも、大学生になっても、大人になっても、子供を産んでも、それでも私には腑に落ちないことだった。

 ただ、その過程で、カンボジアや中国で起きた粛清について、ニュースで見たりすることもあった。しかし、そのころの私には、通り過ぎる時に垣間見た風景のひとつのように、ほんの少しの引っかかりだけしか心に痕跡を残さなかった。

 しなければいけないことも、したいこともたくさんあったからだ。
  能天気に見える大人たちに囲まれ、能天気に育った私には、「・・・主義」に関心を持つ人とは違った物事の優先順位のつけ方があった。
 
 「エースを狙え」を読むことは、優先順位がかなり高いところにあった。
 社会に関心を持たない戦後最初の世代だったかも知れない。
 テレビがうちにない時代を、私は知らない。
 
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by mayumi-senba | 2006-09-04 22:12 | 自分のこと

近頃ガマンできないこと。

  以前にご紹介したことのある、我が家のミス・シーズー。2歳6ヶ月
  やはりいまだに俊敏さを獲得せず、落ちている食べ物に気がつかなかったり、どこか間抜けだが、靴下を発見したとき、餌の準備をしているとき、とても同一犬物とは思えない速さで駆けている。その証拠に、そんなときには耳が後ろに流れている。

 彼女は去年末まで、ほとんどドッグフード以外のものを食べていない。それをおいしそうに食べているんだから、私たち人間が食べているようなものの味を覚えさせないほうがいいかと思うからだ。

 ところが、そうは言っても、私たちの食事中には必ずそばでお座りして、かすかな希望にもずっと目を輝かせている彼女を見ていると、もうだめです。

 ほんとにこらえ性がなくなったものです。

 最初はサンドイッチのパンをあげている感じでしたが、今は、ハム付きレタス付きであげてしまう。それでもドッグフードを嫌がらずに食べているのを見ると、そのけなげさに、涙が出そうになります。

 涙腺も緩んでしまったのか・・・・。

 これで長生きして、孫を見た日には、どうなってしまうのでしょう。

 
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by mayumi-senba | 2006-07-16 23:58 | 自分のこと

記念日

 高校のころ、仲のいい友達がある朝言った。

 「今日はね、学校と全然関係の無いことで気分が落ち込んでるから、多分笑えないし、話しかけられても返事しないかもしれないけど、みんなには全然関係の無いことやから、気にせんといてね。気ー悪うせんといてね。明日かあさってには元に戻ってるから、私のことは心配せんといてね。」

 そしてその日の休み時間、彼女はほとんど一人で誰とも口をきかずに過ごした。
 
 私たちは、彼女に言われるがまま、彼女のいない仲良しの友人たちで、彼女のことをかなり気にかけながらも、話題にするのを憚って何とかその日をやり過ごした。

 本人が心配されたくないのだから、心配せずにはいられないが、心配しているところを隠すぐらいのことはしようと暗黙で了解しているのを、周りの私たちはお互いに知っていた。
 そして、黙ってはいても、私たちが心配していることを彼女が知らないはずはなかった。

 その翌日か翌々日、彼女は元の明るい高校生に戻っていて、私たちはみんなでお好み焼きを食べに行った。

 どうにもならない日には、こうやって過ごせばいいんだと、私はひとつ大人になるすべを学んだ気がした。私にとっても、何か名前をつけたいような記念日だが、何月何日だか覚えていない。
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by mayumi-senba | 2006-02-26 23:43 | 自分のこと

オリオン座

冬の空

そうそう、私もそう!!

 友人に教えられたシチュエイションも、見上げた空にオリオン座を見つけたときに感じることも。

 
自分がちっぽけな頼りない存在に思えて、何かにどっぷり甘えているような、心地よい気分になるのです。


 
 
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by mayumi-senba | 2006-02-20 10:50 | 自分のこと

死ぬ準備

 刻一刻と時が過ぎ、自分の命が削られていくことに怯えていたのは、小学生のころだった。

 あのころ、残された時間が私よりもはるかに短い両親やおじやおば、そして祖父母たちが暢気な顔つきで日々を過ごしているのを、私はとても不思議に思っていた。

 命が尽きて、「自分」という意識を持ち、この身体を感じ、動かしている、このなんと呼べばよいのか、そのころの私は確か、「魂」と呼んでいたと思うが、その「自分」がいつかなくなってしまうことは確かなことであるし、その瞬間は刻々と近づいているのに、この人たちは怖くないのだろうかと、大人の底知れなさを訝しんでいた。

 私の周りの大人たちは、本当にのんきな人たちで、なぜか自分は幸せだと思っている人たちばかりだった。客観的な評価を気にしないし、多少の不幸は忘れてしまって、ツイていることだけが記憶に残るという、確かに幸せといえばこんな幸せなことはないので、今思い出しても、大太平楽な顔ばかりが浮かぶ。

 今、そのころの両親よりも年を重ねた私は、「死」をとても身近に感じていて、生きてそして死ぬ、ということが、とても自然なことに思える。

 明日死ぬことがあってはいけないので、恥ずかしいものはできるだけ処分しておきたいと思うが、淡々とそう思う。
 そう思いながら、もしかしたらかなり長生きするかもしれない。
 
 今の太平楽な私を見て、そんな風に思っている若い人はいるだろうか。
 息子は一時、
 「母さんもいつか死ぬんよね。」
としきりに言っていた。

 そんなことを考えていたら、久しぶりに妹から電話があって、いろんな話をする中で、

 「この間、窓を拭いていたらぎっくり腰になって、年取ったなあと思って。もういろんなことした。
しんどいことも楽しいこともいっぱいあったから、別にもう死んでも後悔無いな、と思うけど、平均寿命からいうと、まだ後40年以上生きることになるらしい。そう考えたらちょっとしんどいような気もするな。」

などと、病や事故で心ならずも亡くなった人が聞いたらどう思うだろうかというようなことをほざいていたが、実は私もちょっとそう思う。

 長生きしてもそれはそれで幸せだけど、明日死ぬようなことがあっても、もう十分楽しませてもらったから、という感じがある。

 死ぬ準備というのは、知らず知らずにしているものなんだ。

 こんなことを書いておこうと、ふと思ったのです。
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by mayumi-senba | 2006-02-19 22:30 | 自分のこと

生きてます。

 ご無沙汰してます。

 本当に忙しくて、休みの日にさえ書く気力が出ません。

 でも、生きてますのでその証に・・・。
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by mayumi-senba | 2006-01-30 22:49 | 自分のこと