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花も団子も

 父や祖父は寒い時期に、関西で言うところの「パッチ」を履いていた。年若いおじも、結構いい男のクセして、「パッチ」を履いていた。

 祖母が、
 「人間、シモ(下半身)を冷やしたらろくなことがない。」
といっていたので、我が家の男どもは「パッチ」ははくものだと思ってはいていたように思う。

 私が中学になって、真冬も当然制服のスカートに、コットンのソックスだけといういでたちで通学しようとすると、祖母は何か恐ろしい物でも見るように、
 「女の子がシモを冷やしてどうする。子どもが産めんようになるやんか。」
といって、分厚いウールのタイツをはけという。 
 私も寒いのでいわれたとおりにした。無地ではあまりに色気がないので、白いレース模様にしてみたら、やっぱり先生に注意された。
 私は、
 「おばあちゃんに言ってください。」
といって、冬の間中そ知らぬ顔でタイツをはいて通学したので、寒い思いをしなかった。

 友達は、
 「すごいな。あったかそうやね。」
と口々にいったが、誰もあとに続く者はいなかった。しかし、うらやましがるのだった。

 年頃になり、さすがの私も色気づき、「花より団子」ではなく、「花も団子も」ということで、ストッキングにスカート姿を楽しむようになった。もちろんジーンズでいることも多かった。

 そのころの男の子達は、どんなに寒くても例の「パッチ」をはくことは死ぬほど恥ずかしいことだと思っているようだった。

 そんな中で仮にB君としておこうか、ある日B君のズボンの下からパッチがちらりと見えた。
他の男子に、
 「お前、パッチはいてるんか。おっさんみたいやな。」
と言われたりしていたが、彼は、
 「寒いんやからはいたらええヤンケ。何がおかしいねん。アホやな、おまえら。」
と澄ましている。私はそれを聞いて、B君が猛烈に好ましい男に思えてきた。要するに、惚れたわけです。

 以来、私は寒い冬にはパッチを平気ではく男に惚れているようだ。これはもうスイッチのように、好ましく思えてしまう。理性とは別のところの働きだと思う。

 これって、小鳥は離れて育ったいとこに最も惹かれる、という実験結果に近い感じがする。

  近くで育ったいとこや兄弟に惹かれることには抑制がかかるのだそうです。
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by mayumi-senba | 2004-10-25 22:44 | 自分のこと

ジェンダーフリー 試論 その2

 私は子どものころから、赤い色の物を着せられると、とにかく気持ちが落ち着かない。ポイント程度の赤ならいいけど、赤がメインな物はいまだに落ち着かない。両親もまた赤い服を好まないようだった。
 しかし、浴衣やお正月の晴れ着などは、女の子用のものを着せられた。
 
 小学校のころは私服だったので、ほとんどズボンで通っていた。スカートだと、遊びにくいからだ。ドッジボールやサッカーや、フットベースボールなど、スカートでは話にならない。それに私は、リトルリーグに入っている男の子達に混じって野球もしていた。

 年頃になると、男をひきつけたいという欲望が起こり、スカートですごす日もあった。
 無事惹き付けることができたり、失敗したりした。

 私には、男の子が青や黒、女の子が赤やピンクを好む傾向にあることが、ジェンダー即ち社会的性差であるかどうかわからない。社会が何かの必要があって押し付けたのかもしれないし、もしかしたら性ホルモンが脳に与える影響があるかもしれない。

 しかし個人差があって、赤を好む男の子や青を好む女の子がいるに違いないと思う。私のように。

 多くの哺乳類は、性的に成熟するまでその性差は一見してわからない。わからないが、例えば犬なら、確かにオスのほうが子犬のころから攻撃的な傾向があるように思われる。しかし、これも個体を注目すると、性器を確認するまでわからない。
 また、お前はオスだから、とか、メスだから、というような教育を受けるという話も聞かない。
 そして性的な成熟期を迎え、繁殖期に入ると、性差は明らかになったり、わかりやすくなる。
 それまでは性的なサインを出さない。出さないのは、出す必要がないからか、出してしまえば、繁殖可能ではないのに誤ったサインを出してしまうことになるのか。その両方なのだろう。

 私は無意識に動物たちと同じ行動をとっていたような気がする。

 赤いライトは女をセクシーに見せる効果が強い。だからセクシーに見せたい場面で多用される。そして、もうひとつ、人を攻撃的にする、という作用を持つらしい。そして攻撃性と性欲には密接な関係があるといわれている。

 赤は女色、というのは、男にとってはより性的な興奮を強くするために、女にとっては、より男を惹きつけるために必要であった。
 年頃の女の子が、自分の発情を強調するために赤やピンクを着る。あるいは発情期であることを強調せよという圧力が周囲から加えられる。そう考えると、納得がいきやすい。

 そんな意味合いが薄れていって、そのうち単に女の子は赤、ということになってきたのではないだろうか。
 
 だから、女の子は赤、という傾向は消えないと思う。

 しかし、学校がもしそれを強いるというのなら、それは本末転倒で、いらぬおせっかいのひとつだと思うのである。親がその子を見ながら、その子の成長にふさわしいと思う色にすればよいことではないだろうか。
 女の子が赤で、男の子が黒がいいというのなら、それでよいことだ。
 他人がとやかく言っても、とやかく言っているだけのことで、とやかく言うのは自由なのだ。いけないの制約を加えることだ。

 たぶん学校でジェンダーフリーとして言われ初めているのは、
 「男の子も女の子も同じ色を使いなさい。」
ということではなく、
 「女の子のランドセルは赤、男の子は黒という制約をつけてはいけない。」
ということではないか、と私は理解している。




 
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by mayumi-senba | 2004-10-24 23:50 | 世間のこと

ジェンダーフリー 試論 その1

 ひとつの言葉が、発する人によってあまりにも違う意味合いを持つ。
 だから、自分自身が使うことを憚られる。
 そんな言葉の代表が、ジェンダーフリー。

 私がもし使うことがあれば、どのような意味合いで使うだろう、と考えながら書いてみることにする。

 一つ一つの特質に注目して見たときには、明らかに男女差がある。例えば筋肉量。しかし、それは集団の平均を取った場合であって、個々に見たときには、女>男という場合が、少なからずある。

 闘争心や野心もしかり。

 集団としての男女差は明らかにあるし、これがなくなることは有得ない。しかし、個々に見たときには成り立たないその男女差を、個々の人間に無理やり当てはめて枠にはめこむことはない。

 逆に、今のところ女性がそのほとんどを担っている介護という仕事に、とても向いている男性たちがいる。力があり、かつ、細やかな気配りができる。というより、この仕事には無用な競争心から自由な男性達である。

 私がそう思うのは、今のところ少ないけれど、介護職として働いている男性たちが、むしろ介護職として働く多くの女性たちよりも適職についているように見えるからだ。女性の仕事とされてきた職業にあえて参入してくる、見ようによっては勇気があるように見えるかもしれないけれど、彼らは、そんな枠組みからフリーなのだから、とても軽やかである。

 ジェンダーフリー、というのは、

 「集団の平均として見られる男女差、というものを根拠にして個人個人にもその男女差があるものと想定する。そして個々の人にとっては無理のある生き方を強いる、というようなことはやめましょうよ。」

ということかな。

 どんなにジェンダーフリーを進めても、集団としての男女差はなくならないと私は思う。ホルモンの威力のすごさを見たら、無くなるなんて有得ないと思う。
 ジェンダーフリーをどんなに進めても、男が自然に子どもを産む日はやってこない。
 
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by mayumi-senba | 2004-10-24 03:50 | 世間のこと

科学

いまさら天動説の話。

フラスコは、科学とは「そう考えた方が都合がいい」というだけの話だと思っています。
実際に目の前で起きている現象がうまく説明できる考え方、個々の思い込みなどではなくて、みんなが共有できる(納得できる)考え方が科学なんじゃないかと。


そうだと思うな・・・・。
 一人でいくら研究したって、科学とはいえないもの。

 私も今まで、幾度いろんな人に嘘を教えてきたでしょう。

 そのうち、こう教えるようになってしまいました。

 「今のところこれが正しいということになっている。私も今のところ、いろんな考え方の中で、これが真実に近いように思える。でも何時ひっくり返るかわからない。ひっくり返るまで、一応これが正解という風に思っておくことにする。」

 無責任に聞こえるかもしれないけれど、科学ってそんなもんだと思います。だからこそ、集団のなかの人間の営みとして、最高に楽しめるエンターテイメントのひとつたりうるのだと思います。
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by mayumi-senba | 2004-10-23 20:32 | その他

寿退社とオレオレ詐欺

アメリカに留学中の息子からは、週に1度ほど電話がかかってくる。
 食べ物のまずさが想像を絶する。肉はなんとなく肉だということがわかるけど、その傍に添えられていたりまとわりついているものがいったい何なのか、得体が知れない。野菜かもしれない。

らしい。
それ以外は、結構エンジョイしている。友達と夜更かししたら、コーヒーメーカーを取り上げられた。

らしい。
寮の管理をしているおじさんが、寿退社するらしい。いい人だったので、ちょっと寂しい。

などと変なことというので、よくよく聞いてみると、定年退職とともに結婚するらしい。紛らわしいことを言うな!
ふと気が向いてばあちゃんちに電話したら、オレオレ詐欺に間違えられた。

 母から電話があって、
 「オレオレ詐欺と間違えたんじゃないよ。違うよ。そう言っといてね。」
とあわてている。母の慌てる姿を想像すると、ちょっと気の毒でかわいらしい。

 「帰国した時にもらうお小遣いのための布石に違いないから。」
というと、
 「ああ、そうか。」
と納得する。お金を取られることに違いはないのに、ホッとして、そして喜んでいる。

 結構いい味のおばあちゃんになったんだな、と生意気な娘は思ったのです。
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by mayumi-senba | 2004-10-22 21:24 | 息子

ライフログを公開

こっそりライフログを公開しております。

これでこっそりではなくなりましたけど。
迷った時に今でも手に取ることがあります。
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by mayumi-senba | 2004-10-11 18:06 | 自分のこと

まわして駄目なら、待ってみな。

押しても駄目なら引いてみな。

という歌がありますが、

引いても駄目なら回してみな。

と先輩に教わったことがあります。大腸ファイバーを教えてもらっている時です。

これに加えて、

待ってみな。

相手が勝手こちらに合わせるように動いてくれる場合があります。これができるようになるのは、余計な事を考えなくなった時のような気がします。

例えば、失敗したら駄目なやつだと思われないだろうか。
とか、
スマートに事を運んでかっこいいと思われたい。
とか、
早く一人前と認められたい。
などということが心から消えたときだとおもいます。
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by mayumi-senba | 2004-10-11 18:03

お詫び

 更新できなくてすみません。コメントの返事もままなりません。

 実は10月から勤務先がかわって色々不慣れなものですから、帰宅するとくたびれはてているため、ご飯を食べて風呂に入って、お酒を飲んだら寝てしまうという毎日です。

 この休みに、少しのんびりと、皆さんのところを覗かせていただいてます。

 やっぱりブログワールドはいいですね。
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by mayumi-senba | 2004-10-11 17:26 | その他

網タイツは効果的

 息子がまだ小学生のころ、よれよれのTシャツが好きだった。
 よれよれになればなるほど愛着が湧くらしく、襟ぐりがべろーんとなったものを好んできていた。

 そんな時、夫の職場で、家族参加のボーリング大会があり、夫は少々ボーリングが得意な息子を連れて行こうとした。しかし、夫としては、他の人の手前、襟ぐりがべろーんとなったTシャツを息子に着てこられると困るらしく、
 「パリっとした格好をして来なさい。」
と言った。すると息子は、
 「それなら、いかない。」
と言い放った。夫がなんと言おうと、いやだと言って聞かない。

 息子としては父親の顔を立てるために、そんなに行きたくもないボーリングに行くのに、襟ぐりがべろーんとなったTシャツを、わざわざ生地のしっかりした上等のトレーナーに着替えるのは不本意なことであるらしかった。
 「見たいテレビもあるのに付き合うのだから、着るものまでうるさいことを言ってくれるな。」
ということであるらしい。

 私は、夫の気持ちも充分すぎるほどわかるので、
 「お父さんにも面子というものがあって、お父さんの面子を立てるために行くんだから、ここはひとつ、パリっとしていきなさい。」
といってみたが駄目だった。

 私もだんだん腹が立ってきて、
 「お父さんのお付き合いの中に入るんだから、お父さんの面子を立てなさい。それができないんだったら、母さんもあんたの友達に対する面子を考えないよ。なんだったら、参観日に網タイツはいてミニスカートで行こうか。友達はなんて言うかな。面白いな。」
と言ってやった。

 それでやっと、息子は、不承々々パリっとした格好をして、夫に連れられてボーリングに行った。

 ボーリング場では、若い女の子にちやほやされてそれなりに楽しかったらしく、満足げな顔で帰ってきた。
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by mayumi-senba | 2004-10-04 23:17 | 息子

相田みつを が見れないわけ

 もう10年位前、職場のある人の机の前で、相田みつをさんの言葉が書かれた日めくりを見かけた。とてもいい、でも忘れがちな大切な言葉が毎日日めくりで見られるようになっていた。

 相田みつを壁紙ギャラリー

 私は、それを目にするのが恥ずかしくてかなわなかった。

 とてもいい言葉だし、大切な言葉なんだけど、口にしたり文字にしたり、要するに自分から離れて誰かに届く形になった瞬間から、それはとても恥ずかしいものになる。私にとってはそういう類のものだった。
 自分の手帳やノートに人知れず書きとめる、そこまでで精一杯のもの。それだって、事故にあったりして、思わず誰かに見られたらイヤだな、と思うようなもの。

 私は、それを壁にかけている人が大好きだったので、聞いてみた。
 
 「これって、恥ずかしくないですか。これを掛けることじゃなくて、書いた人がこれを書いて人に届けようとした、その時の心のありようを思うと、私は恥ずかしくて見ることができないんです。」

 要するに掛ける事も恥ずかしいのだった。

 するとその人が言った。

 「歌手って、歌を歌うでしょう。あの歌詞は、普通恥ずかしくて口にできないようなことでしょう。でも、みんな聞いてる。そして心を動かされている。
 ボクは、このひとは歌手だと思っている。
 書いたときの心が、例えばこれをお金に換えて、などということもアリ、人に注目されたいもアリ、のいやらしさがあったとしても、作品には関係ないんだ。この人がもしかしたら無茶苦茶な人だったとしても、関係ないんだ。」

 もちろん、言葉を書くためのエネルギーが、お金や注目されたいということだけだとはおもわないし、そんなものはないかもしれない。ただ、私にとって恥ずかしいのは、どういう理由であれ、それを人に見せようと思う心の動きだった。

 でも、このとき初めて、ことばが必要とされているからこそ、言葉でご飯を食べていけるひとがいるし、そういう人が必要なんだと思った。

 ファンの人に怒られるかもしれないけど、プロ野球と同じなんだと思った。

 でも、私は相田さんの言葉をいまだに見ることはできない。
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by mayumi-senba | 2004-10-03 12:38 | 恥ずかしいこと