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酒と女

 実は最近、小唄を習い始めました。
 最初の曲は「お伊勢参り」でした。

 いまお稽古を始めたのは、

 「酒と女」
     酒と女は気の薬さ 
     とかく浮世は色と酒 
     ささちょっぴりつまんだ悪縁因縁
     なまいだなまいだなまいだ
     地獄極楽へ ずっと行くのも二人連れ 
     わしが欲目じゃなけれども
     お前のような美しい女子と地獄へ行くならば
     閻魔様でも 地蔵さんでもまだ
     まだまだまだ 鬼ころし

 この曲は、意味わかんないけどなんとなくまとまりがあり、リズムのある感じがラップのようです。
 生まれた成り行きが近いのではないでしょうか。

 リズムがいいようなんですが、これが途中でむちゃくちゃになるので、自分の歌が三味線にのれているのかどうかわからなくなります。

 月に2回はお稽古に行きたい、と思いますが。その前後の日が大変。
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by mayumi-senba | 2005-08-26 00:13 | 小唄のお稽古

民主主義の深い落とし穴

ヒトラー・最後の12日間、その2

 


ご紹介です。
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by mayumi-senba | 2005-08-23 20:06 | 世間のこと

ある自閉症の人のこと

今日のお昼休みに、自閉症の人とその家族の軌跡と、彼らがほかの自閉症のこを持つ親御さんたちをどれほど勇気付けてきたかということをリポートする番組を見た。

 一部しか見ていないしあわただしく見たので少し勘違いがあるかもしれない。

 彼は小さいころから水に執着をもち、水を出してはそこいらを水浸しにして、だれかれに怒られてばかりいたそうだ。
 お母さんはそのことに胸をいためたが、叱ったりして止むようなものでないということがわかっていたので、何とか怒られない方法はないだろうかと考え、その執着を掃除に向けてみた。すると彼は、お掃除をするときれいになるということを発見し、お掃除が好きな子になっていった。

 長じて、市の清掃課でアルバイトをしたら1週間でクビになってしまった。
 公務員試験を受けたらクビにならないということがわかり、試験を受けて合格。晴れて職員になって元気に働いている。

 かいつまんで言うとこうなってしまうが、地域で生きていくためにご近所の理解を得なければならない。大変な思いをされたり、また、それゆえに大きな喜びも経験されただろう。そして普通の悲しみも喜びもあっただろう。

 「水に執着するのだからなんとかこれを叱られないようにできないか、と一生懸命考えた。」

 お母さんは、このような表現をされたが、私は、
 「その子はこの点はいけないが他にいいところがある」のではなく、「そこが長所」なのではないか。
と思うのである。
 彼女ははそう言ったのだと思う。

 そのように子どもを見たとき、こどもはまったく違って見える。

 それともうひとつ、

 「○○(息子さんの名前、忘れてしまった)の生活の能力が上がったわけではなく、周りの人々の彼に対する理解がかわったことで、地域でとても生きやすくなった。」

 これは障害ある人の周りにいれば容易に理解できることである。しかし、理解できることと、実践ことの間には、大きな隔たりがある。

 でも、できないことではないように思う。

 彼らはすでにとっても有名人だけれど、詳しくはここ

 ただ、これもって、障害がある人も仕事、という考え方オンリーにならないように祈ります。
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by mayumi-senba | 2005-08-23 19:36 | 世間のこと

楽しい立体

 だからどうしたというようなサービスが、われわれの血税を使ってなされていますが・・・・・・・・、

 嫌いではないんですこれが。

 こちらからいただきですが、こちらも楽しいです。
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by mayumi-senba | 2005-08-22 21:12 | リンクなど

いーめーる教育談議

岡崎勝のページ

 以前ミニコミ誌で、いーめーる教育談議という企画があり、岡崎さんといっしょに毎月拙文を(わたしのは拙文)書かせていただいていた。岡崎さんのホームページには、そのときの岡崎さんの文章が掲載されている。

 毎月、二人で関係あるようなないようなことを書いてはペアで掲載されるという形だった。

 どちらかが先に書き、それを見てもう片方が自分の文章を書いていった。

 とても楽しい1年間だった。

 私も原稿を探してみよっと。

 岡崎さんは、この本の編集人です。

 お子さんがいる人にはお勧め本です。

 私は子どもが高校生になっても時々買ってます。
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by mayumi-senba | 2005-08-21 14:40 | リンクなど

フーケ

フーケ

 乳飲み子の息子を預けてカクテルを飲んでいたバーです。

 カクテルがおいしいです。

 この間久しぶりにひとりで顔を出しました。

 今日、何気にホームページに行き着いたら、とってもおしゃれで、リンクしておこうと思いました。

 もっと出席率下がっちゃうかも。
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by mayumi-senba | 2005-08-21 14:08 | リンクなど

謝られた。

 この間、午前中具合が悪かったので、昼休みに当直室のソファで横になっていると、部屋の鍵を閉めたはずなのにソシアルワーカーの男の子がそばに立って私を見下ろしている。 
 (心配してくれてるんだ。ありがたいな。でもかぎ掛けたはずなのに・・。)
とぼんやり考えていると、彼が言った。
  「先生、新しい入院お願いできますか。」

 この具合の悪い私をその眼で見ながら、仕事をしろというの?と頭にきたら、そこで眼が覚めた。当直室のソファの上だった。

 その話を彼にしたら、彼は言った
 「ええ?!僕はなんていったらいいんですか?謝るんですか?」
 「そうね」
 
 「・・・・・・・すみませんでした。」

 彼は笑いながらそういって、仕事に戻っていった。

 きょうはおやすみ・・・・。

 
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by mayumi-senba | 2005-08-18 07:25 | 恥ずかしいこと

そこそこの母親

かわいそうな子

もちろん私は、息子を子ども会に入れなかったことが唯一正しい道だったとは思っていない。
 いらぬ軋轢を生んだかもしれない。

 けれども私は、「かわいそう」とのたまった彼女に正しい母親と認められるよりは、息子から、
 「いろいろあったけど、ひっくるめて結構幸せな人生を生きた、僕にとってはそこそこの母親だった。」
と評価されたいと思っている。

 というよりは、私のような母親を、そこそこの母親だったと思ってくれる大人に育ってほしいと願っている。

 こう見えても、私だって息子を育てるためにあきらめたり失ったりしたものはある。
 人並みに大変だったりもした。何せ夫は単身赴任だったので、頼りにならない。
 
 結構大変だったので、自分を取り戻すために、月に一度だけ、二人の子どものいる方に息子を預けて、なじみのバーに行ってカクテルとウイスキーを飲んでいた。
 息子はお兄ちゃんやおねえちゃんと遊ぶのが好きだったのでご機嫌だった。
 私の母が聞いたらひっくり返るだろう。

 すべて子どものために、という育て方を否定するものではない。
 それにはそれのよさがあるだろう。

 ただ、私がそれをすることが息子にとって幸せだろうかと考えると、否なのである。
 人間、我慢をすれば我慢しきれるというものではない。
 私はその点において自分を見限っていた。



 



 
 
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by mayumi-senba | 2005-08-16 00:44 | 自分のこと

女好きがすき

 終戦記念日に書くのもなんだが、私は今まで、どんな男の人が好きだったか、恋人やボーフレンドや、また、そこに至らぬまでも、そうあらまほし、と望んだのはどういう人だったかと思い返してみた。

 浮かぶのはみんな、
 「女好き」ということを隠さない男。
 「女に弱い」といったほうが正確かな。
 その女が自分でなくてもいい。
 自分であったらもっといい。

 それだけだなあ。

 マッチョであることに価値を見出さない、というのも重要かな。

  

 

 
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by mayumi-senba | 2005-08-15 23:35 | 自分のこと

かわいそうな子

息子を可愛がってくれる料理屋さんに行って、彼の子どものころのことに話が及んだ。

 息子はスポーツが好きで、小学生のころに
 「子ども会のチームに入りたい。」
と言った。
 それを、私は許すことができなかった。
 息子は、それがなぜなのか不思議だったそうだ。

 理由は、子ども会に子どもが入ると、親は自動的に役員になり、毎週のように子どものチームの送り迎えや見守りをしなければならない。
 役員になるのは持ち回りらしい。
 しかし、子どもが小学生になると会員になり、同時に母親は役員をやれといわれたころの私は、その日に役員の仕事をしてしまうと、次の週の日常生活がとても保てず、非人間的なものになってしまうという状況だった。

 洗濯、掃除、買い物と自分自身の休養。
 どうしても必要。

 仕事をやめればそれはできただろう。
 しかし、その時私は、もし仕事をやめなければならないのであれば、それが夫ではなくなぜ私でなければならないのか、どうにも腑に落ちなかった。
 夫とも話し合ったが、夫は自分がやめるということを言わない。そして私にやめろということも言わなかった。言われたからって私がやめることはなかったに違いない。

 私たちの子どもに生まれた以上、恵まれたこともあり、不運なこともある。私は息子に子ども会の野球をあきらめてもらうことにした。
 
 息子は不満であったろうが、息子の不満をすべて取り除くつもりなど私にはそもそもなかった。

 私が仕事をやめる事が、息子の幸せにつながるとは思えなかったからだ。
 すべての女にとってと言うことではないが、私にとっては、仕事をして自分の食い扶持を稼ぐというのは生きていくための必要条件だった。それを息子のために犠牲にするということが、息子のためになるとは思えなかった。

 「子どもはこのことでは可愛そうですが、参加させないことにします。いつか私にもできる日が来るかもしれませんが、今の私には役員の仕事をすることができません。」
と、子ども会の保護者の人に言った。
 彼女は、
 「息子さん、かわいそうに。祭りのみこしにも参加できませんよ。みんな、仕事しながらでも役員をしてますよ。」
と言った。
 「仕方がないと思っています。」
と私は答えた。

 かくして息子は「かわいそうな子」ということになった。
 当人は何がかわいそうなのか分からないだろう。

 私は、この、「かわいそう」という目線を息子のために憎む。
 「かわいそう」という言葉を、地域で生きる子どもたちのために憎む。



 
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by mayumi-senba | 2005-08-14 19:15 | 息子