「ほっ」と。キャンペーン

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ポスター

 ふと気がつくと、好きなスターやキャラクターのポスターや写真などを部屋に飾ったことがないし、グッズを持ったこともありません。もちろん、私の子どものころにはすでにそのようなものは豊富にあったのですが。

 考えてみると熱狂するほど好きな芸能人はいなかったな。
 好きな芸能人はいるけれど。

 あ、ひとつだけありました。

 中村吉右衛門扮する鬼平が、シートベルトの着用を勧めるポスターが近所の警察署に貼られていいるのを見て、ほしいほしいと言っていたら、キャンペーンが終わったころにくれました。

 あれは当分張っていました。思い出すのはそれくらいかな。

 入手経路は知りません。捨ててあったものを拾ったに違いないと信じています。
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by mayumi-senba | 2005-10-31 00:38 | 自分のこと

つらいひとのつくりかた

 そばで見ていると結構楽しんでいる時間があるにもかかわらず、家族や知人に話すときにはその部分はまったく話さず、自分がいかにつらい目にあっているかということばかり話す人がいる。

 べつに何かをたくらんでそんなことをしているわけでもなさそうで、それは、自己像が「つらい人」になるメカニズムをその人の性格の中に内包しているとしか思えない。

 当然逆の人がいる。結構つらい思いをしているように見えるし、実際そのときは
 「つらい。」
とこぼしながら、振り返るとそれも楽しいことの遠景の中に溶け込んだり、どうかすると、形が変容していたり、あるいは消えてなくなってしまうような人もいる。

 幸せな気分を作る才能があるといえる。

 「つらいひと」になる人は、しかし、どこかでそのつらさを楽しんでいるように、私にはどうしても見えてしまう。つらいことというのは、楽しいのかもしれない。

 しかし、つらいに違いない。



 もちろんここで述べたのは、うつ病のときや、うつ気分というものを除いての話である。

 
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by mayumi-senba | 2005-10-18 23:26 | 世間のこと

ミソ と クソ

 私服通学のことについて話をする経過で、次のようなことを言う人がいた。

 「基準服でも私服でもいいというのなら、決まりごとは要らないと言う事ですね。では登校時間はどうです。この子は9時がいい、この子は7時がいいということになったら困るじゃないですか。」

 これは子どもが言ったことではない。大人の言葉である。私は、ちょっと耳を疑った。

 異なる服装の子が、同じ教室で同じ時間に勉強することは出来るが、始業時間が違うと、一人一人に先生をつけないといけなくなって、さすがに公費負担が莫大になる。それでもよいならそれでもよいが、現実的には、そこそこの負担にしなければ、税金が高くなってたまらない。

 ミソもクソも、というのは確かに陥りがちなことであるが、陥らないように思考力を鍛える必要がある。せめて、これくらいの区別は、「大人」を標榜するならつけていただきたい。

 と思ったが口には出さなかった。それは、ミソとクソ ほどに異なることを並べてはいないかという指摘だけしておいた。相手は黙ってしまったが、私の気分がよくなることではなかった。
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by mayumi-senba | 2005-10-17 10:19 | 世間のこと

基準服を着ない理由

中学校自由服通学の顛末

 小学1年生の秋か冬ごろから、息子は基準服を着なくなった。私は、基準服と聞いていたので、私が経験している基準服、すなわち
「着たい人は着る、着ない人は着なくてよい」
という理解をしていて、問題があるとは考えなかった。学校からも特にそれが問題であるということはいわれなかった。

 息子が基準服を嫌った理由は、
①着ると痒くてたまらない。実際着せるとすぐに体中を掻き始める。
②半ズボンは遊ぶときに足がこすれて痛いし、怪我をする。
③プリントに「出来るだけ基準服を着るように」と書いてあった。

 子どものことなのでここまでが限界だろうし、私が納得するのには十分だった。

 ただ、子供同士の軋轢については、学校がよほど積極的に私服通学もかまわないということを言わない限り難しいだろうと思っていた。
 しかし、制服好きな人たちがたくさんいて、学校も難しいので、それを学校に押し付けようとは思わなかった。学校はそうするべきではないかとは思ってはいたが。

 小学校の間、私服通学は最初息子だけだったし、後に二人ほど私服通学をするようになっただけだ。ただ、冬になると、上着は基準服でしたはスカートや半ズボンではなく、長いズボンをはく子が多くなった。

 中学も基準服のはずだが、事実上校則に細かく定められていて、「制服」といってよかった。
 私が中学の新入生の保護者が集まる席であのような発言をしたのは、少なくとも大人との軋轢の半分は引き受けておこうと思ったからだ。 

 同じ小学校から来た子達は、息子の私服通学に慣れていたが、他校出身の子からは異様な存在に思われたことだろう。1年生のころはかなり嫌がらせを受けたようだ。上級生の女の子から、
 「私たちの卒業式には出席しないでほしい。」
といわれたこともあったらしい。荒っぽい嫌がらせも含めて、怪我をさせられないかぎり私は一切口出しをするまいと思っていた。
 息子の、喧嘩好きなくせに臆病なところを信頼していたのだ。
 負ける喧嘩はしないし、喧嘩をしても怪我をさせないだろうという信頼があった。
 実際、その点について息子は期待を裏切らなかった。
 
 こう書くととなんだかとっても立派に聞こえるが、もちろん、普通に子どもなので、幼い、場合によってははた迷惑な行いもきっと多々あったに違いない。

 
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by mayumi-senba | 2005-10-17 09:57 | 息子

アスベストのこと

 アスベストが問題になっているが、20年以上前、学生のころにアスベストと中皮腫の関係は教科書に書かれていたし、国家試験を受けるにあたっては知らないではいられない事のひとつだった。
 知り合いに医師がいる人は試しに聞いてみられたらよい。
 よほどの年配の人以外は常識として知っているはずだ。

 その分野のものにとって常識になっているのに、世間ではまったく問題になっていないというような状況は、それぞれの分野であるだろう。

 たとえばC型肝炎ウイルスやエイズウイルスがまだ発見されておらず、救命のために必要な輸血をして感染させてしまったというようなこととは意味合いがまったく違う。

 エイズの存在を知らない医師はいないし、多くの国民が知っているはずだが、若い人たちの間で感染者が増えている、ということとも違う。

 
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by mayumi-senba | 2005-10-17 08:16 | 世間のこと

中学校自由服通学の顛末

おそろいは合意がないと・・・。

以下の文章は、息子が中学2年生のとき、「通学服を考える会」というところからの依頼で書いたものです。後にも先にも、中学で先生にものを申したのはこれっきりです。

  「子ども同士のことは自分で決着をつけるように。できないなら基準服を着ること。先生が説得ではなく、強制してきたら親に任せること。大人と子どもでは、同じ土俵で話ができずにキレテしまうから。
 今回は大人同士の交渉をちゃんと観察しておくように。」
と、文中にありますが、このような機会を与えてくれた学校に感謝しています。


中学校自由服通学の顛末


仙波 眞弓



 昨年の春、中学校の体育館で入学説明会があった。質問は、という時に、

「うちの子が、自由服通学をするといっています。親としては止める理由がないので、学校はそのつもりでいてください。」

と言うと、司会をしていた先生が、

「それは…。校長先生や指導の先生と…。」

とくちごもる。私は答えた。

「うちの子が基準服を着ないと伝えているだけです。許可を求めているのではありません。あまり例のないことでしょうから、あらかじめ親のほうから伝えておいたほうが混乱がないだろうと思って申し上げています。」

 後日、校長から自宅に電話があり、話がしたいと言うので、入学式の後、時間を割いて校長室に行くと、校長と担任が待っていた。私は、

「このたびは、先生方にご面倒をかけます。」

と挨拶した。以下はそのときの会話。


学: 基準服のことですが、息子さんが自由服で通学したいといってるんですか。お母さんの意思ではないんですか?


私: 私はあの子に、「面倒だから基準服にすれば」、と言ってあります。小学校のときから、私が基準服を止めたことは一度もありません。ただ、あの子が言う基準服を着ない理由は、私にはまっとうに思えますので、止め立てはできないと考えています。基準服は制服ではなく、強制できないですね。


学: でも、学校には校則というものがありますから…。


私: 先生もご存知でしょうが、広島市では基準服は強制してはいけないことになっていますね。それを破ることになる校則そのものに、ルールとして整合性がないですね。


学: ですが、集団生活をする限り、ルールは必要です。


私: あの子が裸で授業を受けたりしたら、ぜひ注意してください。私も許しません。非常識ですから。でも、トレーナーにジーンズで勉強すると何か不都合がありますか。私は、集団生活にルールが必要だと思います。だから学校に通わせるんです。勉強だけなら、学校でなくてもできます。でも、そもそも作ってはいけないルールがあります。


学: 高校はたいてい制服ですが、困るでしょう?


私: 本人は、行きたい高校が制服なら、それが承知で入学するのだから制服を着用すると言っています。


学: 高校は嫌うでしょうね。もちろん私服通学をしていたから落とす、ということは言わないでしょうけど、違う形でね。茶髪のこが落とされてます。茶髪だから落としたとは言いません。まあ、本当に成績が悪かったのかもしれませんが。ところで茶髪についてはどうですか。


私: 高校の先生は、中学時代の自由服通学が、高校入学でネックになることはありえないと言われていますが。茶髪は許しません。そんなことは自分で稼ぐようになってからすればいいことです。


学: 我々は、ほかの子をどう指導すればいいんですか?なぜあの子だけ私服でいいのかと聞いてきたら、どう答えればいいんですか。


私: それは先生方で考えてください。私が考えることではありません。


学: ほかの保護者からのクレームにはどう答えればいいんですか。


私: 義務教育中の公立学校での通学服は、それぞれの家庭が考えればいいんじゃないですか。教育上ぜひとも必要なら、無料で支給するように先生方が運動してください。そこまで学校が何でも抱えることないじゃないですか。何もかも抱えたら大変でしょう。家庭の教育力の必要性がこれほど言われているのに。なんでも学校に任せる親が多すぎます。先生方もお困りでしょう。

教育は、家庭と学校が力を合わせることが大事ですよ。私もうちで教えるべきことはきっちり教えますし、先生方の要請があれば、うちの子のことでなくても私の時間をできるだけ割きます。子どもはみんなで育てないと。できることはやりますよ。

まあ、よその親御さんが、うちの子が自由服で通学することに文句があると言うのなら、私が対応しますから、どうぞ私に言えとおっしゃってください。私は、基準服を着せたい家庭に口出しもしませんが、同じ服装で通わせたいという趣味の人に、高い金を出して付き合う気はないです。


学: 上級生からいじめが予想されますが、学校としては責任がもてません。


私: それは困ります。学校の中や登下校中にうちの子が怪我をさせられるようなことがあったら、学校にも、その子にも、それ相応の責任を取ってもらいますから、そのつもりでいてください。黙っているつもりはありません。人と変わったことをしていたらいじめてもいい、などということを学校は教えませんよね。


学: いじめは、靴を隠す、というような犯人が特定できない陰湿なかたちでやってきます。


私: 一回目はいいです。靴でも教科書でも買い換えましょう。でも、その都度、同じことが二度と起こらないような対処をしてください。それでいいんですから。


学: 私服だとお金がかかって大変な家庭の子がいるんです。僕たちはそういう子達のことも考えなければならないんです。


私: トレーナーにジーンズを2枚ずつ、体育用のTシャツにズボン、全部合わせて1万5千円でした。バッグは小学校のときのものを使うそうです。学校指定のものだと、全部で5万円以上でしたね。


学: でも制服はリサイクルができるんです。


私: 自由服はもっとリサイクルしやすいです。同じ学校の先輩からだけじゃなく、いろんな人からいただくことができます。

先生、私はただ、こどもに自由服通学をさせると言っているだけで、学校のやることになんでも反対と言ってるんじゃないですよ。上履きは学校指定のを買いました。学年ごとの色違いだから、きっと先生が生徒を管理するのに便利でしょう。それぐらいなら付き合いますよ。私は、先生方といっしょに子どもを育てたいと思っています。


学: 基準服を着るように指導することはかまいませんか。


私: どうぞ。私はもともとそれでも別にいいんですから。基準服を買う程度の経済力はあります。ただし、強制はできないはずですね。説得はどうぞ。あの子にとっても、物事を考えるいい機会になるでしょう。


 息子には、次のように言って聞かせてあった。

「子ども同士のことは自分で決着をつけるように。できないなら基準服を着ること。先生が説得ではなく、強制してきたら親に任せること。大人と子どもでは、同じ土俵で話ができずにキレテしまうから。
 今回は大人同士の交渉をちゃんと観察しておくように。」

 あれから一年。上級生からの嫌がらせもあったようだが、受けてたったり流したり、また、キーパーソンとの関係を作ったりしながら、元気に学校生活を楽しんでいるようだ。先生たちとも、結構いい関係を保っている。

 楽しみにしていた他の保護者からのクレームは、全くない。
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by mayumi-senba | 2005-10-10 08:29 | 息子

おそろいは合意がないと・・・。

 私立はあって当然だが(なくても当然だが)、公立の義務教育学校では、制服があるのはおかしいのではないかと私は思っている。
 もし教育的にどうしても必要なら、無償にするべきだ。

 共同生活や授業を受けるのに、制服が必要かどうかというのはその保護者の人生観や、もっと言えば好みにかかっている。
 
 私自身は、子どもが基準服と呼ばれる、実際は「制服」をきたいといえば着ればいいし、着たくなければ着なくてよい、と思っていた。
 どちらを選んでも学ぶものはある、と思っている。
 よその子にいたっては、もっとどっちでもいい。
 口出しする筋合いはないと思うのだ。

 しかし、自分の子どもに「制服」を着せたい人は、自分の子どもが「制服」を着るだけでは気がすまないらしく、よその子もみんなそうしないといけないらしい。 
 確かに、みんなで着ないと「制服」にならない。
 しかしそれはちょっと、そう思わない人に対しては迷惑な話だと思うのだ。
 自分の趣味を押し付けるなら、せめて、制服代を持ってきてくれて、協力お願いに来てほしいものだ。

 ところで、おんなじ服を着てないと、地域の子として教育できないだろうか。
 制服があった時期というのは歴史的に言えばかなり短い。そのときしか子どもはまっとうに育ってないだろうか。
 
 ある先生が、
 「制服が我慢できなかったら、社会に出たときに困りますよ。」
と言ったので、この人の社会に対する認識はこの程度のものかと思った。

 自分が選んで、しかも制服を着ることをも含めて仕事ということでお金をもらう立場になったら、普通に着るものだ。場合によったら、自分の服が汚れるから「支給してくれ」というぐらいだろう。
 着たくない人は、制服のない仕事を選ぶのだ。
 いったい制服を着る職業の人は、人口の何割なのか。
 
 息子についてはもう済んだことだが、思い出したのでちょっと書いてみた。

 息子は実質「制服」の学校で、結局私服で通した。
 着ても着なくてもよい実質上の「基準服」のなかですごしたより、得るものは大きかったような気がする。
 
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by mayumi-senba | 2005-10-10 01:57 | 世間のこと

バ、バッジですか?

例えば・・・・

接客態度をバッジで格付け 郵政職員、4段階に 

正気でしょうか。私も驚きました。

 顧客にとって、責任者とそうでない人、あるいは、担当の区別がつくのは便利。
 そのための名札などは便利であり、自分を接遇してくれる人に責任を持って事に当たっていただくのによいと思う。

 しかし評価ということについて言えば、顧客が行うのはその組織に対する評価であって、個々の職員の評価は郵便局の内部ですればよいのではないか。

 顧客は職員を選べるだろうか?
 郵便局に行くときには、たいてい私には時間があまりなく、選んでる余裕などない。 
 職員の能力に応じた配置をし、教育をし、モチベーションを高めるのが組織の責任ではないのか。
 
 そのモチベーションのあげ方がバッジというのだろうか。

 バッジを喜ぶのは、顧客ではなく、経営陣のなかの、人間に対する認識が非常に子どもじみた人のみだと思う。すでにもうそのことが露呈してしまっている。

 将軍様を押し頂く国にも、確か、それに似た意味合いのバッジがありましたね。
あのバッジは、外国のものから見たら滑稽にしか見えない。
 
 出来れば「恥ずかしいことだ」という認識を持っていただきたい。
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by mayumi-senba | 2005-10-10 00:32 | 恥ずかしいこと

これはがんばってるかな

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 こんなにがんばったら、全身肩こりになりそう・・・。
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by mayumi-senba | 2005-10-03 01:43 | その他

意気やよし!!

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by mayumi-senba | 2005-10-03 01:34 | その他