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疑り深い人

 疑り深い、というか、用心深い人がいる。

 たとえば人が何かを言ったら、それはその人が自分を騙そうとしているのではないかという風に考える人。いつも誰かが自分を騙そうとしているんじゃないかと思っている人。

 では、そういう人は騙されないか。

 そんなことはなく、むしろ騙されやすいだろう。

 同じことを聞いた別の人が、
 「そうなんだ、知らなかった!!」
などというと、なんと騙されやすい人だろうと思うか、思ったうえに、
 「騙されちゃだめよ。ほんとかどうかわからないわよ。」
と口にしたりする。

 それは要するに、「読めない」ということを露呈している。
 
 「そうなんだー。」
といった人がそのことを信じているに違いないと考えるナイーブさがある。

 人は、心の中で思っていることとは違うことを口にする。それは誰かを欺こうとしたり、自分の立場をよくしようとする場合に限らない。

 何かについて判断を保留しておきたいけれど、判断らしいことを表明しておかないと間が持たないようなことが往々にある。そんなときには、「そうなんだ」というようなことを言うことがある。

 多くの人はそのことを暗黙で了解しているが、それが読めないのだ。

 だから、ニュアンスが読み取りにくいために疑り深くなる、というメカニズムがひとつ考えられる。
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by mayumi-senba | 2007-07-31 00:53 | 世間のこと

体育館の屋根

ついさっき投票を済ませた。

 投票所は息子が通っていた小学校の体育館。

 彼が現役の小学生のころ、仲良しの男の子のお母さんが耳打ちしてくれた。

 「あの子達、体育館の屋上に上って先生に叱られたらしいよ。」

 もちろんわたしも後で思い切り叱っておいたが、あれくらいの子で、運動の得意な子であれば、体育館の屋上はそんなに危険ではない。

 ということを私は知っている。
 私も登っていたからだ。
 私は叱られたことがないということは、要するに告げ口する奴が周りにいなかったので、人徳の差、ということになるかな・・・。
 
 両親にもばれなかったし。

 高いところに登るという点では、身体能力として最高の時期だった。

 もちろん息子も私も、何事もなく過ぎたからよかったものの、転落していたらただではすまなかったはずだ。

 過ぎてしまったことゆえに言えることだが、順位をつけるならこういうところかな。
  
  1.少し危険なことをして、怖い思いもしたが軽い怪我だった。
  2.少し危険なことをしたが無事だった。
  3.少しの危険も避けたので無事だった。
  4.少し危険なことをして大怪我をした。
  

 現役の子育て中のお母さんにとっては、
 「これを聞かされたからって、私はどうすればいいのよ。」
という感じでしょうね。

 親が迷い続ける間に、やる子はやるんですね。どちらにしても、危ないことはしてはいけませんというしかないし、こっそりやっているのがわかったら、思いっきり叱るしかない。

 
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by mayumi-senba | 2007-07-29 19:04 | 息子

私は魔女

  いえ、魔法が使えるわけではありません。

  世の中にはいろんな能力があって、かなわないことばっかりだと20代のころには打ちのめされていました。

 そうではなく、この「魔女」というのは、「魔女裁判」で「魔女」と認定され、火炙りにされた人たちのこと。

 中世ヨーロッパに生まれていれば、かなりの確立で火炙りになっていたでしょう。

 同調圧力に対して鈍感である。
 その1点でそう思われるのです。

 
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by mayumi-senba | 2007-07-28 20:14 | 自分のこと

風花雪月

セクシーな美味しさ  共感覚

 風花雪月が今日届いた。

男たちがヌード写真を見ているときって、こんな感じ?

 そう思うほど、脳みそは全体で喜んでるし、身体は隅々まで潤います。
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by mayumi-senba | 2007-07-23 22:27 | 美味しい!

ちょっと寂しかった。

お前が言うな!!

 実は、この会議の席上では、私は経営者に言っている。

 「あなたの立場で言うのはふさわしくないのではないか。あなたが言った瞬間から、賃金の支払い義務が生じるのではないか。それは承知か。」

 経営者が言ったのは、診察開始時刻の5分前ではない。「始業時刻の5分前」である。

 しかし、出席者のうちで私が言いたいことを理解していたのは、たった一人だった。
 
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by mayumi-senba | 2007-07-23 22:02 | 世間のこと

お前が言うな!!

 「お前が言うな!!」

と思わず叫びたくなるようなことが、時々だけどある。

 以前の勤務先で、管理職を集めた会議で経営者が言った。

 「職員は、出勤時刻の5分前には着替えを済ませて持ち場にいるように徹底するように。」

 私は強い違和感を感じたし今も感じ続けている。

 たとえば職員同士で、
 「私は5分前には着替えを済ませて持ち場にいるようにしているのよ。みんなそうしようよ。」
というのならわかる。労働者としての美学の問題だし、それを越えるものではないからだ。

 しかし、労働に対する対価を払っている者が、それを指示するのであれば、それはすでに労働になるので対価を払わなければならないのではないか。

 5分に対する対価と、制服を着用するのが業務命令なのであれば、その着替えを行う時間も労働であり、その対価を合わせて余分に支払われなければならないのではないか。

 こんなことを言う私が、では杓子定規に定刻に出勤して定刻に帰るかというとそんなことはない。
 何やかやと超過勤務をしていて、特段シビアに文句を言い立てたりしていない。
 しかし、ここでいいたくなるではないか。

 「お前が言うな!!」
と。

 これは古典的な労働問題で、法律レベルではいろいろ判例があるのだろうが、道理のレベルでいいたい。

 ある言葉を口にしていいかいけないか、立場をわきまえたほうがよい。
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by mayumi-senba | 2007-07-21 22:34

あっぱれ!!

インドの女性、性行動で夫を信用すべきでない=担当相


同相は「われわれ女性は避妊具の使用を求めることに恥じらいを感じているが、自らを守るために避妊具を使用すべきだ。10億人の人口を持ちながら性交渉について話したがらないとは、われわれは偽善者だ」と訴えた。


 いい人、やさしい、誠実、賢い、美しい、かわいい、金持ち、身近な存在。これらの属性と性感染症患者あるいはキャリアであることとは、あたりまえであるが、両立しうる。
 この当たり前なことが、どうも当たり前なこととして世間に通用しない。

 こどもたちには、身を守るためにしなければならないことと、相手を愛し尊敬することとを同時に行うことができる人間になってほしいと常々思っている。
 身を守ることは、病気を広げないことにもつながる。

 若い人たちに、性について話す機会が時々あるが、たいてい、
 「大人はなぜもっと早くにそういうことを教えてくれなかったのか。」
という。

 母親同士の立場で話すと、その必要性を多くの人が感じている。
 より子どもにちかい所にいるからだ。

 先進国の中で、今なおエイズが増えているのは日本のみだという。

 「自分の頭の中のストーリーを根拠に、性教育を阻害することはやめてほしい。」

と私がこんなことを言うのは、本当に阻害したがる人たちがいて、力を持っているからだ。

 こどもに性についての知識を与えると性行動に走る、というのがどうも根拠らしい。
 そう考えることが、その人の内面を映し出す。

 

 
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by mayumi-senba | 2007-07-18 04:17 | 世間のこと

高齢者の半分は在宅死を希望せず

高齢者の半分は在宅死を希望せず

私が日ごろ感じている数字に近い。
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by mayumi-senba | 2007-07-09 20:07 | 世間のこと

男同士の手打ち

現在、従軍慰安婦と呼ばれる人たちが、当時は慰安婦や酌婦、従業婦その他の呼称で呼ばれていて、だまされてか、強制的にか、自発的にか徴用され兵士の性的欲望のはけ口とされていた。すべてではないかもしれないが、中には拒否や脱出が許されなかった人たちもいた。

 そんな女性は、多くは日本の貧しい人々であったが、中国人や朝鮮人の人達も大勢いた。

 軍が直接徴用した例もあるが多くは民間業者が募集、斡旋を行い、軍はその方法の悪辣な場合もあることをうすうすかはっきりかはわからないが知っていながら、業者の便宜を図っていた。

 すべてではないかもしれないが直接軍が関与した場合もあった。

 従軍慰安婦問題の私の認識である。

 数など私にとっては問題ではない。20人だろうと20万人だろうと、何が違うのか。

 従軍慰安婦を支援する女性たちがいて、彼女たちを非国民呼ばわりする人達がいる。

 私は、研究も支援もする時間がなく、いったいどういうことなのかを、左右を問わず多くの人の教えてくれることを読み、上記のような認識を持つにいたっている。

 従軍慰安婦問題に真摯に取り組んでいる人達は、本当に非国民なのか。
 
 私はこの問題について考えるとき、日本人の男性との距離よりは、中国や朝鮮人その他の国の女性たちに身を寄せる。私は日本人であるが女である。

 仲介業者が日本人でなくて、女性たちが自発的に来たと仮定しても、ではなぜ自発的にこなければならなかったのか。

 ましてや、自由を奪われ、まさしく性奴隷と呼ばれるにふさわしい境遇を強いられた人達がいたのだ。
 すべてではないのだろうが、実際の割合はわからないが、いたのだ。

 支援者の人達がいなければ、私はそんなことを知る由もなかっただろう。
 支援者の人達が発表したことの中には、間違いもあったたかも知れないが、知らせてくれたこと功績ははるか勝るのである。

 彼女らの身に起こることは、状況が違えば、いえ、違わなくても日本人女性にも降りかかってきたことではないか。

 ある日祖母がいっていたことを思い出す。
 「戦争に負けたとき、アメリカ軍が来る前に娘を隠さんとえらい眼にあう、と男どもがゆうてた。自分らがしてきたことをされると思い込んでたんや。」

 国家同士の問題もからむので複雑であるのはわかるが、女性が問題意識を持つことはしかるべきことだと思う。男同士で手打ちをするのは、当事者抜きの加害者同士の手打ちにしか見えない、のだということをもっと自覚したほうがよい。

 
 
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by mayumi-senba | 2007-07-05 22:15 | 世間のこと

妹背かツマか

 私は、「夫」と「主人」という言葉を、語る相手によって自然と使い分けている。相手が、「主人」という言葉のほうが安心できる人なのだと踏めば「主人」という。その使い分けに違和感も後ろめたさもない。

 私にとってと本来の「主人」いう言葉はすでに歴史的なものであり、時を経て、夫の別称に過ぎない。ある時代の「夫と妻」は、ある階層において「主人と奴婢」に近い関係であった、という歴史的な事実の痕跡である。
 今もなお八丁堀や薬研堀、鉄砲町などと呼ばれるところが、地名に歴史の痕跡を残しながら、現実はビルが立ち並ぶビジネスや娯楽の中心街であることに似ている。

 今、「主人」という言葉に、歴史的意味合いを込めている女性はいないのではないか。自分はこの「主人」の奴婢、すなわち財産としての所有物である、などとは思っていまい。「使用人」とも思っていまい。

 男女関係を盛り上げるために、とりあえず手近にある「マニュアル」を使っているに過ぎない。
 デートコースや、プロポーズの仕方の延長にある。

 多くの男女は、難しいことは言わないが、わかっていながら敢えてやっている。
 酔い痴れているときも、どこかで知っている。

 しかし、ベタに信じてしまう男も女もいる。

 だからやはり「主人」などという言葉は撲滅したほうがよい・・・か?

 ベタに信じている人は、ことごとく現実にしっぺ返しを食っている。
 その感覚では、「現実」に対応できないからだ。
 どちらかが、ふと気づいてしまう。

 だから私は思うのだ。
 「主人」という言葉を無理になくさなくても無くなるときはなくなるし、無くならなければ、
 「ここは昔鉄砲を作っている人が集まっていたところなの。」
というように、
 「女は男の持ち物だ。」
なんて言ってた時代の名残なのよ。などと、「へー。」の呼び水になる。

 ただ忘れてならないのは、私たちがこのような感覚を普通に持ち合わせることができるのは、「主人」という言葉に強い違和感を感じ、抵抗をし続けてくれた先輩たちの戦いの成果なのだ。
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by mayumi-senba | 2007-07-01 22:54 | 世間のこと