<   2007年 12月 ( 2 )   > この月の画像一覧

對 酒 

對 酒   白楽天

  蝸 牛 角 上 争 何 事

  石 火 光 中 寄 此 身

  隋 富 隋 貧 且 歓 楽

  不 開 口 笑 是 癡 人


かたつむりの角の上のような小さな世界で、人々は何を争っているのか。

あたかも火打石の火花のような一瞬のはかないこの世の中に、仮にこの身を置いているというのに。

金持であろうと貧しかろうとそれなりに楽しく暮らそう。

口をあけて気持ちよく笑わないのは、おろかな人である。


 病院のパソコンのスクリ-ンセーバーで、伝言板にこの白楽天の詩を書き込んだ。書き込んだときに、七言絶句のはずが、一行どうしても六字になって困ったが、あとでこっそり修正した。

 誰とはいわないが医療職ではない職員が、

 「鍋を囲んで酒を飲み、楽しく笑って暮らそう。」
という意味のことが書いてあるのかと思った、らしい。

 蝸牛とはカタツムリのことであるが、医療職にとっては耳の奥にある感音器官の名前としてのほうが親しみがある。だから、看護士は多分「蝸牛」を鍋のことだと思うようなことはないと思う、いや思いたい。

 間違えたのは、しつこいようだが医療職ではない。

 しかし、最初に誤読して大きく迂回し、最後は詩の本質に迫っているあたり、彼女の感性のなせるところか、漢字の偉大なところか。

 私は「感動した」のである。
[PR]
by mayumi-senba | 2007-12-21 00:00

夫婦の姓

 夫婦の姓については、私は選択的夫婦別姓がよろしかろうと考えている。

 ここで興味深い議論がなされており、聞いていただければと思う。

一方、長谷川三千子氏は、「夫婦別姓」と「夫婦同氏」という東アジアの伝統的家族モデルの2つの類型を提示し、日本は「いっしょに暮らす夫婦や子をひとつの氏」でまとめる「夫婦同氏」システムを採用してきた社会であると解説し、この2つが混ざり合う選択的夫婦別姓案には問題があると主張する。また、混合があり得ないとすれば、どちらかを選ばなければならず、その場合は、日本には夫婦同氏の方が適していると説く。


 私はここについてだけ論じたい。

氏と姓と苗字

 江戸期時代は、8割から9割がたの日本人は苗字を持たず、「何々村の何べえ」などと呼ばれていたはず。私には、この事実だけで長谷川三千子氏の主張は説得力を持たないと思われる。

 伝統というのであれば、夫婦同姓者が2割ほどいれば、伝統は守られたことになるではないか。律令制の時代にまで遡ればまた違うかもしれないが、江戸時代の伝統はなぜいけないのか。

 夫婦同姓の伝統をもっていようといまいと、そうするのが自分達に適していると思うならばそうすればよい。

 夫婦別姓でもよいのならば、そもそも苗字(現代の姓)をみんなが持つ必要はないではないかというという話になるが、江戸時代に比べ、人の数と移動距離は格段に増加し、同名が増えややこしい。
 私の住む町に、真弓という名前の人は、少なくとも3人はいるし、職場にも一人いる。
 苗字と名前という二つの記号を持つことは、識別に格別の威力を発揮する。

 選択的夫婦別姓論者は、他人が同姓だろうと別姓だろうと、気にならない。自分の困難を取り除きたいだけだからだ。

  夫婦同姓論者はなぜかくも他人の生き方にクチを出したがるのだろう。




 
[PR]
by mayumi-senba | 2007-12-09 02:46 | 世間のこと