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歌のうまい女の子

  you tube で可愛い猫の動画を見ていたら、フィリピンの可愛い少女がカラオケで歌っている動画に行きあたって、その子の幼い印象と聞こえてくる歌声のあまりの乖離に、どうしてこんな手の込んだ動画をあげるのだろうと思った。流れているのは彼女ではなく、プロが歌っていると思ったのだ。

  Charice Pempengco

  こんな才能を、世の中が放っておくはずがない。

  これほどの才能を持ってしまった子どもは、大人たちから与えられ、奪われるものを、自分の成長に程よく塩梅して取捨選択することなど、出来るはずがない。

  才能を持たない子ですらできないことなのだから。

  容赦なく与えられ、奪われるものに苦しむ日が来るのだろう。その苦しみを苦しまない歌手を、世間は許さない。

  私は、若くしてすでに広く知れてしまった才能の行く末に来る苦しみを、彼女が乗り越えてくれることを心から祈る。

  

  
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by mayumi-senba | 2009-08-27 18:49 | 世間のこと

少子化についてふりかえる

 少子化、という言葉を聞かない日がない。

 隔世の感、である。いままで書いたものを読み直してみる。


 出生率のこと

 女が働くことと少子化

 少子化は危機か?

 NIESで進む少子化 ペース日本以上

 
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by mayumi-senba | 2009-08-23 22:29 | 世間のこと

孤独

  引用-----
最近、銀幕を飾った往年の美人女優が60代で亡くなった。

 病気を患い独身で死んだということだけで、「壮絶孤独死」とメディアに書かれる。60代にもなれば病気のひとつやふたつあって不思議ではないし、独身なのだから、死ぬ時だってひとりなのは想定内だ。

 なぜ、死ぬなり「孤独」と書かれなければいけないのか。ならば生きている時から「壮絶孤独生活」と取材し、「孤独に散歩」「孤独にお洒落」と記事を書けばいい。

 生きている時には書けなかった独身への冷ややかなまなざしが、死んだとなると解禁したように牙をむく瞬間だ。
----終わり

この記事の中で、遥洋子さんが紹介しているのは、お分かりだと思うが、大原麗子さんである。

 優しげな顔立ちに、ハスキーでかわいらしい声が魅力的な女優さんだった。彼女の私生活で私が知っていることと言えば、歌手の森進一さんと結婚して、離婚したこと。

 記憶が間違っていなければ、森さんは、
 「一つの家に二人の男がいるような生活だった。」
というようなことをコメントしていたが、彼女は一切コメントしなかったように思う。

 なんてかっこいい人なんだと思った記憶がある。

  遥さんの言うとおりだと、私は思う。

  さらにいえば、大原さんは死後こんな風に書かれることも知っていたはずで、その上での療養生活だったのだと思うから、彼女自身はきっとへっちゃらだろう。

 そう考えれば、孤独という言葉をこのように使うものの見識の低さや品の無さがよけいに際立つ。
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by mayumi-senba | 2009-08-22 00:47 | 世間のこと

道楽

  昨日は、知人との食事のために街に出た。
  少し早く着いたため、少しだけ、と思って古くからある器の店に寄った。

  「買わないぞ。」
と思っていたのに、大ぶりで丸みのあるタンブラーを2客買ってしまった。そのタンブラーに注がれたワインやブランデー、焼酎や冷たい麦茶までが次々に私の頭に浮かんでくるのだ。そして口付けた感触や味まで浮かぶ。

  日常使うにはあまりに薄く、おそらくめったに使わないだろう。もしかしたら、一生使わないかもしれない。

  なぜなら、我が家にはそんな器が大きな食器棚3棹にぎゅうぎゅう詰めになっているほか、サイドボードにはグラスや茶器が、これもぎゅうぎゅう詰めになっている。はみ出したものは2階の押しいれにある。書いていてわれながらあきれる。

 しかしまた買ってしまった。occupied japanのコーヒーカップも目について、コーヒーを入れたところが頭に浮かんだが、さすがに我慢した。グラスを買っておいて、コーヒーカップを我慢したと自分で自分を褒めている。

 私が選んだものは、すべて、どうしても頭の中で料理を盛られているので、そのものだけで見たらもしかしたらつまらないかもしれない。そのように盛られる料理や飲み物を頭に描いて買った器でも、実際に料理を盛られることはあまりないのだ。

 時々出してみては、頭の中で料理を盛る。

 道楽というものだろう。

 母が今の私の年齢のころ、この人はモノを捨てるのが趣味なのかと思うほど、熱心にいろんなものを捨てていた。

 いま、私はその母の気持がよくわかる。一生使わないに違いないと思われるものを、身近に置いておきたくない。少しずつ見切りをつけて、捨てたり人に使ってもらったりしている。

 そして、欲しいものがない。  食器以外は。

 着るものも、履くものも、ずいぶん前に買って今なお手元にあるもので十分だし、もともと私は流行に頓着がないのたいていのものは今も着ることも履くこともできる。

  今こんなことを書くと、非国民と呼ばれそうだが、たまにデパートに行っても、欲しいものがなく、買うものがない。結局散歩をして、地下で食料品を買うだけということになる。

 それよりは、不要のものを処分することに快感がある。食器以外は。

 私は、これと同じことが脳にも起こっているような気がする。いや、脳に起こっているからこそ、それに相似した行いに快感があるような気がするのだ。

 (そう思うだけですからね。医者がそう書いたからって、それが危険率5%で証明されているなんて思わないでね。)

 脳は、年を経るごとに、得意なことをさらに得意にし、不得手なものはさらに不得手にする。不得手な部分はつかわないから、回路がなくなっていくのだ。

 書いているうちにこの先を書くのが怖くなってきた。
 
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by mayumi-senba | 2009-08-21 03:13 | 自分のこと

生きる意味

  人は何のために生きているのか。

  この問いに答えが出せなくて苦しい思いをしたという話を聞く。この間、そんな話を聞く機会が続いた。知人とテレビの画面からであった。

  私は忘れてしまったのだろうか。

  彼らが苦しんだという時期に、確か私は大いに迷っていた。
 
  どの線で生きていこうか。
  若くてバカだから、選べると思っていたのだ。

  人の後についていこうか、自分が先に歩こうか。
  いわゆる女性らしく、というのは無理だとさすがにわかっていたので、ややこしくて申し訳ないが、性同一性障害でもないのに、男らしさにぎりぎりまで近づいてみようか、それとも、なよなよしないけどあくまでも女らしく行こうか。・・・・なよなよは無理なのだ。

 それは切実に大切な案件だった。

 着るもの、持つもの、ふるまいが変わるわけだから、そしてもちろん物事を考えるときの傾向が変わってくる。

 ところが、そんな迷いを迷いながら生きているうちに何となく今のようになった。着るもの、持つもの、ふるまい、考え方、何を忘れて何を覚えているか、物事に対処する仕方。すべて自分らしいと自分で思う。

 で、そうなるまでに大切な場面で決断をしてきたのだろうけれども、本当に自分で選んできたのかと問われると自信がなくなる。

 私の中には父と祖母が常にいる。鮮明な形で。

 今となっては、これまで考えてきたことや判断を自分でしたような気がしなくなっている。

 彼らは、思い起こすと涙が出るほど私をかわいがり、大事にしてくれた。祖母などは、進学のため家を出た私が電話をするとそのつど涙を流していた。

  私は、
 「死ぬに死ねないな」、
 とその時思った。それどころか
 「不幸もいかんな。」
と思った。

  そうはいってもつらいことがないわけではなかったが、その時はいつも、祖母と父が大事にしているものは大事にしないといけない、と思った。すなわち自分である。

 私は、生きる意味を考えたことがない。

 むしろいかに死ぬか、ということの方が大きなテーマである。

 これもおろかな問いである。死は、自殺を除けは、時期も死因も選ぶことができない。

 実はこの6月末に母が逝った。

 私は、母とは縁の薄い娘で、お互いにわかりにくい親子であったので、母が哀れで涙が出たが、決して母を失ったという涙ではなかった。

 それよりは、はるかに利己的だと思うが、帰るべきところがなくなったという喪失感にうろたえた。もはや自分には帰るところがないのだ。根っこがなくなった感じ。

 そう思うと、息子が根っこが消えることに耐えられる年齢になるまで元気で生きていなければならないような気がした。具体的に援助するということではなく、今度は間違いなく私が息子の根っこになる。

  ところが、私は、嬉しいことがあるとすぐに思うのだ。

 「ああ、これで死んでもいい理由がまた一つ増えた・・。」

 死んでもいい理由をため込んでいってる。

 死ぬべき時が来たら、「もう死んでもいい理由がたくさんあるから、死ぬよ。」
と言って死にたい。

  生きる意味、という問いは、ついに私は立てることがなかった。
 
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by mayumi-senba | 2009-08-19 22:57 | 自分のこと

最高裁って・・・・

今回のマル激トーク・オン・ディマンドで、初めて最高裁の実態を知った。

みなさん、びっくりしますからぜひ見てみてください。

マル激トーク・オン・ディマンド
一件にかけられる時間が単純計算でいくと1時間足らずだって・・・。

今回はきっちり判断して×を書くべきは書こう。

 
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by mayumi-senba | 2009-08-17 22:26 | 世間のこと

パパ大好き

  数日前のこと。

  スーパーで買い物をしていると、後ろからかわいい声が聞こえてきた。

  「あれ買って。だってパパのこと大好きだもん。」

 えっ!と思って振り返ると、幼稚園の年中さんくらいの女の子が父親らしい男性に抱っこされていた。抱っこしていたのは30代くらいと思われる男性。嬉しそうに眼も口もとも緩んでいる。

 「だって」に続くのが「パパのこと大好きだもん」?!

 「あれ買ってほしい」理由が、「パパのこと大好きだもん」?!

 コペルニクス的転回である。

 「あれ買って。あれ買ってってば。」
と、愚直にいうしか能がなかった幼いころのわが身を振り返れば、すでにあの年齢で、その後の生き方の分岐が始まっているのではないかと思えてくる。

 息子は、あまり賢くない我が家のシーズー犬クックル嬢のことを、「ペットのプロ」と呼ぶ。

 動作のいちいちが可愛い。物覚えが悪くても、少々くさくても、可愛い。いや、だからこそ愛おしい。

 私は、「パパ大好き」という才覚を持ち合わせていなかった。いなかったおかげで今こんなであるが、それはそれでいいと思っている。それでいいのだが、理由が「パパ大好き」というのは才能であると思うのだ。

 イチローや中田に似たまぶしさを感じてしまう。

 彼らはすごいな、と思うが、野球やサッカーがうまくなりたいとは思わない。それと同じ。

 
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by mayumi-senba | 2009-08-11 19:56 | 自分のこと