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中国ですね!!

海南でワニ46匹脱走―当局発表「食べてもいいから、捕まえて!」

なんか、カッコイイ感じがしてしまう。
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by mayumi-senba | 2009-10-30 21:10 | 世間のこと

伝え上手

 子どもの頃、私には爪をかむ癖があって、爪切りを使って爪をつむということがなかった。

  父にもその癖があって、たぶん無意識に真似ていたのだろう。

  祖母も母も私を叱ったが、父は、私を叱るように言われると、
 「爪を噛むのはやめとき。」
としかたなくいうくらいで、ちょっと困っているようだった。

  父もそうだが、本とか映画とかに熱中すると、気がついた時には痛いくらい爪が短くなっていた。

  中学の頃だったか、父がどこかに旅行したお土産だといって、爪の手入れをする道具がセットになったものを買ってきてくれた。ネイルサロンにあるような道具がセットになって、小さなポーチに収まっていた。ポーチの色は、少し落ち着いた感じだけど、ピンクだった。

 旅行のお土産にネイルセットなんか見たことがない。
 
 父がどこでどんな顔をして買い求めたのだろうかと思う。

 それでも私は、爪をかむ癖がやまなくて、結局、そのネイルケアセットを使うことはなかった。使わないまま、今も引出しにしまいこんである。

 今の私は月に一度ネイルサロンにいき、深爪にすることはないが、手入れをしてもらうたびに、そのセットのことを思い出す。

 私も妹も、父に愛されたという実感をたっぷりもっている。

 愛情深くて、それを伝えるのがとても上手な人だったな。
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by mayumi-senba | 2009-10-29 22:06 | 自分のこと

安全神話崩壊のパラドックス

埋め込みというのをちょっとやってみた。内容はもちろんお勧めですから、ぜひ見て!










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by mayumi-senba | 2009-10-25 22:20 | 世間のこと

朝の海

 通勤に山陽道を使っているので、毎日朝の瀬戸内海を眺めてから仕事にはいるという幸福な日々を送っている。

 大小の島々に囲まれた狭い海だが、今頃の季節から春ごろまで、朝日の中でさざ波が金色に煌めくのだ。

 波が打ち寄せるときには、一条の波頭がさらに光り輝きながらこちらに向かってくるのが見える。

 つい、太陽光線の入射角によるのだと一瞬頭をよぎるが、古代から今に至るまで同じ輝きだったに違いない。

 古の人々は、この光の中に何を見ただろう。

 私は、畏れとともに喜びを感じる。これは宗教者が神や仏に感じるものと同じではないか。

 今の私は祖母のように毎日仏壇に手を合わせる習慣はないが、この海を見ると、祖母が目を閉じて合掌し念仏を唱えていたときの心のあり方をなぞっているような気がする。

 

 
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by mayumi-senba | 2009-10-24 23:00 | 自分のこと

幻想的なトイレ

  トイレが故障したので、本体をかえることにした。

 リフォーム型のトイレの中から選ばないと、排水管などの関係で、狭いトイレがさらに狭くなってしまうということで、うちのトイレに使えるほぼ唯一の型のものを付けてもらうことにした。

 つけてもらってから驚いた。

 トイレに入るとふたが自動的に開き、便器の中とその両外側、それと手を洗うところのボール(流しというのかな)がライトアップされるのだ。暗闇の中で使うと、なんというか、幻想的なのである。ちょっとしたトリップ感覚。

 用事がすんで立ち上がると、水が自動的に流れて手洗いの水が出、洗い終えて外に出るとふたが勝手に閉じてライトも消える。

 もちろん便座はいつも快適温度で、ウォシュレットも付いている。

 いつ認知症になっても大丈夫。

 いえ、認知症が促進されそう・・・。
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by mayumi-senba | 2009-10-23 21:22 | その他

何のバチで・・・は「ミーム meme」です。

  ここ数日の記事を読み返してみると、死ぬ、だとか、厄介なお年寄りのこととか、切断された腕の話とか、あまり明るいとはいえない話題ばかりで、なんか、うつ状態にでも陥っているんじゃないかと思われそうですが、そんなことはありません。

 私が調子の悪い時は、仕事も十分できなくて、こんな駄文を書き連ねるエネルギーなどありません。

 悲しい気分や、気分の落ち込みなどはなく、天気の悪い日に気が遠くなってついには寝込んでしまうというものでした。

 それで、実は職場の諸氏に大迷惑をかけるのを承知で7月と8月の2カ月にわたって休ませてもらったのです。

 「一度じっくり休んでしっかり治したほうがいいよ、その間は何とかするから。」
と言ってくれた同僚諸氏の言葉に感謝し甘えて2カ月しっかり休んだら、天気が悪くなっても気が遠くならなくなりました。

 患者さんにはそんなことを言っておきながら、いざ自分に起こるとなかなかまとまった休みを取れないもので、今回、休むことの大切さを身にしみて知りました。

 ところが厄介なことに、朝夕は大丈夫なのに、昼ご飯をしっかり(普通に)食べるとそのまま意識が遠くなって寝込んでしまうというという症状が残っていて、現在もお昼はカロリーメイト2本で我慢しなければなりません。

 そうすると寝込まずに済みますが、その代わり午後はひもじさに苦しめられます。途中でクッキーやおせんべいを食べて空腹を紛らわせています。この飽食の時代に飢餓ですよ。

 私はいったいどんな悪いことをしてこんなことになってしまったんだろう、と考え込みます。

 これは医者としてあるまじき考えです。病気になった人は、多少生活習慣などが影響するとはいえ、やはり体質や環境などの影響が大きく、決してバチが当って病気になるのではありません。

 でも自分に起こると、つい、
 「何のバチで?」
と考えてしまうのは、祖母やおばさん達がちょっと困ったことがあるとこれが口癖だったからです。
 
 学問的には「ミーム meme」と呼ばれている概念ですね。

ここ参照

 関西圏には「何のバチで」が多いと思います。

  
 
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by mayumi-senba | 2009-10-19 21:14 | 自分のこと

その日

  ヒトが類人猿との共通の祖先から「ヒト」への道を歩み始めたその時は、ある二つの世代間にあるのだろうか、それとも何世代もの時間をかけたものだろうか。

 問いのとらえ方の違いであって、答えとしてはそのどちらも正しいのだろう。

 その「ヒト」の始まりから現在に至るまで、どれくらいの「ヒト」が生まれ、そして死んでいったのだろう。

 穏やかな、ろうそくの灯が消えるような死もあれば、痛みや苦悶の中での死もあった。自分の死後、残されたものに対する不安を抱えながらの死、するべきことは全部し終えたと思える死。死を思う間もなく突然に訪れる死・・・。

 一人の人間が想像できる範囲はたかが知れている。そんなものははるかに超えるさまざまな死に方でヒトは死んできた。

 それらのヒトの体の部分を構成していた物質は、今私の体の中に数知れずあるだろう。

 私は、そのことを思うと、私にいつか訪れる死がどんな死であっても当たり前のことだと思うのだ。

 生き物が死ぬのはそもそも当たり前だが、もっと強く深く当たり前だと思う。

 どれくらい残されているかわからない死までの時間を、どのように使えばよいのだろう。少なくとも、息子を含めた次世代以降のヒトが被る私たち世代からの迷惑を、少しでも減らすのがいいと思う。

 では何をすればよいのか、実はわからない。正しいと思っていることが正しいとは限らないということを、身に沁みて知ってしまった。

 こんな風に、その日が来るまで迷いながら生きていくのだ。
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by mayumi-senba | 2009-10-18 23:27 | 自分のこと

成長しそびれた人

  老人は、いわゆる学校学力や一般教養というものがなくても、さえらに言えば認知症になったり、身体を悪くされて介助が必要になったりしても、ふつうは、その子どもさんや、お孫さん、近所の人たちから敬愛されているということが伝わってくる。その人のそれまでの人生が垣間見えるものである。

 そんな中に、時々、この人は一体この70年や80年をまったく成熟するという方向にエネルギーを割いてこなかったのではないか思われる一群の人たちがいる。

 人々から敬愛を受けるには、知恵の蓄積による成熟が不可欠で、その知恵の正しい使われ方は、人も自分も幸せにするところにあるのだ。

 成長できなかった人。

 思いつくままに書いてみる。

 被害者意識が強い。
 世の中は自分のためにある。
 自分に親切な人はいい人で、不親切な人は悪い奴。
 自分が注目されるためなら思いもかけない方法を使う。
 だからといって、それが効果的であることはない。(「もう死んでしまいたい」と言われても、私は困らない。」)
 自分が困っているときは誰かが必ず助けなければならない。
 助けを求めているのに断るのは悪い奴。
 理屈ではない。
 問題を解決するために頭を使わない。

 これぐらいにしておこう。

 
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by mayumi-senba | 2009-10-17 19:27 | 世間のこと

タケノコ

  生まれて初めて焼肉屋さんで「タケノコ」と呼ばれるものを食べたのは、もう30歳は優に超えていた。

  その形状や弾力から見て、それが大動脈であることはすぐに分かった。

  初めて食べたものだから、

  「ああ、これは大動脈だ。」
とつぶやいたら、同席していた教員である友人が、
 「頼むからやめてくれ。」
と言った。

  とても仲の良い友人とでさえ、こんなに感覚が離れているのだということを思った。

 やめてくれと言われたから口にするのはやめたが、出てくる臓物はすべて言い当てることができた。できたからと言ってどうということなく美味しいものは美味しくて、口に合わないものは合わない、というだけのことだ。

 もし道路に切断された人間の上肢が落ちていても、
 「人間の腕が落ちている。警察に通報しなきゃ。」
と思うだけだろう。腕から先がほんとうに恐ろしいのは、それの持ち主についているときで、かつ、その持ち主が凶暴であるときであって、もはや動かない上肢は何もできない物体でしかない。

  私はそのように考える。

  この感じは、同業者でないとわからないだろう。

 そう思うと私たちは、他者から見ると気味の悪い職業集団かもしれない。

 中世ヨーロッパなら魔女狩りに合うはずである。
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by mayumi-senba | 2009-10-16 23:17 | 自分のこと

脳が喜ぶ

模糊数学

 昨日、私はこんなことを書いたが、今日1日で何回このことを思い出して何回感心しただろうか。

 繰り返し繰り返し思い返している。

 それは、私の脳が大好きな事柄で、考えるたびにエンドルフィンのシャワーが出て、心地よい電流が脳全体に流れるのだ。

 このことを知った瞬間から、私はこのことを何回も繰り返し思い返し、繰り返し快感を味わうだろうと予想がついていた。

  では私の脳が喜ぶこととはどんなことか、というと、答えられない。

  ただ、それが私に来ったときに、これがそうだと言えるだけだ。
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by mayumi-senba | 2009-10-15 23:56 | 自分のこと