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本日謝恩会

  今日は、謝恩されてきた。

  スライドで思い出のシーンを流してるときに女の子たちが泣いてる野を見てもらい泣き。
 
  なんて涙もろくなってしまったんだろう。

  みんな頑張ってね!勝負はこれから!
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by mayumi-senba | 2010-03-10 00:36 | 出来事

思い出し笑い

 
老視(ろうし)は、目の障害の一つ。老眼(ろうがん)とも呼ばれるが、老視が正式名称。
加齢により水晶体の弾性が失われて調節力が弱まり、近くのものに焦点を合わせることができなくなってくる。
40代から60代初めに自覚されることが多いが、実際には20歳前後から調節力の減少は始まっており、日常生活で字を読む時の距離である30cm前後が見えにくくなるのが、この辺の年齢であるとい

                                              wikipedia

老眼と命名した人が意図したかどうかは知らないが、よい名であると思う。

  40代になるとそろそろ、老いることそしていずれ死にゆくことを覚悟しなければならないが、老眼を自覚した時、老眼だ、と思う、そのことが老いの一歩として一段踏みあがる感じ。

  それから少しずつに老いを自覚させられることが身に起こってくるが、これは徐々に死を受け入れるための準備期間として用意してもらっているような気がする。

  老衰、という死亡診断書を書く時、その穏やかな死は、丁寧に生きた人生への祝福のように思える。

  子どものころ、日々死ぬその日に近付いているのに、そんなことは全く考えていないように見えた大人たちだが、そんな大人たちの多くがこの世を去った。

  祖父母、両親とも、死ぬその日まで死を恐れる様子がなかった。

  そのわけをわたしはもう知っている。

  今日、twitterで@言葉botから送られたことば。

  「死ぬ前に思い出し笑い」
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by mayumi-senba | 2010-03-06 00:28 | 自分のこと

さかさまのR

・・・主義

 この記事には、よくわけのわからないコメントが付く。Rが左右逆になってるので、ロシア語かもしれないがわからない。

 なんでだろう。
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by mayumi-senba | 2010-03-04 20:55 | 世間のこと

習い事

 小学校のころ、お習字を習っていて、というのは言い過ぎで、一回お習字教室に行って、確か「水玉」という字を書いた。その次のときから、お習字にいく振りをして遊びにいっていたら、1か月ほどして母にこっぴどく叱られた。

 バレるに決まっているのにどうしてあんなことをしていたんだろう。

 どんな気持ちで遊んでいたんだろう。
 思い出せないが、どんなに楽しくても、どこかにやるせなさを抱えていただろうな。
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by mayumi-senba | 2010-03-03 21:24 | 自分のこと

叱られ方の考察

  久し振りに、ちょっと用事があったついでに息子と少し長電話。

  昨日友人たちと、親からどのように叱られてきたかということを話したらしい。

  「僕はすっごい叱られてきたよ。」
と言ったらしい。正しい。私はほんとによく叱っていた。

 よその子のお母さんから、 
 「お宅は叱らないんですか。」
と言われたことが何度かある。そんなことないのである。叱りどころ満載なんだから。

 そのことを息子に言うと、
 「それは現場を知らない人間のいうことだな。」
と、冷静な分析。なんじゃそれ。

 で、その昨日の息子たちの会話の中で、
 「あらかじめ何をしたら叱られるかということが明示的になっている家庭と、事後的に叱られることを教えられる家庭がある。」
ということがわかった、らしい。

 うちは、基本的に事後的に叱ってきた。

 何をしでかすかわからないからである。明示的にできる範囲は遥かに超えているに決まっている。と私は思ってきたが、そうでもないようだ。

 例えば、叱る、といっても、私はたいてい
 「なんてことをするんだ!」
とか、
 「なんてことを言うんだ!」
と、許容範囲を超えたときに叱ってきたわけだが、この場合は、これ以上のことをしたら、とか、こんなことをしたら、というような境界を明示するのは困難である。360度で何をどれだけするかということはあらかじめ予想が立たない。

 未経験の人は
 「そんなことないでしょう。」
と思うかもしれないが、ほんとに何をしでかすかわからないのだ。

 しかし、
 「これをしなさい。しないと叱るよ。」
ということなら明示できる。

 要するに、陽性の行為か陰性の行為か、の違いである。

 私だって、
 「これをしなさい。しないと怒るよ。」
ということは言ってきたが、それは、
 「なんてことするんだ!」
ということに対して、比較対象にならないくらい少なかったのである。

 いや逆。
「なんてことするんだ!」
が多すぎたのである。その証拠に本人が、
 「うちは叱られることについてあらかじめ明示的な家庭ではなかった。」
と言っていた。

 そう錯覚するほど、比率が高かったと言うことである。
 せずに叱られたことは忘れている。

 我が家は明示的な家庭だったと思っている子は、きっと、しないで叱られた数のほうが多い子なんだろう。
 
 いえ、
 「なんてことするんだ!」
が少ない子だったんだろう。
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by mayumi-senba | 2010-03-02 00:22 | 息子