「ほっ」と。キャンペーン

30億年から40億年後

   30億年から40億年後に、我々の天の川銀河と隣のアンドロメダ銀河は、二つが合体して新たな渦巻き状の銀河を形成することが予測されているが、空間にはまだまだ余裕があるため、星の衝突はあまりおきないと考えられている。

 ・・・・らしい。

 「楽しみだ。」
と美しい天文学者が笑顔で語っていた。

 実に景気の良い話で、この世のどんな事をも「小さな取るに足らないこと」にしてしまう。
 嘘でもほんとでも、どっちでもいい。

 スカパーのTHE HISTORY CHANNELに、「ザ・ユニバース」という番組があって、私は楽しみに見ている。
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# by mayumi-senba | 2009-11-06 00:29 | 世間のこと

続 事件報道における容疑者の扱いは急に変化したのだろうか

事件報道における容疑者の扱いは急に変化したのだろうか

 しかし、容疑者の名前と顔をふせたままでも、近所に住む人たちにはわかるだろう。家族がいれば、その家族もつらい思いをする。

 たとえば、探せばだれにでもある恥ずかしいことを、テレビで騒ぎたてられては、その地域で生きていくのが難しくなるかもしれない。

 さらにいえば、我々の社会は容疑者の段階で雇用が危うくなるような未熟な社会である。

 すべて、もし無罪ならその元容疑者や家族に対してどう償えばよいのか。

 かといって、報道が容疑者の名前も顔も、周辺の情報も流さなければ、誰が容疑者としてとらわれているのかがわからない。それでは、正当な捜査と裁判が行われているかを確認する方法がなくなる。

 しつこいようだが、私が論じているのはあくまでも容疑者という段階のことである。

 考え始めれば、いくらでも問題が出てきそうだが、ずっと考え続けなければならないことだと思うのだ。

 そのうえで、今回の報道の変化は、一つの試みであると思う。
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# by mayumi-senba | 2009-11-06 00:16 | 世間のこと

事件報道における容疑者の扱いは急に変化したのだろうか

 お昼休みに医局に戻ると、テレビにクックル嬢にそっくりなシーズーが映し出されていた。

 ほんとによく似ているなと思っていたら、今、結婚詐欺と男性の不審死で容疑者となっている女性が飼っているペットということだった。

 ご近所のみなさん、断じて言いますが、あの容疑者は私ではありません。

 私には、男性からお金を引き出すという能力が、決定的に欠落しています。

 せいぜいがんばって食事をご馳走になる程度です。

    ・・・・・・・・・・・・・・ 年齢は私のほうがちょっと上です。

とこのようなことを書くのは、この容疑者の顔がぼかされ、名前も、少なくともテレビでは公開されていないからだ。

 和歌山カレー事件の時のことを考えると、なんなんだ、この違いは。いつからこんなことになったんだ?

 でも、冷静に考えると、彼女はまだ容疑者である。万一裁判で無罪になるようなことがあれば、彼女についての現在の報道は、もし名前と顔が公表されていれば、無罪である彼女の人生に取り返しのつかない致命的で不当なダメージを与えることになる。

 容疑者の名前と顔を公表しないことは、犯罪者の人権を過大に守るということではない。

 裁判で有罪が最終的に確定されてから、罰を受け罪を償うのが道理ではないか。なぜ先走って制裁を与えるのだ。

 オーム事件の時の河野さんの苦しみを、我々はどうやって償えばよいのかわからないまま、今に至っている。

 志布志事件はついこの間のことだ。

 言い渡された刑に服し、社会的な制裁を受けるのは、罪が確定してからで遅くない。

 容疑者に対するこのような扱いの変化は、私はテレビをあまり見ないのでいつからかわからないが、結構なことであると思う。

 政権交代の影響だろうか。
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# by mayumi-senba | 2009-11-04 21:29 | 世間のこと

無常観

苦の娑婆

  祖母のこの言葉を、無常観と言い当てられて、私は初めて無常観というものが腑に落ちた。

  高校の古典で教えられてから、幾度目にし耳にしても、言ってみれば隔靴掻痒。

  ゆく川の流れもうたかたも、花も若さもゆかしいものではあったけれど、何か違うと思っていた。

  子どものころに、祖父も祖母も、父も母もいつか死ぬ、と気がついたときに、どれくらいの期間だったか忘れたけれど、長い間、私はそのことにとらわれ気分は晴れなかった。受け入れがたかったのだ。

 息子が生まれたときにもそれを思い、嬉しかったが悲しかった。

 これがそうだと言われたら、ことりと音をたてて胃の腑に落ちた。
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# by mayumi-senba | 2009-11-03 19:10 | 世間のこと

苦の娑婆

  まだ祖母と一緒にに暮らしていたころ、だから大学に入るまでの間のこと。

  祖母が何かのおりに、
  「苦の娑婆やな。」
と、寂しそうに、つぶやくように言うのを何度か聞いた。

  私が知らない時期はいざ知らず、その頃の祖母は、すべての子がちゃんと大人になり、それぞれがみんな子どもをもって、たくさんの孫がいた。その孫たちも、私といとこの一人が少し多動気味なのと、時々おばたちがそれぞれの夫と犬も食わない夫婦喧嘩をする程度で、孫、子はみんな幸せに暮らしていた。

  祖母の夫である祖父も、とっくに女癖はやみ、いつも楽しそうな「おじいさん」になっていた。

  そして祖母も、多くの時間を笑顔で過ごす「おばあさん」だった。

  だから、祖母のあの言葉は、私には不可思議なものだった。

  この前、友人が、
  「仕事とはいえ、人の不幸に立ち会うことが多いのに疲れてきたな。」
とつぶやいた。

  そのとき私は、あの祖母の言葉をありありと思い出した。

  私が学校から帰ってくると、祖母のもとには近所の同年輩の女の人たちがよくきていた。祖母は、愚痴なのか、悩みごとなのか、その人たちの話を聞いていた。
  テレビのニュースもよく見ていた。

  祖母には学があったわけではないので、政治的なことや社会的な問題については詳しくわからなかっただろう。けれども、世の中につらくて苦しいことが山ほどあるということを知っていた。

  私はあの祖母の言葉の意味が、少しわかったような気がしてきた。

  今、私には特に悩まなければならないことは、ない。体調がよくないときだって、そんなもので悩んでいたわけではない。

  でも、今の世界の状況は、決して威張って次世代に誇れるものではなく、日本にも、世界にも不幸がたくさんあって、自分はさておき、こんな世の中でわが子やまだ見ぬ孫は幸せに暮らしていけるだろうか、とふと思う。

  世の中の不幸について、直に苦しいのではなくて、あんなことが自分の子孫におこったらと考えると空恐ろしくなることがある。実にエゴイスティックな不安である。

  祖母は、そんな思いを抱いたときに、自分をなだめるために、あの仏教から学んだ言葉をつぶやいたのかもしれない。

  いつかまたちがった思いを持つかもしれないが、祖母の心を少し知ったような気がして、書き残しておきたかった。

  
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# by mayumi-senba | 2009-11-02 20:22 | 世間のこと

妖怪の分類

妖怪の形態は、したがってまことに多様であるけれども、諸書にしばしば引用される十八世紀フランスのビュフォン伯爵の簡潔きわまる分類の倫理性が、気に入っている。すなわちいわく、「第一は過剰による妖怪。第二は欠如による妖怪。第三は諸部分の転倒もしくは誤れる配置による妖怪。


               中野美代子著『中国の妖怪』(岩波新書)より引用

 まことに汎用性の高い、使い勝手の良い言い回しである。

 変な人は、したがってまことに多様であるけれども、21世紀の仙波による変な人の分類にいわく、「第一は過剰による変な人。第二は欠如による変な人。第三は諸部分の転倒もしくは誤れる配置による変な人。」
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# by mayumi-senba | 2009-11-01 00:48 | その他

中国ですね!!

海南でワニ46匹脱走―当局発表「食べてもいいから、捕まえて!」

なんか、カッコイイ感じがしてしまう。
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# by mayumi-senba | 2009-10-30 21:10 | 世間のこと

伝え上手

 子どもの頃、私には爪をかむ癖があって、爪切りを使って爪をつむということがなかった。

  父にもその癖があって、たぶん無意識に真似ていたのだろう。

  祖母も母も私を叱ったが、父は、私を叱るように言われると、
 「爪を噛むのはやめとき。」
としかたなくいうくらいで、ちょっと困っているようだった。

  父もそうだが、本とか映画とかに熱中すると、気がついた時には痛いくらい爪が短くなっていた。

  中学の頃だったか、父がどこかに旅行したお土産だといって、爪の手入れをする道具がセットになったものを買ってきてくれた。ネイルサロンにあるような道具がセットになって、小さなポーチに収まっていた。ポーチの色は、少し落ち着いた感じだけど、ピンクだった。

 旅行のお土産にネイルセットなんか見たことがない。
 
 父がどこでどんな顔をして買い求めたのだろうかと思う。

 それでも私は、爪をかむ癖がやまなくて、結局、そのネイルケアセットを使うことはなかった。使わないまま、今も引出しにしまいこんである。

 今の私は月に一度ネイルサロンにいき、深爪にすることはないが、手入れをしてもらうたびに、そのセットのことを思い出す。

 私も妹も、父に愛されたという実感をたっぷりもっている。

 愛情深くて、それを伝えるのがとても上手な人だったな。
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# by mayumi-senba | 2009-10-29 22:06 | 自分のこと

安全神話崩壊のパラドックス

埋め込みというのをちょっとやってみた。内容はもちろんお勧めですから、ぜひ見て!










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# by mayumi-senba | 2009-10-25 22:20 | 世間のこと

朝の海

 通勤に山陽道を使っているので、毎日朝の瀬戸内海を眺めてから仕事にはいるという幸福な日々を送っている。

 大小の島々に囲まれた狭い海だが、今頃の季節から春ごろまで、朝日の中でさざ波が金色に煌めくのだ。

 波が打ち寄せるときには、一条の波頭がさらに光り輝きながらこちらに向かってくるのが見える。

 つい、太陽光線の入射角によるのだと一瞬頭をよぎるが、古代から今に至るまで同じ輝きだったに違いない。

 古の人々は、この光の中に何を見ただろう。

 私は、畏れとともに喜びを感じる。これは宗教者が神や仏に感じるものと同じではないか。

 今の私は祖母のように毎日仏壇に手を合わせる習慣はないが、この海を見ると、祖母が目を閉じて合掌し念仏を唱えていたときの心のあり方をなぞっているような気がする。

 

 
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# by mayumi-senba | 2009-10-24 23:00 | 自分のこと

幻想的なトイレ

  トイレが故障したので、本体をかえることにした。

 リフォーム型のトイレの中から選ばないと、排水管などの関係で、狭いトイレがさらに狭くなってしまうということで、うちのトイレに使えるほぼ唯一の型のものを付けてもらうことにした。

 つけてもらってから驚いた。

 トイレに入るとふたが自動的に開き、便器の中とその両外側、それと手を洗うところのボール(流しというのかな)がライトアップされるのだ。暗闇の中で使うと、なんというか、幻想的なのである。ちょっとしたトリップ感覚。

 用事がすんで立ち上がると、水が自動的に流れて手洗いの水が出、洗い終えて外に出るとふたが勝手に閉じてライトも消える。

 もちろん便座はいつも快適温度で、ウォシュレットも付いている。

 いつ認知症になっても大丈夫。

 いえ、認知症が促進されそう・・・。
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# by mayumi-senba | 2009-10-23 21:22 | その他

何のバチで・・・は「ミーム meme」です。

  ここ数日の記事を読み返してみると、死ぬ、だとか、厄介なお年寄りのこととか、切断された腕の話とか、あまり明るいとはいえない話題ばかりで、なんか、うつ状態にでも陥っているんじゃないかと思われそうですが、そんなことはありません。

 私が調子の悪い時は、仕事も十分できなくて、こんな駄文を書き連ねるエネルギーなどありません。

 悲しい気分や、気分の落ち込みなどはなく、天気の悪い日に気が遠くなってついには寝込んでしまうというものでした。

 それで、実は職場の諸氏に大迷惑をかけるのを承知で7月と8月の2カ月にわたって休ませてもらったのです。

 「一度じっくり休んでしっかり治したほうがいいよ、その間は何とかするから。」
と言ってくれた同僚諸氏の言葉に感謝し甘えて2カ月しっかり休んだら、天気が悪くなっても気が遠くならなくなりました。

 患者さんにはそんなことを言っておきながら、いざ自分に起こるとなかなかまとまった休みを取れないもので、今回、休むことの大切さを身にしみて知りました。

 ところが厄介なことに、朝夕は大丈夫なのに、昼ご飯をしっかり(普通に)食べるとそのまま意識が遠くなって寝込んでしまうというという症状が残っていて、現在もお昼はカロリーメイト2本で我慢しなければなりません。

 そうすると寝込まずに済みますが、その代わり午後はひもじさに苦しめられます。途中でクッキーやおせんべいを食べて空腹を紛らわせています。この飽食の時代に飢餓ですよ。

 私はいったいどんな悪いことをしてこんなことになってしまったんだろう、と考え込みます。

 これは医者としてあるまじき考えです。病気になった人は、多少生活習慣などが影響するとはいえ、やはり体質や環境などの影響が大きく、決してバチが当って病気になるのではありません。

 でも自分に起こると、つい、
 「何のバチで?」
と考えてしまうのは、祖母やおばさん達がちょっと困ったことがあるとこれが口癖だったからです。
 
 学問的には「ミーム meme」と呼ばれている概念ですね。

ここ参照

 関西圏には「何のバチで」が多いと思います。

  
 
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# by mayumi-senba | 2009-10-19 21:14 | 自分のこと

その日

  ヒトが類人猿との共通の祖先から「ヒト」への道を歩み始めたその時は、ある二つの世代間にあるのだろうか、それとも何世代もの時間をかけたものだろうか。

 問いのとらえ方の違いであって、答えとしてはそのどちらも正しいのだろう。

 その「ヒト」の始まりから現在に至るまで、どれくらいの「ヒト」が生まれ、そして死んでいったのだろう。

 穏やかな、ろうそくの灯が消えるような死もあれば、痛みや苦悶の中での死もあった。自分の死後、残されたものに対する不安を抱えながらの死、するべきことは全部し終えたと思える死。死を思う間もなく突然に訪れる死・・・。

 一人の人間が想像できる範囲はたかが知れている。そんなものははるかに超えるさまざまな死に方でヒトは死んできた。

 それらのヒトの体の部分を構成していた物質は、今私の体の中に数知れずあるだろう。

 私は、そのことを思うと、私にいつか訪れる死がどんな死であっても当たり前のことだと思うのだ。

 生き物が死ぬのはそもそも当たり前だが、もっと強く深く当たり前だと思う。

 どれくらい残されているかわからない死までの時間を、どのように使えばよいのだろう。少なくとも、息子を含めた次世代以降のヒトが被る私たち世代からの迷惑を、少しでも減らすのがいいと思う。

 では何をすればよいのか、実はわからない。正しいと思っていることが正しいとは限らないということを、身に沁みて知ってしまった。

 こんな風に、その日が来るまで迷いながら生きていくのだ。
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# by mayumi-senba | 2009-10-18 23:27 | 自分のこと

成長しそびれた人

  老人は、いわゆる学校学力や一般教養というものがなくても、さえらに言えば認知症になったり、身体を悪くされて介助が必要になったりしても、ふつうは、その子どもさんや、お孫さん、近所の人たちから敬愛されているということが伝わってくる。その人のそれまでの人生が垣間見えるものである。

 そんな中に、時々、この人は一体この70年や80年をまったく成熟するという方向にエネルギーを割いてこなかったのではないか思われる一群の人たちがいる。

 人々から敬愛を受けるには、知恵の蓄積による成熟が不可欠で、その知恵の正しい使われ方は、人も自分も幸せにするところにあるのだ。

 成長できなかった人。

 思いつくままに書いてみる。

 被害者意識が強い。
 世の中は自分のためにある。
 自分に親切な人はいい人で、不親切な人は悪い奴。
 自分が注目されるためなら思いもかけない方法を使う。
 だからといって、それが効果的であることはない。(「もう死んでしまいたい」と言われても、私は困らない。」)
 自分が困っているときは誰かが必ず助けなければならない。
 助けを求めているのに断るのは悪い奴。
 理屈ではない。
 問題を解決するために頭を使わない。

 これぐらいにしておこう。

 
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# by mayumi-senba | 2009-10-17 19:27 | 世間のこと

タケノコ

  生まれて初めて焼肉屋さんで「タケノコ」と呼ばれるものを食べたのは、もう30歳は優に超えていた。

  その形状や弾力から見て、それが大動脈であることはすぐに分かった。

  初めて食べたものだから、

  「ああ、これは大動脈だ。」
とつぶやいたら、同席していた教員である友人が、
 「頼むからやめてくれ。」
と言った。

  とても仲の良い友人とでさえ、こんなに感覚が離れているのだということを思った。

 やめてくれと言われたから口にするのはやめたが、出てくる臓物はすべて言い当てることができた。できたからと言ってどうということなく美味しいものは美味しくて、口に合わないものは合わない、というだけのことだ。

 もし道路に切断された人間の上肢が落ちていても、
 「人間の腕が落ちている。警察に通報しなきゃ。」
と思うだけだろう。腕から先がほんとうに恐ろしいのは、それの持ち主についているときで、かつ、その持ち主が凶暴であるときであって、もはや動かない上肢は何もできない物体でしかない。

  私はそのように考える。

  この感じは、同業者でないとわからないだろう。

 そう思うと私たちは、他者から見ると気味の悪い職業集団かもしれない。

 中世ヨーロッパなら魔女狩りに合うはずである。
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# by mayumi-senba | 2009-10-16 23:17 | 自分のこと

脳が喜ぶ

模糊数学

 昨日、私はこんなことを書いたが、今日1日で何回このことを思い出して何回感心しただろうか。

 繰り返し繰り返し思い返している。

 それは、私の脳が大好きな事柄で、考えるたびにエンドルフィンのシャワーが出て、心地よい電流が脳全体に流れるのだ。

 このことを知った瞬間から、私はこのことを何回も繰り返し思い返し、繰り返し快感を味わうだろうと予想がついていた。

  では私の脳が喜ぶこととはどんなことか、というと、答えられない。

  ただ、それが私に来ったときに、これがそうだと言えるだけだ。
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# by mayumi-senba | 2009-10-15 23:56 | 自分のこと

模糊数学

  ファジー理論のことを中国ではこういうそうです。

  なんか、かわいさと賢さを兼ね備えた女の子をイメージしてしまいます。
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# by mayumi-senba | 2009-10-14 20:14 | 世間のこと

くるみのピザトースト

 食パンに、ピザ用のチーズでもいいし、好みのチーズをのせて、その上にクルミを荒く切ったものをまた乗せて、オーブントースターで焼き上げるだけ。

 息子はおやつに好んで食べていたが、つまみにもいいんですよ、これが♪

 息子が食べていたのは、正確には、ホームベーカリーで焼いたクルミパンのスライスに、サムソーチーズをのせ、トーストしたものです。

 どちらかというと、後者のほうがおいしい。けど、ちょっと手間。
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# by mayumi-senba | 2009-10-12 20:53 | 美味しい!

ぶっちゃけ

 「ブッチャケ」とか「じゃあ、言うけどね」とかっていうのが口癖の人がいる。

 頻回に使うものだから、後に続く内容が、ちっともブッチャケてないし、言うけどね、と言うほどのことでもない。

 いや、逆であろう。大したことでもないことを言うのにも、そういうきっかけがないと言い出しにくいのだろう。

 会話の音痴と言ってもいいかな。
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# by mayumi-senba | 2009-10-12 19:53 | 世間のこと

息子も犬も

 息子は0歳児の時から、保育園で育っている。

 私は今も当時のことを昨日のことのように思い出すことができる。

 毎日仕事を終えて保育園にお迎えに行き、息子を抱っこして連れて帰る時のうれしさ。

 よちよち歩きをするようになると、私の姿を見つけて、
 「ママー!」
と嬉しそうに満面の笑みで駆け寄ってくる。駆け寄ってくるのだが、あと1メートルというところで、ピタッと止まるとくるりと向きを変え、あちらに行って遊んでいる。

 名前を呼んで、
 「おうちに帰ろー。」
といったら、嬉しそうに寄って来るのだが、また向きを変えてあっちへ行ってしまう。
 
 毎日それの繰り返しで、業を煮やして追いかけ、抱き上げて連れて帰るのである。

 そのころテレビで、主婦の人たちと働きながら子育てをしている人たちがそれぞれ自分の思いをぶつけあうというような企画があって、主婦の人が、
 「保育園に子供を預けて働くなんて、子どもがかわいそうです!!。」
と殺気を感じるほどの激しさで言っていた。

 そうではない証拠が今ここにいて、部屋の隅っこで、ティッシュを1枚ずつ引っ張り出しては後ろに放り投げて笑っている。たんすの引き出しを開けてその中に入ろうとしている。

 私は、テレビの中の議論が、遠い世界のことのように感じた。
 どっちでもいいやんか・・・・。

 そして15年の年月が過ぎ、シースー犬クックル・クサイがうちにやって来た。

 噛み縄を投げてやると、喜んで走っていき持って帰ってくるので、ここでほめるとしつけができるということになっているのだが、いくら褒めてもあと1メートルのところで止まって、しばらく噛んで遊んでいる。で、忘れたころに、近寄ってきて、私の顔を見上げ、
 「また遊ぼー!!」
というような顔をする。投げてやると、また喜んで縄のほうに走っていくが同じことを繰り返すのだ。

 私が育てると、息子も犬も同じようなことをする。

 私の育て方に何か問題があるのかなあ、と思うこともあるが、息子もクックル・クサイも基本的に楽しそうにしているので、これでよいような気がしている。
 
 
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# by mayumi-senba | 2009-10-07 18:36 | 息子