「ほっ」と。キャンペーン

私は私

  昨日は、広島の若手ジャズボーカリスト、因幡由紀さんのライブに行ってきた。

  少し元気が出てきたので、出かけられるようになった。

  彼女の声は、ふくらみがあって、適度にウェットで、私が一番引惹かれるタイプの声だ。華奢なからだから、ちょっとミスマッチとも思われるくらい。ルックスも知的でチャーミングな彼女です。いくつかな?

  ちょっと前にホテルの弾き語りで聞いた時より、さらにうまくなってる気がする。

  で、話は変わるが、私はギタリストの指が動きまわるギターばかり眺めていた。

  小さいころ、病院の薬局に入り込んでは、薬剤師が薬を次々と調剤するのを飽きずに眺めていたことを思い出す。若い人は知らないと思うが、正方形の紙の真ん中に1回分の薬をおいて、三角形に折りたたんでから、最後は変形の5角形になる。それを折り目の中に突き刺すように重ねて薬袋に入れる。前と同じ薬の患者は前に渡された薬袋を持ってきていてそれに入れる。ちっとも自慢にならないけど、私はこの薬の包み方を今でも覚えている。

  かしわやさん(鶏肉と卵だけを売っている。私が幼いころにはまだこういうお店があった!)で、開店前に卵を山のように積み上げていくのとか、お客に渡す時には割れないように新聞紙にきれいに包み込んでいくのとか、飽きずに見ていた。

  どこにでも入り込んでいってしまうので、母によく叱られていた。

  今も同じことが楽しいので、やっぱり私は私だと思うのである。
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# by mayumi-senba | 2009-09-21 11:54 | 自分のこと

寂しいサザエさん

 子どもの頃に、日曜日の夕方テレビでサザエさんを見ると、無性に悲しいような寂しいような気分になった。

 その頃から、なぜ自分がそのように感じるのか、正確に分析できていた。

 楽しい休日が終わりに近づいていると、いやでも思い起こさせるからだ。
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# by mayumi-senba | 2009-09-16 23:46 | 自分のこと

フリーズしないのよ。

  時々だけど、病院では、乱暴な言葉遣いでわれわれ職員を脅すような言葉遣いをする患者や家族がいる。

  職員の中には声を荒げられるとフリーズしてしまう子がけっこういる。

  少なくとも入院患者であれば、病気を抱えていてたいてい体が不自由なので、声を荒げる以上の乱暴を働こうとしても、たとえば今のこの年齢の私ですら、抑え込むことができるだろう。そんなことしないけど。

 もっといえば、ふつうに逃げれば追いつかれることはないので、要するにまったく恐るに足らない。

 理不尽なことを叫んでいれば、何も言わずにくるりと向きを変えて立ち去ればよい。
 同じことを繰り返すのであれば、こちらも同じことを繰り返すだけである。

 冷静に話すのであれば、きちんと話を聞いて、誤解があれば解き、要求がどうしても受け入れられないものであれば、可能な限り事情を話してわかってもらい、受け入れられるものは受け入れる。

  あせってしまい、黙って立ちすくんでしまうと、あいての理不尽な怒りがさらに増していくだけである。

  訓練だなあ、と思うのは、一度そういう目に会って、何度かこのような対応をすると、たいていの子は恐れず立ち去ることができるようになる。

  患者でなくて家族が大きな声でわけのわからないことを叫んでいれば、これは危険なことがないことはない。逃げてもつかまる可能性がある。

  でも、こういう人も恐れるに足らない。

  なぜなら、たいていそういう人は、頭が悪いか、そうでなくても頭に血が昇って冷静ではないので、怒鳴りたいだけ怒鳴ってもらって、その中で何が彼をそうさせているのかを冷静に探れば、警察を呼ぶべきか、糸口が見つけられるか、判断がつく。

 本当に危険な人は、こんなバカなことはしない。

 
  
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# by mayumi-senba | 2009-09-14 21:38 | 世間のこと

浮気者

 夜に窓を開けていると、吹き込む風は、「秋」そのもの。
 隣のテニスコートから、虫の声が聞こえてくる

 いい季節になったなあと思う。
  
 私は
 「四季の中で秋が一番好きだ。」
と思う。

 ところが、この前の夏の初めにも、紫陽花が咲き、もうすぐヒマワリが咲くのだと思うと、同じように感じた。

 「夏が一番好きだ。」

 いくつのころからか、毎春、毎夏、毎秋、そして毎冬にそう思っている。

 私は浮気者だ。
 
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# by mayumi-senba | 2009-09-12 21:50 | 自分のこと

在宅復帰・・・「お二人でしっかり話し合ってください。」

  こんなことがある。ときどき。

 脳卒中を患ったため、体が不自由になったが知的には問題がなく、介護保険のサービスを受ければ一人暮らしができる男性。

 この男性は在宅復帰を希望している。

 しかし、彼には同居する妻がいて、妻が、

 「自分には仕事があるので世話ができないから、うちに帰ってきてもらうと困る。」
 「自分は身体が弱いので世話ができないから、うちに帰ってきてもらうと困る。」
 「自分には、すでに一人介護をしている身内がいるので、うちに帰ってきてもらうと困る。」
 etc。

 このとき、夫がそれを聞き、施設入所を受け入れれば問題はない。
 
 夫が、
 「それでも自宅に帰りたい。妻の世話は受けない。」
と言う。

 すると妻は、うちに帰ってもらうと困るということとその理由を、夫ではなく私たち医師に、繰り返し訴えるのである。

 そもそも、介護サービスを受ければ一人暮らしができる人が、
 「退院してうちに帰りたい。」
といえば、私達にはそれを止めることができない。
 「そうですか、どうぞ。」
というしかないのである。

 すると妻は、
 「私はどうなるのですか!!」
と怒りを込めて私たちに言う。

 「一切世話をしなければよい。」
と、私たちは、これもそう言うしかないのである。すると、

 「目の前にいるのにそんなわけにはいかないでしょう!!」
とさらに怒りを込めた言葉が返ってくる。

 「世話をするかしないかは、あなたの自由です。どうしても夫が帰ってくるのが嫌だというのであれば、夫婦で話し合って別居するしかないでしょう。」
と答える。

 妻は、そこのところのやり取りや手続きを自分でしたくないから、医師から夫に、
 「自宅に帰るのは無理だ。」
と言ってほしいのだ。病状を理由にして。

 言いたいことはわかるので、同性として同情は禁じえないが、私たちは夫婦間の問題を裁いて判決を言い渡したりする権限を持たない。

 私たちにできるのは、

 夫に、
 「奥さんの手をわずらわさないようにしてあげてください。」
とお願いをするか、
 「奥さんが、目の前にいたらどうしても世話をしてしまうと言ってるので、そうすると奥さんが大変なので施設に行ってください。」
と、これもお願いするしかないのである。しかし、そもそも独居が可能な人の施設入所ということじたいが、制度上問題がないではない。

 実際はこういう場面で、医師は裁判官のようなふるまいをすることが多い。

 私は、それはどうかと思う。

 「お二人でしっかり話し合ってください。」

ということにしている。

 

 
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# by mayumi-senba | 2009-09-07 17:29 | 世間のこと

鳩山新政権は記者クラブ開放という歴史的な一歩を踏み出せるか

鳩山新政権は記者クラブ開放という歴史的な一歩を踏み出せるか

 記者クラブ問題については、上杉さんの活躍に注目してきたので、現在の彼の昂揚ぶりが共有できる気がする。

  なぜ、それほどまでに記者クラブが重要なのか? それは記者クラブ制度がメディアのみならず、じつは霞ヶ関にとって、極めて都合のよいシステムだからだ。

 官僚たちは、記者クラブをコントロールすることによって政治家を使い、自らの利権構造を強固にしてきた。与党と記者クラブが癒着することで、巧妙にその操舵室に忍び込み、歪んだ権力のトライアングルを操縦し、もっとも甘い汁を吸い続けてきたのは官僚たちである。


 民主党政権についてはそれぞれの立場で注目する点が異なることだろうと思うが、私は、ここに関心が集中している。
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# by mayumi-senba | 2009-09-03 23:37 | 世間のこと

歌のうまい女の子

  you tube で可愛い猫の動画を見ていたら、フィリピンの可愛い少女がカラオケで歌っている動画に行きあたって、その子の幼い印象と聞こえてくる歌声のあまりの乖離に、どうしてこんな手の込んだ動画をあげるのだろうと思った。流れているのは彼女ではなく、プロが歌っていると思ったのだ。

  Charice Pempengco

  こんな才能を、世の中が放っておくはずがない。

  これほどの才能を持ってしまった子どもは、大人たちから与えられ、奪われるものを、自分の成長に程よく塩梅して取捨選択することなど、出来るはずがない。

  才能を持たない子ですらできないことなのだから。

  容赦なく与えられ、奪われるものに苦しむ日が来るのだろう。その苦しみを苦しまない歌手を、世間は許さない。

  私は、若くしてすでに広く知れてしまった才能の行く末に来る苦しみを、彼女が乗り越えてくれることを心から祈る。

  

  
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# by mayumi-senba | 2009-08-27 18:49 | 世間のこと

少子化についてふりかえる

 少子化、という言葉を聞かない日がない。

 隔世の感、である。いままで書いたものを読み直してみる。


 出生率のこと

 女が働くことと少子化

 少子化は危機か?

 NIESで進む少子化 ペース日本以上

 
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# by mayumi-senba | 2009-08-23 22:29 | 世間のこと

孤独

  引用-----
最近、銀幕を飾った往年の美人女優が60代で亡くなった。

 病気を患い独身で死んだということだけで、「壮絶孤独死」とメディアに書かれる。60代にもなれば病気のひとつやふたつあって不思議ではないし、独身なのだから、死ぬ時だってひとりなのは想定内だ。

 なぜ、死ぬなり「孤独」と書かれなければいけないのか。ならば生きている時から「壮絶孤独生活」と取材し、「孤独に散歩」「孤独にお洒落」と記事を書けばいい。

 生きている時には書けなかった独身への冷ややかなまなざしが、死んだとなると解禁したように牙をむく瞬間だ。
----終わり

この記事の中で、遥洋子さんが紹介しているのは、お分かりだと思うが、大原麗子さんである。

 優しげな顔立ちに、ハスキーでかわいらしい声が魅力的な女優さんだった。彼女の私生活で私が知っていることと言えば、歌手の森進一さんと結婚して、離婚したこと。

 記憶が間違っていなければ、森さんは、
 「一つの家に二人の男がいるような生活だった。」
というようなことをコメントしていたが、彼女は一切コメントしなかったように思う。

 なんてかっこいい人なんだと思った記憶がある。

  遥さんの言うとおりだと、私は思う。

  さらにいえば、大原さんは死後こんな風に書かれることも知っていたはずで、その上での療養生活だったのだと思うから、彼女自身はきっとへっちゃらだろう。

 そう考えれば、孤独という言葉をこのように使うものの見識の低さや品の無さがよけいに際立つ。
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# by mayumi-senba | 2009-08-22 00:47 | 世間のこと

道楽

  昨日は、知人との食事のために街に出た。
  少し早く着いたため、少しだけ、と思って古くからある器の店に寄った。

  「買わないぞ。」
と思っていたのに、大ぶりで丸みのあるタンブラーを2客買ってしまった。そのタンブラーに注がれたワインやブランデー、焼酎や冷たい麦茶までが次々に私の頭に浮かんでくるのだ。そして口付けた感触や味まで浮かぶ。

  日常使うにはあまりに薄く、おそらくめったに使わないだろう。もしかしたら、一生使わないかもしれない。

  なぜなら、我が家にはそんな器が大きな食器棚3棹にぎゅうぎゅう詰めになっているほか、サイドボードにはグラスや茶器が、これもぎゅうぎゅう詰めになっている。はみ出したものは2階の押しいれにある。書いていてわれながらあきれる。

 しかしまた買ってしまった。occupied japanのコーヒーカップも目について、コーヒーを入れたところが頭に浮かんだが、さすがに我慢した。グラスを買っておいて、コーヒーカップを我慢したと自分で自分を褒めている。

 私が選んだものは、すべて、どうしても頭の中で料理を盛られているので、そのものだけで見たらもしかしたらつまらないかもしれない。そのように盛られる料理や飲み物を頭に描いて買った器でも、実際に料理を盛られることはあまりないのだ。

 時々出してみては、頭の中で料理を盛る。

 道楽というものだろう。

 母が今の私の年齢のころ、この人はモノを捨てるのが趣味なのかと思うほど、熱心にいろんなものを捨てていた。

 いま、私はその母の気持がよくわかる。一生使わないに違いないと思われるものを、身近に置いておきたくない。少しずつ見切りをつけて、捨てたり人に使ってもらったりしている。

 そして、欲しいものがない。  食器以外は。

 着るものも、履くものも、ずいぶん前に買って今なお手元にあるもので十分だし、もともと私は流行に頓着がないのたいていのものは今も着ることも履くこともできる。

  今こんなことを書くと、非国民と呼ばれそうだが、たまにデパートに行っても、欲しいものがなく、買うものがない。結局散歩をして、地下で食料品を買うだけということになる。

 それよりは、不要のものを処分することに快感がある。食器以外は。

 私は、これと同じことが脳にも起こっているような気がする。いや、脳に起こっているからこそ、それに相似した行いに快感があるような気がするのだ。

 (そう思うだけですからね。医者がそう書いたからって、それが危険率5%で証明されているなんて思わないでね。)

 脳は、年を経るごとに、得意なことをさらに得意にし、不得手なものはさらに不得手にする。不得手な部分はつかわないから、回路がなくなっていくのだ。

 書いているうちにこの先を書くのが怖くなってきた。
 
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# by mayumi-senba | 2009-08-21 03:13 | 自分のこと

生きる意味

  人は何のために生きているのか。

  この問いに答えが出せなくて苦しい思いをしたという話を聞く。この間、そんな話を聞く機会が続いた。知人とテレビの画面からであった。

  私は忘れてしまったのだろうか。

  彼らが苦しんだという時期に、確か私は大いに迷っていた。
 
  どの線で生きていこうか。
  若くてバカだから、選べると思っていたのだ。

  人の後についていこうか、自分が先に歩こうか。
  いわゆる女性らしく、というのは無理だとさすがにわかっていたので、ややこしくて申し訳ないが、性同一性障害でもないのに、男らしさにぎりぎりまで近づいてみようか、それとも、なよなよしないけどあくまでも女らしく行こうか。・・・・なよなよは無理なのだ。

 それは切実に大切な案件だった。

 着るもの、持つもの、ふるまいが変わるわけだから、そしてもちろん物事を考えるときの傾向が変わってくる。

 ところが、そんな迷いを迷いながら生きているうちに何となく今のようになった。着るもの、持つもの、ふるまい、考え方、何を忘れて何を覚えているか、物事に対処する仕方。すべて自分らしいと自分で思う。

 で、そうなるまでに大切な場面で決断をしてきたのだろうけれども、本当に自分で選んできたのかと問われると自信がなくなる。

 私の中には父と祖母が常にいる。鮮明な形で。

 今となっては、これまで考えてきたことや判断を自分でしたような気がしなくなっている。

 彼らは、思い起こすと涙が出るほど私をかわいがり、大事にしてくれた。祖母などは、進学のため家を出た私が電話をするとそのつど涙を流していた。

  私は、
 「死ぬに死ねないな」、
 とその時思った。それどころか
 「不幸もいかんな。」
と思った。

  そうはいってもつらいことがないわけではなかったが、その時はいつも、祖母と父が大事にしているものは大事にしないといけない、と思った。すなわち自分である。

 私は、生きる意味を考えたことがない。

 むしろいかに死ぬか、ということの方が大きなテーマである。

 これもおろかな問いである。死は、自殺を除けは、時期も死因も選ぶことができない。

 実はこの6月末に母が逝った。

 私は、母とは縁の薄い娘で、お互いにわかりにくい親子であったので、母が哀れで涙が出たが、決して母を失ったという涙ではなかった。

 それよりは、はるかに利己的だと思うが、帰るべきところがなくなったという喪失感にうろたえた。もはや自分には帰るところがないのだ。根っこがなくなった感じ。

 そう思うと、息子が根っこが消えることに耐えられる年齢になるまで元気で生きていなければならないような気がした。具体的に援助するということではなく、今度は間違いなく私が息子の根っこになる。

  ところが、私は、嬉しいことがあるとすぐに思うのだ。

 「ああ、これで死んでもいい理由がまた一つ増えた・・。」

 死んでもいい理由をため込んでいってる。

 死ぬべき時が来たら、「もう死んでもいい理由がたくさんあるから、死ぬよ。」
と言って死にたい。

  生きる意味、という問いは、ついに私は立てることがなかった。
 
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# by mayumi-senba | 2009-08-19 22:57 | 自分のこと

最高裁って・・・・

今回のマル激トーク・オン・ディマンドで、初めて最高裁の実態を知った。

みなさん、びっくりしますからぜひ見てみてください。

マル激トーク・オン・ディマンド
一件にかけられる時間が単純計算でいくと1時間足らずだって・・・。

今回はきっちり判断して×を書くべきは書こう。

 
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# by mayumi-senba | 2009-08-17 22:26 | 世間のこと

パパ大好き

  数日前のこと。

  スーパーで買い物をしていると、後ろからかわいい声が聞こえてきた。

  「あれ買って。だってパパのこと大好きだもん。」

 えっ!と思って振り返ると、幼稚園の年中さんくらいの女の子が父親らしい男性に抱っこされていた。抱っこしていたのは30代くらいと思われる男性。嬉しそうに眼も口もとも緩んでいる。

 「だって」に続くのが「パパのこと大好きだもん」?!

 「あれ買ってほしい」理由が、「パパのこと大好きだもん」?!

 コペルニクス的転回である。

 「あれ買って。あれ買ってってば。」
と、愚直にいうしか能がなかった幼いころのわが身を振り返れば、すでにあの年齢で、その後の生き方の分岐が始まっているのではないかと思えてくる。

 息子は、あまり賢くない我が家のシーズー犬クックル嬢のことを、「ペットのプロ」と呼ぶ。

 動作のいちいちが可愛い。物覚えが悪くても、少々くさくても、可愛い。いや、だからこそ愛おしい。

 私は、「パパ大好き」という才覚を持ち合わせていなかった。いなかったおかげで今こんなであるが、それはそれでいいと思っている。それでいいのだが、理由が「パパ大好き」というのは才能であると思うのだ。

 イチローや中田に似たまぶしさを感じてしまう。

 彼らはすごいな、と思うが、野球やサッカーがうまくなりたいとは思わない。それと同じ。

 
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# by mayumi-senba | 2009-08-11 19:56 | 自分のこと

これを買ったら

ウイスキーが付いてきました。

ストラップ

毎晩押してる。
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# by mayumi-senba | 2009-02-16 20:53 | その他

かなしい光景

 海が見たくて、プリンスホテルに出かけた。

 1階のティーラウンジからだと、遠くは見えないけれど、私が見たい水面のさざ波や海の流れが見える。

 そして、海沿いには釣りをしたり散歩したりしている人がいて、それを風景として見つめていても失礼にならないような気がする。それがいい。

 今日は、犬の散歩をする人や、結婚式の後の記念撮影をする人たちに交じって、幼稚園くらいの女の子がお父さんと思われる男性と笑いながら歩いていた。そこを歩きなれているらしくて、珍しいものを見たという表情を見せることがなかった。

 あの子にはいつかこんな風に父と散歩した日々のことを、何と表現していいかわからない感情とともに思い出す日が来るのだろう。

 そう考えてしまって、私のほうに何と表現していいかわからない感情が湧きあがり、不覚にもなみだぐんでしまった。

 彼女の今の幸福を祝福する気持ちと、これからの幸せを願う気持ちと、そしていつか必ずやってくる父親との別れの日を思ってしまって、それは私の父が亡くなった日と重なるのだった。

 ただ散歩しているだけで、赤の他人にこんなことを思われているなんて彼女は知る由もないだろう。

 わたしも知らない間にこんな形でだれかの情動を激しく揺さぶったことがあるのだろうか。

 もしそうなら、それだけでこの世に生まれてきてよかったと思えるな。

 そう言えば、祖母は私を見てよく泣き笑いをしていた。あの頃は、意味がわからなかったけれど、あれがそうだったのだろうか。

 古語の「かなし」にはかわいいとか美しいという意味があるが、この語のもつ色合いを私は愛する。
 
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# by mayumi-senba | 2009-02-09 00:15 | 自分のこと

お餅が美味しい。

 お正月に買った雑誌の特集に、お餅のいろんな食べ方が出ていた。

 それを見てから試してみたくなって2種類ほど作ってみたらとてもおいしかった。

 お餅って好きな人が多いから変に聞こえるかもしれないけど、もともと私はお餅がそんなに好きでなくて、子供のころからお正月のお餅がいやだった。

 「とにかくお雑煮のお餅は一個にして。」
と祖母に頼み込んでいた。

 祖母は、お正月にはお餅を食べるもので、たくさん食べれば食べるほど幸せになれるのだと信じているようだった。私はできたら食べたくなかったけど、それは許されないのだった。

 ここにきて急にお餅が美味しい。

 それで思い出したことがある。

 ある入院中の老女が、ハンストをした。飲み食いしないでベッドに寝込んでいる。点滴も受け付けないで、高度の脱水になり、深部静脈血栓症という状態になった。あまりに血が濃くなって、足の静脈の中で血が固まってしまったのだ。非常に危険な状態だが、この状態になると抵抗できないので早速専門医のところに送って治療してもらった。

 治療を終えて帰ってきてもまだすねている。ここで担当医が私に変わったので、彼女に何をすねているのか聞いてみた。

 「私はヨモギパンが大好きで、それが楽しみで生きているのに、喉を詰めるから危ないって言って看護婦さんたちが食べさせてくれんのよ。近所の爺さんも刺身をのどに詰めてしんだ。年寄りはよう餅をのどに詰めて死ぬ。昔から年寄りは好きなものを食べてのどに詰めてしぬもんなんよ。」

といった。私は、なんかあっぱれな生き方を教えてもらったような気がして、そしてとりあえず病院の中で人目のあるところなら何とか救えるのだから、家族に相談してみた。

 「むしろこっそり食べられたら、喉に詰めても助けられません。のどに詰めることを覚悟で人目のあるところで食べさせてあげてもらえませんか。でなければ、また本気でハンストされてほんとに死にますよ。」

と言った。ご家族は相談のうえ承諾された。

 本人が死んでもいいと言ってるのだから、ご家族がなんと言おうとそうしてもらえばいいようなものだが、昨今そうもいかないのである。

 それから彼女は食欲を取り戻し、どんどん元気になっていった。そして元気に施設へ移っていかれた。

 私はお餅が好きになった。
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# by mayumi-senba | 2009-02-04 21:13 | 自分のこと

男と女は赤と青 とはちがう見方

 尊敬するフェミニストであるアネサンとの付き合いはすでに10年を超え、なお、その敬慕の情は変わらない。

 当たり前だが、敬慕の情と理解の間には溝がある。むしろ「理解できていないが理解したい」と、その溝を少しでも埋めることを欲するがゆえに、付き合いが続くのかもしれない。

 そして理解と同意の間にも溝がある。

 実は、

  「男と女には生物学的な差異がある。」

という言説に対するアネサンの態度が、どうにも理解できないでいた。彼女だけでなく、多くのフェミニストがそうであるのを見聞きする。

 彼女の話を聞いていると、

 女に生まれるのではなく女になるのだ (ボーボワール)

という時の女は「ジェンダーとしての女」であり、もちろん「生物学的な意味でメス」のことを言っているのではないということは理解できるが、

 生物学的な意味でのメスとオスの差異に言及すると、それに対しては否定、あるいは拒否という態度がみえ、私は不思議であった。

 「生物学的にも男女以外に、いろんなありようがある。」
というのが反論の一つであったが、私にしてみれば、それはそうで、

 細胞分裂で増えるものもあれば、単性生殖あり、働き蟻のように、個体としては生殖にかかわらないものもあり、産む性がメスなら、それはメスか?という疑問も成り立つ。

 人間に限っても、XXY、XYYと遺伝子レベルにしてからどう判断してよいのかという個体がある。出生後になってしまえば、どこからどこまでが生来のもので、どこからどこまでがジェンダー化によるものか、不確定性の闇に紛れてしまうが、遺伝子レベルでは、男と呼ばれるカテゴリーと女と呼ばれるカテゴリーがあり、その合間にそれ以外として分類されるカテゴリーがある。

 遺伝子レベルではなく、マクロな生物学としても、青と赤の間に、その合成色のスペクトラムがあって、青でしょう、といえる範囲と赤でしょうといえる範囲の間に明確な境界線はない。しかし、だからと言って青と赤は同じではない。

 理系頭の私はそう理解している。

 なもんで、姉さんの反論は、私には反論に聞こえなかった。

 ちょっとエネルギーが尽きたので、後日に続く・・・。
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# by mayumi-senba | 2009-01-01 23:16 | 世間のこと

今流行りのタイプです。

メガネが悲しくなるほど似合わない。

 でも近頃のメガネフレームの豊富さはたいしたもので、そんな私でもなんとか様になるものが見つかる。

 最近愛用しているものを購入する時のこと。

 私は店員に、
 「とにかくなんとか様になるものを見つけてください。今つけてるものが今までで一番良かったから、これに近いものが欲しい。」
と言った。

 30代半ばくらいに見えた彼は、次々と私が求めているものとは似ているような似ていないようなものを出してきては、私にため息をつかせるのだった。

 そして必ず言い添えるのだ。 
 「これは最近入荷したもので、今流行りのタイプです。」

 私はそのつど、
 「流行ってるかどうかには関心ないから・・・。」
というのだが、何度言っても言い添えるのだ。

 で、やっと出してきてくれたものが今使っているもので、私は、
 「これならいい。」
と言いながら、顔の角度を変えたりしながら、チェックらしきことをしていた。(何をすればチェックになるのかわからないけど。)

 彼は、
 「これは、今かけておられるのよりかなりいい品です。〇〇製ですから軽くってやわらかく、反りもいいので顔への負担がすごく少ないです。」(〇〇については関心がないので聞いていない)
と言った。私は、品質なんか言ってられないと思っていたので、
 (いい物の中に自分に似合うものがあったのなら、これは僥倖である。)
と満足だった。

 なぜならその時店にかけていった一番お気に入りだったメガネは、別のお店で一番とは言わないが2番目くらいに安く、したがって掛け心地は決していいものではなかった。それでもそれを選ばずにはいられなかった忸怩感は、今でも思い出せるほどである。
 
 そのことを思い出しながら満足している、その私にむかって彼はいうのだった。
 「これは最近入荷したもので、今流行りのタイプです。」

 私はイラっとしたので、つい、
 「関係ない。」
と、言わずもがなのことをいってしまって、自分の不快感の嵩(かさ)を知ったのだった。

 彼が信じ込んでいるほど、この、
 「今流行りのタイプです。」
という言葉は、人にものを買わせる力を持つのであろうか。少なくともそう信じ込んでるように見える彼は、その言葉に弱いのだろう。

 考えてみれば、私はもはやお店の人の、
 「お似合いですよ。」
という言葉にも、まったく動じなくなっている。もはや、と言ったが、20代の頃にはすでにそうだった。

 以前洋服を買っていたお店の店員さんは、本当のことを言ってくれたので信頼して贔屓にしていた。すると、だんだんと、私のために仕入れてきた、という服を出してきてくれるようになり、それは確かに私に似合うのだった。

 私が行かないシーズンもあったから、そんなときその洋服は別の誰かに売られたのだろう。でも彼女はたぶん、その人のために仕入れたとは言わなかったに違いないと思える。


 そのお店は、もうない。
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# by mayumi-senba | 2008-12-09 03:16 | 世間のこと

ノーベル賞を勘違いした日本人と原爆

  前回に引き続き、伊東 乾の「常識の源流探訪」から、

ノーベル賞を勘違いした日本人

 広島、長崎への原爆投下と、科学者、そしてノーベル賞との関係が非常にわかりやすく述べられている。
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# by mayumi-senba | 2008-12-02 21:37 | 世間のこと

田母神・前航空幕僚長の「言論の自由」発言

についてはどう考えたらよいかこのコラムで、わかりやすい。
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# by mayumi-senba | 2008-11-19 20:42