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叱られ方の考察

  久し振りに、ちょっと用事があったついでに息子と少し長電話。

  昨日友人たちと、親からどのように叱られてきたかということを話したらしい。

  「僕はすっごい叱られてきたよ。」
と言ったらしい。正しい。私はほんとによく叱っていた。

 よその子のお母さんから、 
 「お宅は叱らないんですか。」
と言われたことが何度かある。そんなことないのである。叱りどころ満載なんだから。

 そのことを息子に言うと、
 「それは現場を知らない人間のいうことだな。」
と、冷静な分析。なんじゃそれ。

 で、その昨日の息子たちの会話の中で、
 「あらかじめ何をしたら叱られるかということが明示的になっている家庭と、事後的に叱られることを教えられる家庭がある。」
ということがわかった、らしい。

 うちは、基本的に事後的に叱ってきた。

 何をしでかすかわからないからである。明示的にできる範囲は遥かに超えているに決まっている。と私は思ってきたが、そうでもないようだ。

 例えば、叱る、といっても、私はたいてい
 「なんてことをするんだ!」
とか、
 「なんてことを言うんだ!」
と、許容範囲を超えたときに叱ってきたわけだが、この場合は、これ以上のことをしたら、とか、こんなことをしたら、というような境界を明示するのは困難である。360度で何をどれだけするかということはあらかじめ予想が立たない。

 未経験の人は
 「そんなことないでしょう。」
と思うかもしれないが、ほんとに何をしでかすかわからないのだ。

 しかし、
 「これをしなさい。しないと叱るよ。」
ということなら明示できる。

 要するに、陽性の行為か陰性の行為か、の違いである。

 私だって、
 「これをしなさい。しないと怒るよ。」
ということは言ってきたが、それは、
 「なんてことするんだ!」
ということに対して、比較対象にならないくらい少なかったのである。

 いや逆。
「なんてことするんだ!」
が多すぎたのである。その証拠に本人が、
 「うちは叱られることについてあらかじめ明示的な家庭ではなかった。」
と言っていた。

 そう錯覚するほど、比率が高かったと言うことである。
 せずに叱られたことは忘れている。

 我が家は明示的な家庭だったと思っている子は、きっと、しないで叱られた数のほうが多い子なんだろう。
 
 いえ、
 「なんてことするんだ!」
が少ない子だったんだろう。
by mayumi-senba | 2010-03-02 00:22 | 息子
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