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責任考 1

 気をつけなきゃいけない、と思う言葉のひとつに、「責任」をあげておきたい。

 「無責任」を勧めたいわけではない。けれども・・・。

 他人から、
 「これをするのがあなたの責任だ。」
と言われたとき、よーく吟味したほうがいい。人を都合よく動かしたい時、あいまいに「責任」という言葉を持ってくると、なんとなくそんな気がしてしまう。

 私は昔、ある企業のある業務に関する就業の可否を決定する基準を作る作業をした。

 私が提案したいくつか基準の中で、ただひとつ、年齢制限が経営陣からすると困る基準であったらしい。
 取締りやら担当課長やらが入れ替わり立ち代り私のところにやってきて、
 「その基準では企業として経営が成り立たないので、何とか緩めてくれ。」
ということをいう。

 私がつくった案を訂正してくれというのだ。
 「そのとおりやって経営困難に陥ったらどうするのか。何百人の社員と家族の生活がかかっている。それを壊すのか。」
 あたかも私の決定したことで会社が倒産すると、それは私の責任である、とでもいいたいようだった。

 しかし、わたしの仕事と責任の範囲は、安全を確保するためにはこの程度が良いのではないかという提案をするまでである。それを採用するかどうかは、企業が決めるべきことだ。
 私はそういう提案をしたけれども、経営が成り立たないのであれば、企業の経営判断でその年齢制限を変更すればよいのだ。それで何も起こらないかもしれないし、起こるかもしれない。

 わたしはそのように答えた。
 「あなた方の事情を最大限に入れて私の案として提出するわけには行かない。企業の責任で、私が提案した案を無視してください。無視してくださっても、私はそれ以上の権限がないわけだから。」

 私は、心ならずも経営陣に妥協して、私の責任において企業側の望む基準案を提案する、というようなことはことはしなかった。
 私が提案した案は、第三者の手で、記録に残しておくことにした。

 私のいままでの仕事の中で、責任、権限ということを強く意識し始めた出来事だった。

 実際は私が提案した基準が採用されたらしい。
 労使双方から恨まれるのではないかと覚悟していたが、10年くらいたって、少なくとも従業員からは感謝されていたことを知った。わざわざ、そのことを知らせてくれる人がいた。

 このとき、私に浴びせられた「責任」という言葉を疑わなければ、経営者の責任であるという風に返すことができなければ、本来私の責任でないところの責任を負うことになっていたのだと思う。

 

 
by mayumi-senba | 2004-09-21 00:30 | 世間のこと
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