相田みつを が見れないわけ

 もう10年位前、職場のある人の机の前で、相田みつをさんの言葉が書かれた日めくりを見かけた。とてもいい、でも忘れがちな大切な言葉が毎日日めくりで見られるようになっていた。

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 私は、それを目にするのが恥ずかしくてかなわなかった。

 とてもいい言葉だし、大切な言葉なんだけど、口にしたり文字にしたり、要するに自分から離れて誰かに届く形になった瞬間から、それはとても恥ずかしいものになる。私にとってはそういう類のものだった。
 自分の手帳やノートに人知れず書きとめる、そこまでで精一杯のもの。それだって、事故にあったりして、思わず誰かに見られたらイヤだな、と思うようなもの。

 私は、それを壁にかけている人が大好きだったので、聞いてみた。
 
 「これって、恥ずかしくないですか。これを掛けることじゃなくて、書いた人がこれを書いて人に届けようとした、その時の心のありようを思うと、私は恥ずかしくて見ることができないんです。」

 要するに掛ける事も恥ずかしいのだった。

 するとその人が言った。

 「歌手って、歌を歌うでしょう。あの歌詞は、普通恥ずかしくて口にできないようなことでしょう。でも、みんな聞いてる。そして心を動かされている。
 ボクは、このひとは歌手だと思っている。
 書いたときの心が、例えばこれをお金に換えて、などということもアリ、人に注目されたいもアリ、のいやらしさがあったとしても、作品には関係ないんだ。この人がもしかしたら無茶苦茶な人だったとしても、関係ないんだ。」

 もちろん、言葉を書くためのエネルギーが、お金や注目されたいということだけだとはおもわないし、そんなものはないかもしれない。ただ、私にとって恥ずかしいのは、どういう理由であれ、それを人に見せようと思う心の動きだった。

 でも、このとき初めて、ことばが必要とされているからこそ、言葉でご飯を食べていけるひとがいるし、そういう人が必要なんだと思った。

 ファンの人に怒られるかもしれないけど、プロ野球と同じなんだと思った。

 でも、私は相田さんの言葉をいまだに見ることはできない。
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by mayumi-senba | 2004-10-03 12:38 | 恥ずかしいこと
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