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はた迷惑 考

 「自分自身のはた迷惑さと、どのように付き合うか。」
というのは、その人の個性そのものといってもいい。

 私の祖母は、
 「人様には迷惑をかけてないから、後ろ指さされるようなことはない。」
といっていたが、その言動が結構はた迷惑だった。揉め事の元をたどっていくと、彼女の直情径行が原因であるということが多かったが、本人は自覚がなかった。
 しかし、人からは慕われていて、来客が絶えなかった。

 私の母は、何事も耐える嫁、というポジションを取り続け、しんどさも涙も必要アイテムだったように見えた。それだけで満足してくれればよいが、イライラを私にぶつけるので、私はずっと、
 「辛抱強い女ははた迷惑だ。」
と思っていた。
 これが近所や親戚筋では「よい嫁」と評判だった。
 しかし、実はそそっかいしいひとで、結構間抜けで、そこが迷惑といえば迷惑だったし、可愛げといえば可愛げであった。

 この二人に加えて、さりげなく迷惑をかけながら、迷惑をかけることで愛される父を見て育つと、「迷惑」ということを、これでも深く考えながら私は育ったのである。


 たいして迷惑でもないのに、
「迷惑ばかりかけてすみません。」
という人は、その気色悪さがはた迷惑。
それに、
「ホンとはたいして迷惑かけてないけど、こういっておこう。」
といいながらすることが実際迷惑だったりする。

「迷惑をかけていない!」
と言い張る人に、はた迷惑でない人はいない、と私は断じて言う。

 たいがいの人間は、存在そのものがもう迷惑といえば迷惑なのだ。

そこから先のはた迷惑さは、「可愛げ」になるか、「迷惑!!」になるか。

 できればわたしのはた迷惑さは「可愛げ」ととっていただきたいが、可愛い人ばっかりでは怒ることができない。なにかに怒ることで発散されることもあるので、結局世の中はよくできているということなのか。


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by mayumi-senba | 2004-05-26 22:21 | 恥ずかしいこと
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