今はもう信じられないくらいだけれど、息子が保育園に通っている頃、月に一度は熱を出していた。保育園から
「お迎えにきて下さい。」 と電話がかかったり、朝、すでに熱があるときなどは、今だから言うが、職場に迷惑をかけることを情けなく思っていた。 病児保育園が市内にひとつだけあるということを聞いて調べてみたが、朝のラッシュ時に連れて行けるところではなかったし、帰りもラッシュになるのでまったくもって私には役に立たなかった。 いつか息子が大きくなって、自分にゆとりができた頃には、病児保育園を作る運動のようなものをしないといけないな、などと漠然と思っていた。何故なら、当事者にはそんなことをするゆとりがないことは自分自身が身にしみてわかっていたからだ。 けれども、息子が育つ過程でいろんな問題があることが見えてくると、病児保育の問題はいろんな問題の中のひとつになっていった。 そしていつか、病児保育を積極的に進めることは、当事者にとって幸せをもたらすだろうかと思うようになった。 それよりは、子どもが熱を出したり怪我をしたときには、父親、母親にかかわらず子供のそばにいることができるような社会のほうが、私たちは幸せになれる。と私は思う。 病児保育を積極的に進めることは、それに逆行するような気がする。 子どもが病気になっても働くことが当たり前になっていく。 それが当たり前になったら、さらに少し無理をするようになる。 そんな危険をはらんでいると思うのだ。 けれども、当事者としての私は確かに苦しんでいた。 困っている保護者が今もたくさんいるに違いない。 やはり病児保育は必要であると思う。 子どもはどうなるんだ、病気のときに不慣れなところに預けられる子どもがかわいそうじゃないか、ということも考えなければいけないが、ひとまずおく。 世の中の多くのことは同じだけれど、この場合もやはり、病児保育園を造ることの毒を知りながら、しかし造る必要があると思うのだ。
by mayumi-senba
| 2007-02-01 22:57
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