トランスジェンダーや同性愛の人たちを見て、そうでない人たちが違和感を持ち、もっと言えば不快感を持つ。私がいつも疑問に思うのは、その、自分の心持に疑問を持たないということです。
対象を「異質の人」、という捉えかたをしたときから、自分の心に起こるものは「不安」と言い換えてもよいと思いますが、では、その異質の人の何が自分を不安にさせるのか、というより、自分に危害を加えるとは思えない対象を見て、「自分の中の何」が自分を不安にさせるのだろうか。 そちらに目を向けなけらばならないと思うのです。 男を愛する男、女を愛する女、その存在を許したり許さなかったりする権利を自分が有すると、何故思えるのか。 病気というのは、当人が困ったとき初めて治療すべき病気なのであって、トランスジェンダーや同性愛については、当人はそのことで困ることはない。ただ愛する人を愛すればよいのであって、周囲の彼らへの対応によって困るのであるから、治療されるべきは周囲、ということになると思うのです。
by mayumi-senba
| 2004-07-25 20:48
| 世間のこと
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